『本当に話しておきたかったこと』
や、そうじゃないそうじゃない。
仕事ラストスパートの前に話しておきたい大事なことってのは、そんなことじゃなくてですね、あの、重ねていいますけど、昨日歌ってアップしたんですよ(聞いてっていってるわけじゃないので、絶対に聴かないでねwww)で、それって、まあ文芸も一緒ですけど、いつもそれほど需要はないんですよwww
(や、需要はあるに越したことはないんだけどもw 需要ないならないなりに、いい意味であきらめてるといいますかw あまりジタバタしないでいられるのは、みなさんもそうでしょうけど、リアルな関係とか、僕で言えばリアル本職ですけど、それできちんと必要とされて、文芸なり演出でみとめられて対価をもらってるっていう自負というか、一応メジャーで第三者に受け止めてもらえるものが書けてるんだから、別ベクトルでもいけないわけないって妙な自信があるというか(笑)ここで相手にされないからといって社会に相手にされてないわけじゃないwっていう地盤があるからというのと、そもそも誰にも相手にされなくなった季節があって、そこから自分だけを信じて這い上がってきた経験が根っこにあるんで、まあ、あんまりぶれずに済んではおりますわなw かててくわえて普段描けないものを書くためにnoteにいるようなものだし、むしろこれが普通なのかなと、てか逆に少数精鋭だけど確かなひとに受け止められて感謝しかない(^-^;))
でね、まあ、歌と文芸を芸事として一緒に語っちゃいけない部分といい部分とがあるとは思うんですけど。細かいことは置いておいて。この需要がない、あるいは認めてもらえないってことをどう受け止めるかって話をしようと思ってるんですよ。ええ。
みなさんは人気者でしょうから、まあ需要が無くて困ることはないかもしれませんが(ひがみかよw)、まあ、お暇ならよっていきなよw あたしゃあこれ書いたら終電まで浮上できないだろうからさw
まあ、一言でいうと、「好みってあるからね」ってこと忘れないでねってことなんですよ。
作品って自分の分身みたいなものだからスルーされたりすると、自分まで全否定されたような気持になるかもだけど、そういうつもりではなくて、単純に好みが違ってるだけってあって。あるいはセンスの違いといってもいいし、感受性の深度の違いと言いなおしてもいいかもしれない。もしくは、現代詩の眺め方をまだ文化として体得してないだけとかねw (現代詩はやっぱりちいとばかし、ハードル高いですけんねw)
これは実は、別に自分を防衛するためにいってるんじゃなくて、笹塚さんという僕の文芸仲間さんがね、昨日記事で、リア友からこてんぱんに作品を否定されちゃったって話をされていてね。やれ、詩はマイワールド過ぎて伝わらんし、小説は完全な自己満足でしょ?って。けっこう辛辣だわねww
まあ、正直に歯に衣着せずものをいうかたってのは、確かに貴重ね。けれど、神様でもないわけで、全部鵜呑みにしなくてもいいんじゃないかって、思ったのよ。
あたしの歌は自己満足だけどもw そこから、脳が笹塚さんの記事を思い出して、いろいろと頭の中でつながる思いがあって書いてるわけだけどもw
だってさ、僕のフォロワーは多めにいってw170近いくらいなんですけど、その中で文芸にスキをつける人は平均で10人~15人くらいなもんなんですよ。
ってことは、とにかく多めにいってw10人に1人くらいしか、感受性をわかちあえないわけなんですよ。歌なんかさらに低い、5スキくらいwww
で、僕はそれが別にいけないっていってるんじゃなくて、ボクはそもそも、10人いたら、一人くらいしかわかちあえないものを描いてるって、ある程度自覚あって書いてるんですよ。つまり端から万人受けとか狙ってないわけです。
なので、そりゃあ、多ければ多いほど嬉しいですけど、今くらいで当然だなとは思ってるんです。だけど、作品のクオリティが低いとは思ってないw まだまだ精進しますけど、やっぱりオンリーワンな自分にしかやれないレンズでいいとこいってると思ってるんですw じゃなきゃ発表なんかできないし、人様にお見せできないw
