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山田浅漬け右衛門

茄子とか胡瓜とか夏野菜がそろそろ出回り始める。
近所の農家から頂く機会も多く、ありがたい。様々な料理に使わせて頂いていますが、火も使わず手軽に出来る逸品を作りながら、江戸の処刑人を妄想した記録。


材料

茄子 1本(2本写っているけど、お気になさらずに)
昆布 好きなだけ
塩  大匙1

徳川家康の側室の一人、阿茶の局の親族だったと言われるのが山田浅右衛門。
江戸時代になると『御試御用』という役職を拝命。
これは刀の切れ味を鑑定する役割。
元々は矢野勘十郎という人物が承っていましたが、弟子だった浅右衛門がそれを受け継いだ。
刀は実際に斬ってみないとどれだけ切れるのかわかりませんが、戦がなくなった江戸時代ではなかなか人を斬る機会はない。
貴重な機会となるのが罪人の処刑。それを請け負う。
ところで山田浅右衛門というのは個人名ではなし。代々受け継いだ名跡とか屋号というべきもの。ということで江戸時代には八代の浅右衛門が存在。
歌舞伎役者みたい?


半分に割った茄子を小口切り。

というものの八人の浅右衛門、実は血縁関係はないことが多い。
江戸時代の処刑は斬首。これにはかなりな技量が必要。第三頸椎と第四頸椎の間に刃を入れないと首は切れない。
更にただ斬ればいいということではなく、斬った首を飛ばしてはいけない。首の皮一枚で残して、首の重みで罪人の膝元に落ちるようにしなければならない。
これが出来ないと罪人の苦しみを長引かせ、尊厳も失わせるので、自分の息子でも釼の技量が確かでなかれば稼業は継がせず、釼の腕が立つ者に浅右衛門の名と稼業を譲った。
修練の仕方は畳を二つ合わせて、その隙間にひたすら刀を振り下ろすというもの。
また独自の釼術があり、山田流居合術。
こうした技量を身に付けた歴代浅右衛門が斬った人数は総勢2400人以上。


塩を揉み込む。

御試御用という役割ですが、実は正式な役職ではなく身分は浪人。仕事がある時だけの臨時雇い。
罪人の首切りというのは本来、役人が行うことですが、人を殺すのはやはりハードルが高い。しかも仕損じると武士の恥。
そこで外注に出したということ。
いくら払っていたかというと、ゼロ。というより浅右衛門側が金を払って請け負っていた。
人斬りの機会を求めたというだけではなく、役得がありました。
今のような人権という意識は薄いので処刑後の死体はモノ扱い。浅右衛門はそれを払い下げてもらっていました。
首だけではなく胴体も試し斬りに使えるということ。本業の刀の鑑定に大きく役立つ。
料理しながら言うべきことではないかもしれませんが、更にエグイ副業が臓器売買。
当時、人の肝は結核の薬になると信じられていました。浅右衛門丸と名付けた肝から作った薬を販売。
浅右衛門邸に泊まった人が夜中にポタポタ軒先から音がするので雨かと思ったら、人の肝が軒先に干されていて、そこから血が滴る音だった。


水で戻した昆布を適当な大きさに切って混ぜ込む。

副業のお陰で浪人と言いながら浅右衛門家はかなり裕福。三万石から四万石クラスの大名に匹敵する収入。しかし、そうした収入で贅沢していた訳ではない。家には八體の佛像と多くの位牌。斬った罪人の供養ということ。更に髻、つまり丁髷の結び目を埋めた塚を作った。
将軍が日光に参拝する時には三百両を献上と公のためにも使った。
三代目浅右衛門からは俳句を学んだので、その礼金も師匠に払ったことでしょう。これは罪人の辞世の句を理解するため。罪人の首切りとはいえ、金のためではなくきちんと死と向き合っていた。処刑があった夜、浅右衛門邸では宴会。これも人殺しの呵責を忘れたいからでしょう。ただ近所の人々は浅右衛門に斬られた魂が暴れているなんて噂したとか。
勿論、本業である刀の鑑定もしっかりと斬っている山田浅右衛門の鑑定ということで、正に折り紙付きの高評価。礼金も弾まれる。それに刀のガイドブックのような物も発行。


ビニール袋に入れて重しをして30分位置く。

そんな浅右衛門が斬れなかった罪人が存在。
土壇場に据えられた罪人、その首筋には『東照大権現』と入れ墨。
つまり徳川家康の神号。幕府の御用を務めている浅右衛門には家康の名前を斬ることは出来ない。結果、この男は死罪を免れて島流しに。
それが噂になり、首筋に東照大権現の入れ墨の犯罪者が増える。
ついにそうした一人が斬首となり、浅右衛門の前に据えられる。
浅右衛門は軽く刀を振る。すると『東照大権現』と書かれた皮だけが剥がれ落ちた。その後で首を斬り落とす。家康の名を斬ることなく首切り成功。
これにて入れ墨ブーム終了。

これだけの技量を持ちながら浪人のままだったのも奇妙ですが、八代将軍吉宗に謁見する機会。この時に申し出ていれば直参になれたかもしれませんが、そうはせず。
本人がそれを望まなかったとも言われます。直接、死に触れる穢れ仕事なので遠慮したか、旗本になると世襲にせざるを得なくなり腕が落ちる浅右衛門が誕生するかもしれないと危惧した?

山田浅漬け右衛門

茄子自体から出た水分でしっとり。昆布の旨味成分、グルタミン酸が塩味をまろやかにしてくれる。
抗酸化成分たっぷりな茄子を美味しく頂ける。昆布のフコイダンは抗がん作用がある。
これだけでご飯が美味しく頂ける。

幕末の浅右衛門、安政の大獄で処刑を命じられた大物の首斬り。
吉田松陰。
その最後は静かに座して、検視の役人に
「お役目、御苦労様にございます」と挨拶。
落ち着いた堂々とした最後だったと語り遺しています。

明治になるとそのまま政府に首切り役として召し抱えられる。
そこで斬ることになったのが高橋お傳。↓

恋しい男の名を呼び抵抗するお傳をなかなか斬れず、二度も斬り損なう。
「母上を斬ってしまった」と呆然と呟いた。
愛する者のために生きようとしたお傳に母性を見たのか。

お傳が斬首となった後、死刑は斬首から絞首に変更。これにて首切りの仕事もなくなり、浅右衛門は東京監獄の書記係に。
ところが、明治十五年、死刑を命じられた元士族の巌尾竹次郎と川口國蔵が斬首を望んで浅右衛門を指名。
新たな時代に馴染めず犯罪者として処断されることになったが、最後は武士らしく死にたいと望んだ。
これを受けて再登板。これが本当に最後のお役目となった。

死刑が斬首から絞首に改められたのは国民から聲が上がったからではなく、西洋諸國から野蛮であると批判されたから。この國が外圧に弱いのは昔から変わらない。
絞首とは窒息死?或いは頸椎に衝撃を受けて死ぬ?苦しそう。
斬首は一瞬の内に死ぬとすれば苦痛も感じている暇もない?もっとも浅右衛門のような手練れにやってもらわないと、下手くそにやられたら後頭部とか背中を斬られて地獄の苦しみを味わうことでしょうけれど。
絞首も斬首もされたことがないので、どちらが苦しいのかよくわかりませんけれど、山田浅漬け右衛門をご馳走様でした。

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