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私が饂飩屋に通う理由。

いつも行く、神楽坂の饂飩屋の親子。息子が既に跡を継いでいるのだが、90歳くらいになる父親も現役で店に立っている。息子に向かって、やれ段取りが悪い!こっちの鍋が先だ!と一喝する姿は、常連客にとっては名物にもなっている。

そんな父親に対し、息子は不貞腐れる様子はなく、むしらろ嬉しそうに見える。週末のこの日も「はい、はい」と素直に応えていた。それはまるで、「この店には親父がいなくちゃ駄目なんだ」と言っているかのようだった。きっとこの息子には分かっているのだろう。この店で親父から叱ってもらえることが、永遠には続かないということをー。

人間には“守るべきもの”と“やるべき仕事”があって、初めて幸せを感じることができる生き物なのだと思っている。誰某より収入が多いとか少ないとか、あの人は成功者だとか成功者じゃないとか、そんなことを気にしたり比較をすることに一体、何の意味があるというのだろうか。一般的に成功者と言われる経営者は、その守るべきものは、自分の家族や肉親には留まらず、その会社の従業員や家族、取引先やその関係者にまで及ぶ。その重責は、計り知れない。そうしたものに打ち克つために必要なスキルを兼ね備えているそうした人たちは、私の知り得るかぎり「私利私欲」のために生きてはいないようである。

九条ねぎ饂飩

また今日もあの親子がね…

饂飩を食べ終えて会社に戻り、同僚に饂飩屋の話をすると、突然こんなことを言われた。

ー饂飩よりも何よりも、あの親子のことがよほどお気に入りなのぬ。あ、でも違うかも。あの親子と言うより…

あの親子というより…、何?

人間がすごく好きなんだと思う

え?まさか…この私が、人間好きですって?(笑)

そうよ。絶対に。

週末に交わしたこの会話のせいで、ずっとこのことが頭から離れない。もしかすると私は、人間が好きなばかりにいろいろな人に興味を持ったり、好きになったりして、それが独りよがりなものだから期待を裏切られたり、空回りしたりするせいで「私は人間が嫌いなのだ」と決めつけているとでも?だからそうやって自己防衛をしながら、傷付かないようにしているとううこと?

私が人間を好きか嫌いかはさておき、観察をするのはすごく好きだし、面白いとは思っている。でもやはり人間というのは厄介なものである。そう思うのには理由がある。それさ例え肉親でも深く関わることはしないほうがいいと思えるような経験をしたからである。

こんな私でもSNSをやり始めてから、人間嫌いが少しだけ、改善された一面もある。それはどんな成功者でも金持ちでも駄目な部分はあるし、それでもいいんだと教えてもらえたりもするからだ。そうしてSNSで出会う人たちは、深く関わる可能性がない人たちだということが前提なのである。人間は関われば必ず、嫌な面も見なくてはならなくなる。SNSで見聞きする情報は、自分の都合のいいように切り取って解釈し、自分にとって都合の悪い部分は切り捨てて見ればいいし、そんな自由くらいは、あってもいいと思っている。

ところで私は金持ちや成功者という肩書きには、全く興味がない。そういう人たちに肖りたいとも思わない。
なぜなら私の妹も、親戚も皆、経営者だからである。

彼女らは中央区に自宅を構え、高級車に乗り、電車に乗ることはない人たちなのである。そうした世界は、私には全く馴染めないものなのだ。妹は、近隣に住む経営者たちと銀座界隈の夜の街で、飲み歩く毎日を送っていた。一度、呼び出されて、飲んだことがある。その日は平日だったので翌日も仕事があるし、何よりもつまらなくて少しでも早く帰りたかったので、「そろそろ終電の時間もあるので」と挨拶をしてから席を立った。するとその場にいたある人が、驚いたようにこう言い放った。「タクシー代を気にして帰るようなお姉さんがいたとは、びっくりしたな。」

私はそれ以来、この界隈の人間や妹たちから距離を置いた。私にとって中央区の億ションに住んでいる鼻持ちならない経営者と過ごす時間より、饂飩屋の親子を眺めているほうが、よほど幸せを感じられるからである。
そして血は繋がってはいても、価値観も、生き様も全く異なるのが人間という生き物であり、ましてや赤の他人と自分の幸せを比較するなどというのは全く意味のないことだということを、私はこのことから学んだのだった。妹を取り巻く経営者たちの中には、羽田空港ターミナルの中にあるホテルの運営会社の社長もいた。

その当時(2015年)は、飛行機のファーストクラスをイメージしたホテルを全国へ急ピッチで展開するのだと息巻いており、私が「ただのカプセルホテルだ」というと「違う、カプセルじゃない!これはコンパクトホテルというのだ。」と窘められた。その違いや拘りが、私にはさっぱり分からなかった。それから5年後、その会社は倒産し、妹は慢性膵炎になってしまった。今では大好きなお酒も全く飲めなくなってしまったようである。

そうしたわけで、人間は観察していると面白いものだとは思うのであるが、人間が好きだと言えるようになるにはまだまだ、時間が掛かりそう気はしている。



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