「この空を飛べたら」(中島みゆき)未練それとも希望。
中島みゆきの「この空を飛べたら」は、失われたものや叶わない夢を追い求める心情と、それでもなお諦めずに前に進もうとする強い意志が込められた詩です。この歌詞は、未練や希望、そして現実の中で感じる限界に対してもがきながら、それでも夢を手放さずにいる主人公の心情が描かれています。
1. 失われた愛と希望への執着
「あの人が突然戻ったらなんて いつまで考えているのさ」
ここでは、主人公が過去の恋愛に対して未練を抱いている様子が描かれています。すでに終わってしまった関係を「戻ったら」と考え続けることは、現実に対して目を閉じて、過去にすがっている状態を表しています。しかし、この未練は決して叶わないものであり、それを主人公も理解しながらも、心の中で手放せないという矛盾が強調されています。
2. 地に落ちながらも空を見つめ続ける姿
「暗い土の上に叩きつけられても こりもせずに空を見ている」
ここでは、現実の厳しさに何度も打ちのめされながらも、主人公が希望や夢を諦めずに空を見つめている姿が描かれています。土に叩きつけられるという表現は、挫折や失敗を象徴し、その度に夢を追いかけることの無意味さが示唆されていますが、それでも空(希望)に向かって視線を外さない主人公の姿は、強い意志と信念を感じさせます。
3. 人間の本能的な夢と渇望
「ああ人は昔々鳥だったのかもしれないね こんなにもこんなにも空が恋しい」
この部分では、人間が持つ自由への渇望や、本能的な夢が表現されています。「鳥だった」という比喩は、空を飛ぶこと=自由や解放を象徴しており、人々が本能的に抱く飛びたいという願望を示しています。現実には叶わない夢でありながら、空に対する強い憧れや恋しさを感じる心情が込められています。
4. 現実と夢の間で揺れ動く心
「飛べるはずのない空を みんなわかっていて 今日も走ってゆく」
「飛べない」という現実を知りながらも、走り続ける人々の姿は、夢や希望を諦めきれずに追い続ける人々の心情を表しています。誰もが「飛べない」とわかっていながらも、それでも行動を止めない。それは、夢を見ることをやめないこと、もしくは諦めることができない人間の本質を示唆しています。
「居るはずのない人 私わかっていて 今日も待っている」
ここでも、叶わないとわかっていることを理解しながらも、未練を抱き続ける心が描かれています。空を飛べないと知りながら走り続ける人々と同様、いないとわかっていても、待ち続けてしまう心の弱さ、もしくは諦めきれない強さがここにはあります。
5. 愛と希望の象徴としての「空」
「この空を飛べたら冷たいあの人も やさしくなるような気がして」
主人公にとって空を飛ぶことは、愛や夢が叶う希望の象徴です。空を飛べるようになれば、失った愛が戻ってきたり、過去の苦しみが消え去ったりするような幻想がここに込められています。空を飛ぶという非現実的な夢が、現実を変えてくれるという希望を反映しているのです。
「この空を飛べたら消えた何もかもが 帰ってくるようで 走るよ」
ここでは、空を飛ぶことで失ったものが全て戻ってくるという幻想が描かれています。消えてしまった過去、失われた愛や希望が空を飛ぶことで取り戻せると信じている主人公が、その夢を追い続ける姿が強調されています。現実にはあり得ないことだと理解しながらも、その夢にすがる心が痛切に表現されています。
総括
「この空を飛べたら」は、現実の厳しさや失望を知りながらも、夢や希望を諦められない人間の心情を深く描いた詩です。主人公は過去の愛や失ったものに対して未練を抱き続け、叶わないと知りながらも夢を追い続ける姿が描かれています。空を飛ぶという比喩は、人間の本能的な自由への憧れや、失われたものを取り戻したいという渇望を象徴しており、それが現実には達成できないものであっても、夢を持ち続けることの力強さと哀しさがこの詩には込められています。