マサラこふきい最上の鬼姫
こふきいもを印度風?にアレンジしながら、鬼と呼ばれた反面、お手紙好きで情感豊かな面もあった戰國の姫を妄想した記録。
ジャガイモ 2個
インゲン 4本
玉葱 1/4
大蒜 1欠け
ガラムマサラ 大匙1
塩 小匙1
黒摺り胡麻 好きなだけ
天文十七年(1547)又は翌年に出羽國(山形県)に生まれた義姫。父親は最上義守。
二歳上の兄が最上義光。義光は身の丈六尺(180㎝)と大男で、妹の義姫も大柄。氣が強かったことから鬼姫とも呼ばれた。
永禄七年(1564)頃に伊達輝宗に嫁いだ。武家の結婚は政略。
その例に漏れず、最上家と伊達家の対立の緩衝としての婚姻。
永禄十年(1567)に義姫が産んだ輝宗の長男が独眼竜、伊達政宗。
結婚後も実家の兄と文通していた。
実家と婚家の架け橋の役割を果たすため。にも拘わらず相変わらず伊達と最上の仲は良くならず。
天正六年(1578)夫の輝宗と兄の義光が戰。
義姫は両軍が対峙する戦場へ駕籠で乗り付けて、停戰を訴える。
結局、輝宗が折れて撤兵。
疱瘡に罹り右目を失った政宗が家督を継ぐのを義姫は快く思っていなかった。小説やドラマでは行儀と見てくれが良い次男の小次郎を溺愛していたからと言われるが、政宗では家を守ることは出来ないと思ったのかもしれない。
五体満足でも討たれることがある戰の世。片目は大きなハンディ。
更に政宗の苛烈な性格では周囲から恨みを買うと危惧していたのではないか。
蘆名家と戰った小手森城では敵兵を皆殺し。
畠山義継が輝宗を拉致すると、政宗は鉄砲を撃ち掛けて、父もろとも敵を皆殺し。政宗にとっては苦渋の決断でも、義姫にとっては息子により夫が殺されたことになる。
天正十六年(1588)ついに息子と兄が激突。
この大崎合戦で義姫は今度は輿で戰場に乗り付け、両軍の真ん中に陣取る。
八十日間の停戦後、和睦成立。
実家と婚家が戰わないようにという役割は見事に果たしている。
天正十八年(1590)秀吉が小田原征伐。政宗の許にも参陣するようにという命令。
義姫は祝いの膳を用意。それを食べた政宗は腹痛。毒入りでした。
気性が激しい政宗では秀吉に喧嘩を売るかもしれない。おとなしい小次郎を当主に据えて伊達家存続を図った?とよく言われる。
幸い、政宗は一命を取り留め、母を害することは出来ないので小次郎を処刑してから、小田原へ出発。
定説ではこのようになっていて、昔の大河ドラマ『独眼竜政宗』でもそのように描かれていました。
しかし、奇妙なことにその後、母子関係が悪化した風がない。
秀吉に臣従後、都や遠く朝鮮にまで渡った政宗と義姫の間には情感ある手紙の遣り取り。
義姫は和歌と共に三両のお小遣い入りのお手紙。
政宗は目ぼしい土産がないので、木綿の反物を送りますという返信。
夫ばかりか溺愛していた小次郎を殺した政宗と文通とは少し奇妙。
現代の地名でいう東京都あきる野市に大悲願寺。
ここに政宗の書状が遺されています。江戸から西に離れた此処にどういう縁があって政宗が?
鷹狩りの途中に立ち寄ったと伝承がありますが、それよりも氣になる話。
寺に居た秀雄(しゅうゆう)という僧侶は政宗の弟。
つまり小次郎は生きていた。殺したことにして密かに逃がしていた。
こういう事情ならば、義姫と政宗の仲が良好なままだったのも頷ける。
恐らく伊達家中に小次郎を擁立しようという一派があり、それを一掃するために政宗と義姫は一芝居打った。
義姫という女性は平和を強く望んだ人ではないか。ただ祈るだけででは平和は来ない。時には自分の命を危険に晒してでも行動することにより、それを齎そうとした。
ついには子供を毒殺しようとした悪名まで被った。
文禄三年(1594)政宗の留守中、義姫は伊達家を出奔。実家に帰ってしまいました。女性ですから囁かれる悪名に耐え切れなくなったのか、小次郎が実は生きているということが嗅ぎ付けられそうになり、身の危険或いは自らが人質に取られて政宗を窮地に陥れてしまうことを恐れた?
何しろあまり関係が良好ではない最上家出身なので、庇護者の政宗が不在では伊達家中での立場は危ういものだったと思える。
ビタミンCや食物繊維、カリウムをジャガイモから、インゲンからは抗酸化作用があるβカロチン、玉葱のアリシンが食欲増進でいくらでも頂ける。
ガラムマサラは辛みよりも香を付けるのが目的。
様々なスパイスが入っていて、ナツメグで整腸作用、クローブは胃腸を温める等々、いいこと尽くめ。
關ヶ原では最上家は西軍方の上杉家と交戦。
義姫は政宗に援軍を急かす手紙。様子を見た方がいいという家中の聲を無視して政宗もこれに応える。
親子の絆は健在。
兄、義光の死後、最上家は改易となり、行き場がなくなった母を政宗は仙台に迎え入れる。
元和九年(1623)というから、二十九年振りに婚家に戻ったことになる。
安堵したのか、この年の七月に仙台にて死去。享年は七十六歳。
戦場の真ん中にやって来て停戦を求めて居座るなんて男でもなかなか出来ないことをやってのけた。こうしたことから鬼姫などと呼ばれましたが、決して鬼のような恐ろしい人ではなく、戰を止めさせようという自分なりの考えから過激とも取れる行動を敢えてした独眼竜の母、義姫を妄想しながら、マサラこふきい最上の鬼姫をご馳走様でした。
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