尾崎豊きびバーグ
「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」
たかきびを料理していると、ふと頭に尾崎豊の歌が。
彼の歌や生涯に感じるものがあった身としては、思うことを少し書いておきたいと思い立つ。ということで尾崎豊を妄想しながら、たかきびハンバーグを作った記録。
たかきび 120g
粒状大豆肉 100g
卵 1個
ナツメグ 小匙1
胡椒 少々
塩 小匙1
米粉 大匙2
昭和四十年(1965)東京都に誕生した尾崎豊。
次男でしたが、兄が買ったものの使わずにいたギターを手に取り、爪弾き始めたことが彼の人生を決定づける。
五年生の時に埼玉県の小学校に転校したものの馴染めず、六年生時には登校拒否。ひたすらギターを弾いていた。
元々、過ごしていた練馬区が恋しかったのか、中学校はそちらへ。
一年先輩には後に俳優となる高橋克典がいた。
豊が作った曲を聞いた高橋は、その完成度に驚きながらも、
「まあまあじゃない」と感想。
先輩の威厳から手放しには褒められなかった?
豊の代表曲に『十五の夜』があります。
「盗んだバイクで走り出す」という歌詞ですが、実際は14歳の時に兄のパッソルを勝手に乗り回したことから発想したという。
この歌のせいもあってか、とんでもない不良の劣等生だったように思われ勝ちですが、実際は成績優秀で倍率20倍の陸上自衛隊少年工科学校に合格。
豊の父は自衛官だったので、父としてはそっちに進んで欲しかったかもしれませんが、豊は青山学院高等部に進む。
高校二年の時、CBSソニーのオーディション合格。音楽で生きていく決意。
『十七歳の地図』でデビュー。
初回プレスは2000枚と多くはなかったが、口コミで人気に火が点く。
4枚目のシングル『卒業』が大ヒット。
十代の間に『十七歳の地図』『回帰線』『壊れた扉から』と三枚のアルバムをリリース。
過激な歌詞や社会への抵抗を歌い上げたことが多くの若者の支持を受けて、十代のカリスマへ。
しかし二十代に入ると行き詰る。
新たな方向性を見出そうと渡米。しかし得ることなく帰国。
やがて薬物に手を出す。保釈後、交際していた女性と結婚。
長男誕生。
自らが社長となり事務所開設。
不倫や家庭の危機。
母親の死。
そして迎えた平成四年(1992)四月二十四日から翌二十五日。尾崎豊のもっとも長い夜。
金曜日の夜、妻と共にパーティーに参加。その後、旧友達と会った豊は妻を家に帰して飲みに行く。
日本酒でかなり酩酊。店員に暴言。
店を出てタクシーに。通り過ぎた牛丼屋に寄れと運転手に要求。
「転回禁止だから出来ない」と答えた運転手に激昂。
「おまえも金か!」と叫んで運転席を後ろから蹴る。持っていた一万円札を車内にばら撒く。
たまりかねた運転手は交番へ。
素直に反省した豊は料金を払って謝罪。これにて和解。
事件にはならず、豊は笑顔で警察官に敬礼して立ち去る。この時点で深夜2時過ぎ。ここから1時間程、消息が途絶える。
再び現れたのは自宅マンションから500メートル離れた民家。
そこで全裸で空手の型をやったり、頭を何度もブロック塀に打ち付けていたという。
全身に痣や擦過傷。特に右目は卵大に腫れていた。
すぐに病院へ搬送。
治療した医師は頭を打っているので念の為に専門医に診てもらった方がいいと忠告したが、
「家に帰りたい」と告げた。
自宅で午前10時頃に容態急変。午後12時6分、肺水腫で死亡。享年二十六歳。
あまりにも奇妙な死に方に当時から様々な憶測。
そもそも自殺か他殺かでも意見が割れる。
これ以前にも豊は自殺を図ったことがあり、歌手というだけではなく社長として多忙、不倫や家庭問題、母の死により追い詰められていた。
直接の死因となった肺水腫ですが、実は覚醒剤の過剰摂取が原因。
死を覚悟して大量な覚醒剤を服用したとすれば自殺?
人から飲食物に混ぜられたとすれば他殺?
そもそも発見時に傷だらけだったのも暴行された可能性。
自分が尾崎豊を殺したと元暴力団員が告白した記事が週刊誌に載ったことがありましたが、個人的には信憑性に欠ける氣がする。
宗教絡みのトラブルがあったという話があります。
あっそーか!学会とかいう某宗教団体に尾崎家は入信していたらしいのですが豊の妻のみが残り、父兄と豊は抜けたとか。
芸能人にはその団体と関係している人が多いのは周知の事実。信者数が多いので、そこがバックアップしてくれれば売れるからです。
デビュー盤の初回プレスが2000枚しかなかった、つまりCBSソニーもそんなに期待していなかった豊が、果たして口コミだけで大スターになれたものでしょうか?教団の支援があったと考えた方が納得出来る氣もする。
支援したのに脱会したことを恨まれていた?
他にも不倫騒動の余波?とか。その延長線上で妻が黒幕ではないかというドキュメンタリーを放送しようとしたテレビ朝日が名誉棄損で訴えられ敗訴。番組はお蔵入り。
他殺ではないかということから警察に再捜査を求める署名が10万人も集まったが、結局は事件性なしとして決着している。
モヤモヤするミステリアスな死。もしかしたら、これが豊本人や周囲の人々が望んでいたことかもしれない。
トマトが余っていたので添えてみた。リコピンも頂けて栄養増強。
ナツメグを混ぜたたかきびは肉感UP
味は塩と胡椒のみなので、ケチャップで頂きました。お好みのソースでそうぞ。
今回はたかきびのみのシンプルさですが、玉葱や大蒜の微塵切りを加えてもいいかもしれません。
食物繊維やビタミンEだけではなくポリフェノールも含まれるたかきびは優れた抗酸化食品。
素の尾崎豊は明るい好青年だったという声。しかし世間は世の中に牙を剥くクールなカリスマという姿を彼に求めていた。
本当の自分と望まれる姿とのギャップに苦しんでいたのではないか。
年齢を重ねて丸くなった尾崎豊、オジサンや老人になった姿など誰にも望まれない。自分だけではなく、自分が稼ぎ出す金に引き寄せられる人々もそうだろう。その思いがタクシーの運転手に言った、
「おまえも金か」に繋がる氣がする。
今のままの姿を人々の記憶に留めることを選んだとしたら?それが豊本人だけか、周囲の誰かもそうだったか。結果として若くしてミステリアスな死を遂げたことで尾崎豊は伝説となった。
確実なことは覚醒剤の大量摂取が肺水腫を引き起こした。自分で服用したのではなく仮に誰かに一服盛られたのだとしても、豊は生きる意志を放棄したのかもしれない。
だから医師の勧めに反した。
傷に関しても暴行されたにせよ自傷行為だったにせよ、自ら生きる意志を失った。
積極的な自殺というよりも、これで死ぬならそれでもいいということだったのではないかと思うことがあります。
冒頭に引用した『僕が僕であるために」
尾崎豊が遺した楽曲の中で、もっとも私の心に残っています。
本当の自分を探し続けていたのではないかと尾崎豊の人生を妄想しながら、尾崎豊きびバーグをご馳走様でした。