麻布学園OB+オーケストラ特別演奏会2024曲目解説
1.「展覧会の絵」という作品について
「展覧会の絵」は、39歳の若さで急死した画家の友人ハルトマン(ガルトマンとも)の遺作展に触発されて1874年に書いたピアノ独奏のための作品です。組曲形式であり、ハルトマンの絵を元にしたとされる10曲と「プロムナード」に類される短い6曲の2種類で構成されています。
当時、創作活動を含め生活が思うようにいかなかったムソルグスキーは、わずか3週間という極めて短い期間でこの作品を書いたといわれています。しかし、ムソルグスキーの生前だけでなく、没後5年に楽譜(リムスキー=コルサコフ版)が出版されてもあまり注目されることはありませんでした。没後40年を経て、ロシア出身の指揮者クーセヴィツキーの依頼受けてラヴェルが編曲したオーケストラ版により、今日まで続く世界的な知名度を得ることとなります。
2.今回の編曲意図について
この作品にはラヴェル版やストコフスキー版をはじめたくさんの編曲があることが知られていますが、今回は「遺作展」がモチーフになっていることを中心に据え、ムソルグスキーの自筆譜に寄せながら「友人の死を通して自身の生を見つめ直す」ことをテーマとして臨みました。
編曲にあたり、大きく3つの視点を意識しました。まず、遺作展の絵を通してハルトマンの足跡を辿り、彼の偉業を讃えるというもの。次に、遺作展でのインスピレーションに突き動かされて作曲するに至るムソルグスキーの心情変化。そして、ムソルグスキーがこの作品に込めた、奏者及び聴衆への想い。この3つの視座は常に同居させることができますが、その中でどれを中心に据えるかでもこの作品の響き方が変わります。楽譜を眺めるだけでも全く飽きることがない素晴らしい作品です。
また、「友人の死を通して自身の生を見つめ直す」という普遍的なテーマを掲げるにあたり、自筆譜に記されている「ハルトマンの思い出に」という副題を省略することとしました。ハルトマンの死と遺作からムソルグスキーが受け取ったものは2人の関係性の中に終止するものではなく、ムソルグスキーがこの作品に遺したことで、現代に生きる我々を含め作品を鑑賞する全ての者の心に影響を与えうるものだからです。
大変恐縮ながら、私はこの作品やムソルグスキー、そしてロシア芸術の専門家ではありません。アカデミックな考察とそれに基づく編曲は他の優秀な方々に任せるとして、日本に生まれ育った私がこの作品を知り、ピアノ版・オーケストラ版の様々な演奏を聴くなかで感じた気づきをもとに、改めてムソルグスキーの自筆譜と向かい合いながら再構成していったものになります。
今回の編曲を聴くことで、この名曲が皆さまの心により深く響く、その一助となれば幸甚です。
3.各タイトルの表記方法について
ムソルグスキーはこの作品において、各曲の題を様々な言語で記しているため、作曲者が記した言語での題をそのまま採用することとしました。
またプロムナードについて、ムソルグスキー自身は番号づけを行っていないでだけなく、そもそも「プロムナード」と題されるのは冒頭と6-7曲目の間のものだけであり、それ以外はタイトルがついていません。ただ、慣例もあるので、識別にあたっては「n曲目とn+1曲目の間(プロムナード)」の形で表記することとしています。
4.編成
アマチュアオーケストラでも演奏しやすいよう特殊な楽器や奏法を減らし、難易度を抑えつつ、各楽器にスポットがあてながら多彩な響きが得られるよう工夫をしています。特に楽音を持たない打楽器については、理論上全ての和声と調和する可能性があるという考えのもと、和声進行やフレーズの要所を伝える意図で使用しています。
ピッコロ、フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン2、バストロンボーン、テューバ、ティンパニ、バスドラム、スネアドラム、シンバル、サスペンションシンバル、トライアングル、タンバリン、弦5部
5.各曲について
・Promenade プロムナード
友人の遺作展の知らせを受け、故人に思いを馳せながら会場へ向かうと、そこでは想像を超えた体験が待っていた、という作品全体の序曲的な性格を込めています。
この作品を世に知らしめたラヴェルに敬意を表するとともに、遺作展の存在を伝え聞くことや故人への思索をめぐらすといった要素を加味して、冒頭のソロはオフステージのTpを選択しました。はじめは少人数のアンサンブルが応えますが、タンバリンを伴う3度目の後は突然Tuttiとなり、世界が拡がるようにしています。その後はいろいろな管楽器のサウンドが入れ替わりつつ盛り上がり、舞台上の金管楽器を含むTuttiで終わります。
・No.1 Gnomus グノーム
