信長はフェミニスト?マト茄子煮
昔、『女信長』という小説を読んだことがあります。天海祐希主演でドラマ化もされました。
上杉謙信が女だったという説があり、私ももしかしたらそうではないかと思っていますが、信長が女?というのは斬新でした。
今回、料理しながらの妄想はそのことではなく織田信長と女性の関わり。
茄子 2本
トマト 2個
ピーマン 2個
玉葱 半分
粒状大豆肉 たっぷり
ケチャップ 大匙1
豆板醤 小匙半分
ウスターソース 大匙1
塩 小匙1
敵対する者や怠惰な者には容赦ない制裁を加えたことから魔王のように言われる織田信長ですが、弱い存在には優しい面を見せたこともある。
戦国の世で弱い存在と言えば、やはり女。
力というだけではなく立場も弱い。日本における女性の立場の弱さを示しているのが名前。
女性の名前は殆ど後世には伝わらず。系図にもただ女としか記されず。
戦国に限ったことではなく、それ以前からもそうで、紫式部というのは本名ではなく呼び名。北条政子も便宜的にそう記されているだけで本名は不明。こんな例は日本史上に幾つもある。
しかし信長が率いていた織田家に仕えていた武士の妻の名前はよく伝わっている。
秀吉の妻はおね、前田利家の妻はまつ、山内一豊の妻は千代。
信長周辺の女性にしても妹は市、娘は五徳。
つまり信長は女性にも一定の地位とか役割を認めていた?
秀吉の妻、おねが亭主の浮気がひどいという手紙を信長に送り、
「以前に会った時よりも、あなたは更に美しくなった。あの禿げ鼠にはあなた以上の女性はいない。もっと氣持ちを大らかに持ちなさい」といった返事。
女は従属物のように考えられていた普通の大名家では考えられない遣り取り。
臣下の妻には気配りをしていた逸話がある信長ですが、自身の妻にはよくわかっていないことが多い。
正室の名は帰蝶とも胡蝶とも言われますが、これも本当なのかはよくわからず。
以前は小説とか読み物では濃姫と呼ばれることが多かったが、これは美濃から来た姫という言わば通称。
隣国、美濃との和睦の証しとしての政略結婚。
義父となった齋藤道三が亡き後、信長は美濃を攻略。本拠を其処に移したが、その頃には消息がよくわからなくなっている。
政略結婚だったので道三の死後、離別されたとも言われるが、その後も正室の座にあり続けて信長の死後まで生きていたとも言われる。
司馬遼太郎の小説では本能寺の変で、自身も薙刀を手に戦ったように描かれていましたが、これはフィクション。
戦国大名らしく、正室以外にも何人もの妻が信長には存在。
特に重要な、実質的な正室だったと言われる女性が生駒家宗の娘。こちらも実名は吉乃とも類とも言われるが、はっきりせず。
部下の妻の名前は伝わっているのに、信長本人の妻は不明とは少し奇妙。
若かりし信長は清須の居城から馬を飛ばして生駒家まで通っていたという。
吉乃或いは類が産んだのが信長の長男である信忠、次男の信雄、長女の五徳。
この三人は織田家にとって重要な役割を果たした。
信忠は織田家の家督を継ぎ、甲州攻めの総大将を務めるなどの活躍。しかし本能寺の変で父同様、明智光秀に攻められて討ち死に。
次男とされている信雄ですが、実際は三男。
間に他の側室が産んだ信孝が存在。こちらの方が二十日程出生が早いのですが、吉乃が産んだ男子が優先されている。このことからも信長にとって重要な女性だったことがわかる。
ともあれ、この信雄が本能寺後、秀吉政権、そして江戸時代まで生き延びて織田家の血筋を遺した。
信長の重要な同盟相手だった徳川家康の長男、信康の許へ政略結婚として嫁いだのが五徳。
信長にとって重要な子供達を遺した吉乃ですが、産後の肥立ちが悪く病気がちに。
その頃、信長は美濃攻略のために居城を清須から小牧山に移す最中。吉乃のための館も此処に建造。
小牧山城跡の発掘調査で、城内には枯山水の庭園が造られていた可能性が浮上。もしかしたら吉乃のためだった?
残念ながら吉乃は此処に移って間もなく死亡。
これを知った信長は人目も憚らず落涙。
愛知県江南市にあった久昌寺が吉乃の菩提寺。
残念ながら何年も住職不在でついに取り壊されということを知りました。
20年近く前になりますが、若き信長の史跡を訪ねて愛知県を旅したことがありました。このお寺も行ってみましたが、その時から既に無住の寺。
偶然、ご近所の方に遭遇。
御親切にも本堂を開けて、中を見せて下さいました。
住職がいないので近隣で鍵を管理しているとのことでした。
吉乃の位牌等を拝見したことを思い出す。
昨年、取り壊されて史跡公園になったとネットで知りました。その後、訪れる機会がなかったのが惜しまれる。
トマト、茄子、ピーマンと夏野菜たっぷり。
豆板醤の辛みがよく利いている。
茄子のナスニン、トマトのリコピン等の抗酸化物質をたっぷり頂ける。
野菜豊富ということは食物繊維も豊富。
大豆のタンパク質も入っているので食べ応えあり。
信長の正室、帰蝶ですが信長死後も生きていて、信雄の家が世話をしていたという伝承があります。
帰蝶以外には正室と呼ばれた女性がいないので、生存していたと思いたい。
帰蝶にしろ吉乃にしろ、その存在や動向があまり知られていないのは意図的に信長が隠していた?
自分は敵が多いのを知っていたから、妻達に危難が及ばないようにという気配りかもしれない。
特に吉乃は子を産んだ後も清須城に迎えられることなく、実家にいて、信長がそこに通う形。
既に正室がいたので、そういう配慮?
ようやく小牧山城に迎えようとしたら、時既に遅く、吉乃は病。
人間とは複雑な存在。敵や氣に入らない者には恐ろしい程に冷酷な面を見せた信長も弱き者、特に妻達には優しい面を見せていたのかもしれない。そんな妄想をしながら、信長はフェミニスト?マト茄子煮をご馳走様でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?