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現代版「行動学入門」

半年程前に、CDと本の整理をした。ジャケットが気に入って購入したもの、誕生日にプレゼントしてもらったもの等で収納棚には収まり切らず、無造作に積まれていた。本はもう数え切れない。

私はデジタル書籍が苦手である。残りページ数が紙の厚さで感覚的に測りながら読み進めないと嫌なのだ。視覚的、触覚的に、紙への拘りが人一倍強いらしい。CDはBOOKOFFに持ち込み、なんとか処分することができたのだが、本はもう二度と読まないだろうというもの以外はどうしても処分することができなかった。本の価値は読んだ人にしかわからない。『本は財産』そう割りきり、書斎の片付けは、ここで一旦終了となった。

昨日「ReHacQ生配信」を拝見していて『世界の果てに、ひろゆき置いてきた』エピソードの中で、東出昌大さんがバスに揺られながら読まれていたという本が何だったのかという話題になっていた。それは三島由紀夫『行動学入門』だったという。やはり処分ができずに残しておいた本の一冊である。手に取るのは久しぶりだ。

三島由紀夫は、自決する一ヶ月前にこの本のあとがきでを書いている。要約すると、行動のむなしさと、むつかしさであり、この本は若い男性読者のために書かれたものだと位置付けている。自身の著者の中でも軽く書かれたものに属するが、「人はこういう軽い形で自分の考えを語るときに、本音に達することが多い」とも…。そして「これらの中に、私の小説よりも直接に、私自身の体験や吐息や胸中の悶々の情や告白や予言をきいてくれるであろう」と言っている。

このあとがきを改めて読んだ私はハッとした。これから続いていくこの番組のエピソードの数々も、この雑談形式の会話も、三島由紀夫のいうところの「彼らの軽い形での告白」なのではないだろうかと思ったからである。彼らとは、東出昌大氏、西村博之氏、そして制作者である高橋弘樹氏も含まれている。

三島由紀夫『行動学入門』

そして三島はこのあとがきをこう締め括っていた。いつか又時を経て、「あいつはあんな形で、こういうことを言いたかったんだな」という、暗喩を悟ってくれるかもしれない。「何かによってしか証明されないものを、別の不適当な方法、手段によって証明しようとしたもの」と概括されるだろう。だから、それは、はじめから不可能な模索なのである。もっともわかりやすい読み物の形で、もっともわかりにくい問題を語るというのは、本来粋なことなのであろうが、作者の性格からして、一向枠にならなかったのは慚愧のいたりであるー。

今回の『世界の果てに、ひろゆき置いてきた』で見ることができる彼らの体験や、吐息や、胸中の悶々の情や、告白や予言、それはまさしく現代版、三島由紀夫の『行動学入門』になり得るのかもしれないと、今から期待に胸を膨らませている。

#ReHacQ #ひろゆき #東出昌大 #世界の果てにひろゆき置いてきた



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