グノームは「こびと」と訳されることもありますが、ロシアの民話に出てくる愛らしい妖精のようです。元となったとされる絵も、子どものおもちゃのためのデッサンといわれています。しかし、ffで始まるモチーフはあまり穏やかではない雰囲気です。
この作品を「友の死を通して生を見つめる」という観点で見たとき、1曲目に置かれたこの曲は「死」を直視するという辛く苦しい作業を表しているようにも感じられました。人の世ではない場所に恐る恐る踏み込んでいく、その横でグノームたちがちょこまかと現れては消えていく様が描かれているようにも感じられます。
・1-2曲目の間 (Promenade)
この曲に限らず(Promenade)としている曲については、音楽自体には調性があるものの、譜面上は調号がなく、臨時記号を逐一書くことで調性が実現されています。普通に調号を書くより手間のかかる方法をわざわざムソルグスキーが用いていることは、これらの曲を理解する上で重要でしょう。
冒頭から全音分下がりAs-durの内向的な雰囲気が醸し出されますが、調性を誤魔化すような形で着地します。なお、6-7曲目の間のプロムナードで舞台上に戻ったTpと一緒にTbが演奏することから逆算して、このプロムナードのメロディーはTbが担当します。
・No.2 Il vecchio castello 古城
タイトルはイタリア語。ハルトマンが描いた絵には吟遊詩人がおり、城にまつわる歴史を人々の生き様を交えながら語っているのかもしれません。
ラヴェル版ではSaxが演奏する2つ目のメロディーには伝聞的性格があると考え、オフステージのTpに割り振りました。古城の雰囲気や吟遊詩人の語りによりだんだん過去に引き込まれていくかのように、このメロディーはいつのまにか舞台上の楽器に移っていき、最後はまた伝聞に戻る、という構成にしています。
曲を通して演奏されるGis(ソ#)の連続は1,4拍目だけのケースと1,3,4,6拍のケースと2種類あります。この変化をわかりやすくするために、曲を通してティンパニがGisを演奏し、後者が現れるときにタンバリンに担当させる形としました。
・2-3曲目の間 (Promenade)
この曲も調性はあるものの、譜面上に調号はありません。冒頭から半音上がってH-durとなり、少し勇ましさも感じるのは前の曲の影響でしょうか。弦楽器と木管楽器が交互に演奏しながら、徐々に楽器の数が少なくなり、3曲目につながります。
・No.3 Tuileries ( Dispute d’enfants après jeux )
テュイルリー(遊びの後の子どもの口げんか)
ハルトマンがフランス滞在中に描いたとされる、パリのテュイルリー公園の子どもたちの絵がモチーフとなっており、タイトルもフランス語でつけられています。「遊びの後の子どもの口げんか」という副題にしては綺麗な印象を受けます。
この作品において子どもをモチーフにした曲はこの3曲目の他に5曲目がありますが、5曲目の快活な感じに比べて、3曲目はどこか影があるようにも感じます。子どもは無垢で美しい世界を持つのと同時に、弱さ・儚さ・危うさも秘めているからでしょうか。
・No.4 Bydlo ビードロ
Bydloはポーランド語で「牛」を意味すると同時に「虐げられた人々」という意味も持ちます。元となった絵は判明していませんが、ポーランドでの処刑を描いた絵を題材にしたという説もあるようです。
ムソルグスキーはこの曲の冒頭をffで書いていますが、リムスキーコルサコフ版(ピアノ)とそれに基づくラヴェル版ではppで始まり徐々に大きくなるようになっています。今回はメロディーのVaと伴奏のCb、どちらも人数を絞った上でのffとし、演奏人数が増減しながら進んでいくという構成にしました。
重い牛車を引かされているような8分音符の伴奏の上にあるメロディーは、その状況に対する怒りを表しているようにも思えます。怒りの強さや規模は増減しながらTuttiでの強奏を迎えますが、急にpとなり、最後はCb1人が残って幕が降ります。
・4-5曲目の間 (Promenade)
調性があるものの調号がないというのはこれまでと同じですが、3曲目・4曲目と2曲続いてから(Promenade)が現れるのは初めてです。
この曲には全ての楽器が休符となる拍の挿入や、Hrや低音楽器に十字架音型が見られ、4曲目で表現されたような凄惨な状況を深く悼み、祈りを捧げている印象です。曲の最後ではこの重苦しい空気を打ち破る兆しが垣間見えて、5曲目へ続きます。
・No.5 Balet nevylupivshikhsa ptentsov 殻をつけた雛鳥の踊り
タイトルはロシア語で、この曲の元となった絵はバレエの衣装デザインであり、卵の殻から頭と手足を出した衣装は、生まれたばかりの雛鳥のようです。子どもたちが元気いっぱいに踊るかわいらしい光景が目に浮かびます。