さて、笹塚さんに話を戻しますとね、僕は笹塚さんの詩を高く評価していて、スキをつけたり、コメントつけたりしてるんですけど、そのご友人は、発言からして、まあ、笹塚さんの作品はスルーするタイプだなって。つまり、好みじゃないか、感受性の深度が違って、理解できない、あるいは感じない、感じれないから、厳しい評価をくだして、わからんといってくれたんじゃないかって。で、一般人(一般てなによ?って問題もあるが(笑)不特定多数)に伝わるものを描けるようになりなよ的な?そのためにたくさん周りをみてインプットしなよ、と助言をくれたと思うんですね。
でも、笹塚さんには300人近いフォロワーさんがいて、毎回30スキくらいいくわけですよ。ちょっと計算してみてください。はい。そうです。10人に一人ですよねwww だいたい現代詩、あるいは現代短歌もそうかもしれませんが、発行部数からして小説と全然ちがってはなからマイナージャンルなわけですね。2万部で大騒ぎされるくらいのw
まあ、乱暴にいってしまえば、そもそも10人に一人くらいしか共鳴しえないものに携わっているわけですよ、我々は。
だから、そんなに落ち込まないでねっていいたいわけなんだけどもwww
好みじゃない人からみたらね、そりゃ、ひどい作品にみえるでしょうwww
でもこの世界には絶対の客観性はないわけで、有名なたとえでいえば、ある人はコップの半分の水を「まだ半分」とみるし、同じ水をある人は「もう半分」とみるわけで、すなわち、ご友人さまの意見が絶対とも限らないわけなので、どうせなら10人に一人はいる、コアなファンのまなざしを信じてくれまいかといいたくなったわけであるよwww
それは自分にもそうで、10人一人、あるいは20人に一人の割合かもしれないけれど、僕はこれからも、伝わる人に伝わる作品を創ったり歌ったりしていこうと思うわけです。スルーされても気にしないで。そっちに目を向けないでw
や、否定的な意見を否定して、イエスマンだけいればいいっていうのとはまた違って、まあ、前向きにね、駄目という人もいれば、いや、いいよ!といってくださる方もいるわけだから、そっちを存分に信じて生きていくのが心と体に優しいなって思うわけです。
ちなみに僕は、詩や歌は感性でいいと思う。あるがまま、マイワールドでなんぼだと思う。僕もそうしてますしw(
ただね、今日も秘書のコーギー――いや、雪人形君と話してたんだけどもw 小説と詩ってやっぱり根本的に違うから、同列に語れないところがあって。小説はやっぱり、よほど前衛的なものを意識しない限りは、どうしようもなく道筋があって、ロジックがあって、順々にひもとかれて、読者もそれを追っていくものになるわけで(それはシナリオもそうよ。おはなしだもの (❀ฺ´艸`) )。
詩は、道筋とかロジックとか関係なく、いきなりドーン!とかあるし、何がくるかわからない、感性まるだし、理屈抜きとかあるわけですよ。あるいは意味を汲み取っていこうとしても最後まで汲めない、汲ませないやつもあるかもしれない。とにかく自由すぎると思うんです。小説はこう、やっぱりある程度方法論に自由さはあるかもだけど、お話になってないといけないと思うんですよね。
そこで大事なのは、とにかく客観性、もうこれにつきますね。客観性がもたらすリアリティ、本当らしさ、それが緊張感をうんで臨場感をうんで、牽引していくわけですからね。小説によって、主人公に没入させるものもあれば、俯瞰してみちゃうものもあって、そこはジャンルごとに違うかもだけど、基本的には客観性にささえられた本当らしさでお話を見せ続けていくのが小説だと思うわけです。
そこ注意してお話として成立してたら、あとは自分のフェティッシュなものいれなきゃやる意味ないし、楽しくないし、猟奇殺人でも、今巷のnote醸し部ではやってるサイコエロスでもなんでもいいからw、やっちゃっていいと思う。
まあ、長文なっちゃったけど、そういうことなんで、みんなちゃんと僕にスキをください←
おい!(笑)
※追記
今いろいろインプット中な笹塚さんw そんな新しくもたらされるインプットによって貴方の感受性が平らにならされることはないと思うけど(もうがんとしてあるものだもの)w 念のため言っておくと、インプットしてこなかった弊害(理解不能な人が多くでる可能性とか?w)はうらを返せば超個性ですよね。自分の中の積み上げた経験からほとばしってきたものゆえのオンリーワン度でもあったはず。インプットしてもそれは消えないし、むしろ、もっと伝わりやすい幅のある豊かなほとばしりになっていくかもしれませんねえw たのすみ (❀ฺ´艸`) もう中原中也の領域までいっちゃゆあーん ゆよーん ゆやゆよんw))