『着想の裏側』
本日通勤途中に書いたじわじわもやもや系の「ほぼ140字小説」の着想の裏側について。あ、そんなこと考えて書いてんだ、と思っていただければ幸いです。しっかし、長い間テキスト書かない間に改行の仕様変わってたんだね(笑)
<ほぼ140字小説本文>
人身事故で電車が止まるたび、またかよと思う。生きていて嫌気がさす日もあるのだろうが他に方法は無かったのかと責めたくもなる。だが違った。“あれ”は常に口を開けていたのだ。ストレスや疲れを溜め込むとまるでテレビのチャンネルが噛み合ったように忽然と姿を現す”あれ”。それが今、俺には見える。-------------------------------------------------------------------------------------
遠い昔にきいたところによれば、涙ってのは常に流しっぱなしで出るように命令が出ていて、普段はそれにブレーキがかかっている状態なんだそうで。
普段はスイッチOFFで出てなくて、悲しみとか感動とかで刺激され、そこで命令が出てONになって出てるわけじゃないと。つまりブレーキを離した状態になるから出るだけなんだと。それが着想になります。
そこから普段からずっといるのに、チャンネルがOFFになっていて見えないだけで、ONになると目に見える存在がいたらどうだろうと発展し、やたら人が死ぬなあと思ったら、実は魔物が原因で、普段は目に見えないけれど、彼は”疲れ”とか”ストレス”とか負のオーラがごちそうなので、普段からアンテナ張って呼び寄せていて、まるでチョウチンアンコウの提灯に吸い込まれるようにその日もろもろ積み重なって負のオーラをまとってしまった人が、線路(魔物の口のある場所)――に飛び込んでいたんだと。菊地秀行的新宿魔界都市リズムチックな感じで書き記してみました。で、主人公が人身事故によるストレスで負のオーラの一定値を越え、チャンネルがあってしまったところで幕。みたいな。
まあ、あまり景気のいい話じゃないし、人が死ぬのは魔物のせいとか、悪いことが起こるのは妖怪のせいとか、外的要因にするのは実は嫌い(笑)で妖怪ウォッチとかも好きじゃないんだけど、やりました。反省も後悔はしていません。すみません。あ、たった今反省しました。
あ、あとですね。京極夏彦の小説で大好きな「魍魎の匣」ってのがあって、そこからも脳みそは感じてこの話を書いてますね。
その小説ではバラバラ殺人が起きるんですね。で、殺人の動機についての講釈があるんですが、普通の小説でも現実でも殺人がおこれば、それにもっともらしい動機がつくと。
はじめに動機ありき。いわく、虐待だ、トラウマだ、あーだこーだ、だから殺した。みたいな。そういうレッテルをはり、くくり、殺人者と自分達がまるで遠くかけ離れた存在であるかのようにする。そうやって安心したいために動機が必要なんだと。だが実際は、いろいろな原因が積み重なり、たまたま環境的に殺せる環境が整い、そして魔が差しただけ。それでも殺人は起こるんだと。ふむ。
誰でも殺したいとかいう感情はもってるし、あとはそれを実行できる環境が来るか来ないかだけの話で、殺人者と我々には何の隔たりもないのだと。実際そうだと思う。
確かに殺人の動機にこれみよがしに虐待だなんだと騒ぐ話には食傷気味になっていたころだから尚更そう感じたってのはあるだろうけど。
こういう京極の視点は、簡単に事件をくくらない立場にいる感じで
なかなか考えさせられた記憶がある。や、要因としては確実にあるんですよきっと。虐待とかされてるとね。でも、だったら虐待された子はみんな殺人を犯すのかっていったらそうじゃないし、殺人鬼と我々はどうしようもなく、心自体の基本機能は一緒なので、試してみてもいいけど誰でも真っ白い何にもない狭い壁の中に四六時中閉じ込めて、人に会せず、「しね」「ばか」「くず」とか、否定的な言葉を毎日あびせていたら確実に気が狂うように、条件さえ揃えてあげさえすれば人は狂えるし、別な条件が揃えば、殺人だって犯せるんだと思う。
だからって犯していいぞって話ではなくて、簡単に動機でくくって、「やっぱりねー! おーこわ!」って言って、自分とは違う人種みたいにして遠ざけちゃう人々よりも、僕はあくまで同じ人間として遠ざけないで怖がりたいし、自殺もそういう距離感で見つめたい、って話です。たぶん。
うつ病とかもそう。オーバーワークが続いて睡眠不足が続けば、条件がそろえば誰でも鬱になれるし、死にたくもなると思う。全然あさっての対岸の話ではない、と僕は思うのであーる。
で、今日は派遣さんがやめていくので送別会だから。仕事終わったら飲むぞ。