4曲目から続く重苦しい空気を変えるのは、子どもの持つ純粋さなのではないでしょうか。その生命力溢れる踊りに大人たちが少しずつ癒されていくように、トリオ(中間部)からは弦楽器が加わり、繰り返して始めに戻った際は弦楽器も踊りに参加し、徐々に和やかな雰囲気になるようにしています。
・No.6 Samuel Goldenbelg und Schmuÿle サミュエル・ゴールデンベルクとシュムイレ
金持ちと貧乏の2人のユダヤ人を描いた2枚の絵がモチーフで、2者の対話における対照的な話し方が描写されているとも言われています。しかし、差別と迫害による当時のユダヤ人の状況を踏まえると、この2つは別々の境遇と捉えるのでなく、金持ちと貧乏とが地続きであることも示唆しているのかもしれません。そして行き着く先では、貧富の差にかかわらず「死」が口を開けて待っているのです。
裕福なゴールデンベルクをイメージしたどっしりとしたメロディーの後に、貧しいシュムイレの話し方をイメージしたせわしないフレーズが出てきます。ただ、話し方にばかり着目して話している内容を聴かないのはフェアではないと思い、後者のフレーズは2人のVnに交互に演奏させ、その裏にある弱音器をつけたTpとHrのメロディーを聴きやすくしています。
また、曲の終わりにおいてラヴェル版とはメロディーの一部や最後の音の長さが異なりますが、これはムソルグスキーの自筆譜に準拠しています。
・Promenade (6-7曲目の間)
ラヴェル版では省略されているものの、プロムナードを冠する曲が再び現れるこの曲は、作品の折り返し地点として重要な意味を持つと考えています。
前半はほぼ冒頭のプロムナードと似た構成ですが、後半では2回、金管楽器が流れを切ってフレーズを差し込みます。曲の終わりも少し拡張され、最後はTpのみがフェルマータで残ります。6曲目までの内容を受け、遺作展自体が少し違って見えているのかもしれません。
・No.7 Limoges. " Le marché " ( La grande nouvelle ) リモージュ「市場」(重大なニュース)
フランスの町リモージュの市場がテーマであり、タイトルはフランス語です。この曲の元となった絵は判明していませんが、「重大なニュース」というのは深刻な出来事に関する知らせではなく、市場を行き交う人々の噂話に近いもののようです。ムソルグスキーは噂話の内容と思われる「○○氏が逃げた牛を捕まえた」と始まる長い2つの文章を自筆譜に記しましたが、後に横線で消しています。
軽快なテンポの中で、噂の内容が人づてに変化していく様子が描かれます。最後は市場の喧噪を俯瞰して見つつも、その関心は既に市場でない場所に向いているかのようです。
・No.8 Catacombae ( Sepulcrum nomanum ) カタコンブ(ローマ時代の墓地)
パリにあるローマ時代の墓地を訪れた際の絵がモチーフになっており、タイトルもラテン語で書かれています。この作品が遺作展に触発されたものであることを考慮すると、軽快な7曲目と対比させていることで、「重大なニュース」よりも重く大切なものをこの曲に込めているとも考えられます。
ラヴェル版では金管楽器の強奏が目立つ曲ですが、下降するベースラインと和声進行をつかみやすいよう、音量変化を弦楽器に限定して、その裏に超然としたTbのサウンドが見え隠れするようにしています。
また、この曲ではピアノ曲であるにもかかわらず持続音に対するcrescが書かれているため、ムソルグスキーにはこの作品をピアノ独奏以外の編成にする計画があったのかもしれません。
なお、次の曲もこの8曲目の一部であると考えられますが、わざわざ段を分けて「attacca」まで記入しているため、今回はタイトルを分けて記載することとしています。
・Cum mortuis in Lingua Mortua 死せる言葉による死者への語り
メロディーはプロムナードのものとほぼ同じ音列ですが、これまで8分音符で動いていた箇所が全て4分音符になっており、生きているときにあった何かが決定的に失われたようで、まさに「死せる言葉」であるといえます。
なお、ラテン語のタイトルについて、ムソルグスキーの自筆譜においては「Con mortuis」から始まっていますが、本来「Cum」で始まるべきであるため、今回の譜面においては修正しています。
・No.9 Izbushka na kuryikh nozhkakh ( BaBa-Yaga ) 鶏の足の上の小屋(バーバ・ヤガ)
タイトルはロシア語です。バーバ・ヤガはロシアの民話に出てくる魔女であり、人の骨を食らい、鶏の足が生えた小屋に住んでいるとされます。元の絵はバーバ・ヤガの小屋をモチーフにした時計のデザイン画であり、曲全体の躍動感はバーバ・ヤガが迫り来る様子が表現されているといえますが、それと同時に「時の流れ」というものが少なからずあるようにも感じます。
