『物書きだもの』
僕はひらめき派の人間だから詩や短編は面白そうなビジョンが浮かんだ時に「なんかそれ楽し気じゃん!」っていうエネルギーがあるうちに書く。
旬が過ぎると、ネタがどんなに面白そうでも、それを書く気力が失せているので無理になる。
まだイメージは完全に決まってないことが多くて、頭の中でぐじゅぐじゅさせて浮かんだ書き出しをまず書いてみる。
これが書けるとすらすら決まってくるので書いていく。けど大抵書き出しは説明的でいらないからカットする。そして、一度アップしてからあちこちリズムやてにをはを微調整して完成させる(アップしてから見ると客観性を少し増して眺められる気がする。プリントアウトして眺めてる感覚で)。
趣味ならひらめき派でやっていてもいいのよ。好きな時に好きなだけ書けばいいから。
でも食べていくとなると、人から出された条件やクオリティを満たしたものを期日までに書かなきゃいけないから大変なのよね。ひらめかない限り書けないってなると。
ただ職業作家だと助かるのは、「最初のひらめきはいらない」ってところ。企画はすでに用意されているから。書くべきものは決まってる。
でもだからって、ひらめきがまったくいらないってわけじゃない。話の大枠や世界観が決まっていたとしてもドラマチックなお話自体を創っていくには結局ひらめきの連続が要求される。てかむしろ苦痛なくらいひらめきを入れこまないといけない。
それが散りばめられてないと面白くもなんともないし、豊かな作品にはならないから。「お、そうきたか!」なんてものを常に入れていかないといけない。
短編やショートショートなら単線の一発ネタで強引にいけるところがあるから一回のひらめきでいいし、詩もなにか突発的な情念でえい! といけることも多い(と思う)。
仕事の場合、自分の好きなものだけ書いていい、ってわけでもないので、モチベ的に純粋に書くこと自体を楽しんだり、構成を楽しんだり、とにかく頼まれた内容を好きになってやることができないとけっこうきつい面がある。
例えば「乙女ゲーム(プレイヤーの分身ともいえる女性主人公がこれもかっていうくらいの様々なイケメンたちの中から誰かを選んで落として、恋仲になって溺れていく糖度の高いアドベンチャーゲーム群――といったら語弊があるか。や、語弊しかないか;)」が意にそぐわない、書きたいものではなかった場合でも、仕事だし、書けって言われたら書かないといけない。
無論、もう仕事を選べるフリーランスの人は好きに選んで書いてるかもしれないけれど。会社に所属していればそれはまあほぼできないわけで。
長いもの、それこそ半年以上かけて執筆しなきゃいけないようなものの場合は、特に圧倒的に忍耐力が要求される。考えたくなくても締め切りに追われ、ぶーぶーダメ出しをくらいながら、それでも考え抜いて、やり通さないといけない。
二度と書くかって思うこともあるし、もう書けないって思うこともある。それくらいやりこめられてしんどいのに、やっぱりこの道をあきらめないのはきっとバカなのか、どこか狂ってるんだと思う。
そりゃあーた(貴方)、本当は好きなものを好きな時に書いて、それだけで食べたいって思うわな。
(けど、自分の書き幅は広がるから好きでないものも挑戦させてもらえるって有り難いなって思いながらやるし、仕事があるだけ有り難いわけで、今は演出がメインになってるからあれだけど、いつかまたあの苦しい道に放り込まれて全米を泣かせてみたいって思う。PS4の『レッド・デッド・リデンプション2』とか『ウィッチャー』とかさ、もうあの辺はハリウッド映画並みのシナリオだし。世界でしこたま売れてるわけだし。ただゲームシナリオは映画とか小説の何十倍も物量あるし、頭使うけども。なんせ一本道じゃないマルチエンディングが普通っていうか、ゲームのだいご味になっとるわけだからして; ほんとにめんどくせーんだよゲームは )
でも、あのYAWARAの浦沢直樹が何十年も漫画を描いてきて、今やっと一人で好きなものを書かせてもらってるって言ってたし、それができるのはとことん登りつめて偉くなった一握りの人なわけで、我々みたいな末端の無名な輩は、たとえば僕なら「演出」とかちょっとやさっとじゃ誰にも負けんぞっていう他の武器を持ち合わせながらなんとか食いつないで「何もかも全部自分の財産になるわい!」って思って歯を食いしばってのたうち回りながら生き残っていくしかないのだよ。
馬鹿だなあ。しかしそこがまた愛しい生き物なのだよなあ。
やべ、現実逃避が半端ない。仕事しよ。
水もしたたる真っ白い豆腐がひどく焦った様子で煙草屋の角を曲がっていくのが見えた。醤油か猫にでも追いかけられているのだろう。今日はいい日になりそうだ。 ありがとうございます。貴方のサポートでなけなしの脳が新たな世界を紡いでくれることでしょう。恩に着ます。より刺激的な日々を貴方に。