おどろおどろしさと同時に一種の高揚感のあるこの曲には、ハルトマンの遺作展で受けたインスピレーションそのままに作曲を進めていくムソルグスキーの姿が見えるようです。素晴らしい作品を遺した友の偉業を伝えるためか、または限りある命の中で作品を遺そうとする意志なのか。脇目も振らずに突き進む中で到達した先にあるのはロシアの歴史を描いた絵画で、ハルトマンと語り合ったロシア芸術の未来を讃えているともいえます。
ただ、駆け抜けた先にある10曲目の冒頭の音量記号はfであり、9曲目の最後で拡がった音域も10曲目の冒頭ではコンパクトにまとめられています。これは、9曲目の躍動感そのままに10曲目へ到達するのではなく、その途中で何かに気づき、足を止めて見つめた先に10曲目がある構成ではないかと考えました。そのため9曲目と10曲目の間はattaccaながら間をあけるように記譜しています。
・No.10 Bogatyrskie Vorota ( vo stolnom gorode vo Kieve )
ボガトィリの門(キエフ[キーウ]の首都にある)
優れた作品とは、常に歓声や拍手喝采に包まれているものばかりでしょうか。見た瞬間にハッと息を飲み、静寂の中で作品の世界に引き込まれ、己の感性の根幹が揺れ動く。そしてゆっくりと、心の奥深くから突き動かされた賛辞が送られる。この10曲目は、そういうものではないかと考えています。
絵の世界に引き込まれるように、荘厳なメロディーは現れる度により豪華な響きになっていきます。2度目のコラールを経て、鐘の音が響く中にプロムナードのメロディーが浮かび上がってくる様は、現実の枠を超え、この門の下でムソルグスキーとハルトマンが再会して語り合うようです。再度現れる荘厳なメロディーの後、移り変わる和声の中で連続する3連符は次第に細かく刻まれ、高まる感情と反対に現実に戻らなければならない割り切れなさを想起させます。そして8分音符のトレモロとフェルマータが同居する不思議な時空間の中で友と別れ、繰り返されるEs(ミ♭)の音で少しずつ現実に戻っていき、友との思い出を胸にまた前へ進む、そんな姿が見えるようです。
ラヴェル版では豪華絢爛な和音で終わるのに対し、自筆譜においては最後の3小節間はEsの音のみとなっています。この違いによる印象の差は大きく、この10曲目は世間で知られているよりもずっと内向的なものではないかと考えています。限りある命の中で時の流れに追われながら生きるのではなく、それを受け入れ、いつか来るその時に少しでも胸を張っていられるように生きる。遺作展及びこの作品から受けたインスピレーションが、鑑賞した者の生きる力を、ゆっくりと力強く押してくれる気がするのです。
ちなみに、いわゆる「キエフ[キーウ]の大門」として有名なこの曲ですが、モチーフとなった絵はハルトマンが描いた「設計図」であり、このデザインの門は建造されることはありませんでした。かつて栄えたキエフ[キーウ]大公国の首都にそびえたっていた荘厳な門をイメージしていると考え、ムソルグスキーが書いた当時のキエフ[キーウ]ではなく、キエフ[キーウ]大公国の古都を指していることが明確になるよう、ムソルグスキーの記したロシア語に沿った訳を採用しています。ボガトィリとは、ロシアに伝わる口承叙事詩に出てくる英雄のことを指します。
なお、キエフ[キーウ]の表記については、昨今の社会情勢を踏まえつつも、かつて存在した大公国の名前にまでそれを適用するのが適切かを悩んだ結果、両方を併記する形としています。痛ましい戦禍が少しでも早く収束することを切に願うばかりです。
6.むすびに
本日このような機会をいただけたことについて、鈴木優人さん及び奏者の皆さまに深く感謝いたします。譜面の完成も予定から遅れ、ご迷惑とご心配をおかけしましたが、支えていただいた全ての方のおかげでここまでくることができました。私自身も奏者の一員として是非お楽しみいただけますと幸いです。
7.編曲者プロフィール
麻布学園中学校・高校を経て早稲田大学政治経済学部卒業。3歳よりエレクトーン、中学よりトランペット、社会人になってからチェンバロを始め、サラリーマンとして働く傍ら、アマチュアオーケストラ等に複数所属して余暇の音楽活動を楽しんでいる。
麻布学園OB+オーケストラには初回(2014年)より毎回参加。2016年の演奏会で舞台上の全員で校歌を演奏できるよう楽器の追加部分を作成したのをきっかけに、その後も校歌等の譜面の調整を行い、2019年からはラプソディ・イン・ブルーの編曲を担当。
「ユリの足跡 Walking Lilies」(トランペット4重奏)にて第7回K作曲コンクール動画審査部門第3位入賞(1位、2位なし)。