大物芸能人から言われた”一言”(27)

~ 概要 ~

私は、ある大物芸能人から、『あなたに会うために、これまで生かされていたのだと思う』と大変ありがたい言葉をいただいた。これは、日本を代表する俳優から、サラリーマンである私がそんな言葉をいただくまでの出来事を記したメモである。

第3章の概要 ~未来を担う若者たちを築く塾~

平安な世界を創るため、私は、「未来を担う若者たちを築く(育む)塾」を創ることを決めた。そして、2018年2月15日に、多くの方々の協力のもと、「お金」を一切絡めない、「心」で繋がり、「心」で進める塾を開講した。
初年度は、試験的に多くのことを試み、塾の方向性・内容を高める年とし、実施していくこととなるのであった。

「高校生の私」

平安な世界を創るため、2018年2月15日に、「未来を担う若者たちを築く塾」を創設した私の高校生のころを振り返りたいと思う。

「サッカー」と「私」

高校時代のサッカーの話について、前回の続きを話したいと思う。

高校3年の春の大会。私たちは、東京都の予選を勝ち上がり、決勝リーグに進出した。この決勝リーグで、私は、初めての挫折を味わった。そして、スランプに陥ってしまった。

挫折&スランプの理由は、決勝リーグの1回戦、私のコンディションは、悪かった。試合をしていて、自分でも感じてはいたが、うまく、プレーができていなく、調子が良くなかった。
そのため、後半10分くらいの時に、交代となった。
私は、自分でも納得のいくプレーができていなかったため、交代はしょうがないと思っていた。そして、私の代わりに入ったメンバーが大活躍し、試合に勝った。
続く2回戦、1回戦の時の不調を挽回すべく、また、勝利をつかみ取るため、試合に臨んだ。私の調子は、1回戦の時は比べ物にならないくらい良かった。自分でもわかるくらい、体の調子が良く、動きにキレがあると感じていた。また、試合にも集中していた。私は、持久力も、チームの中で1番ある選手であったため、後半戦、相手が疲れてきたところで、一気に勝負を決めようと考えていた。そして、後半10分が過ぎ、今からだという時に、選手交代の合図があった。私は、かなり良いプレーが出来ていたと感じていたため、まさか私が交代とは考えもしていなかった。交代の合図は、私を指していた。私は、グランド上で、「俺?俺であってる?」とジェスチャーをした。しかし、交代の相手は、やはり私だった。1回戦で交代したメンバーの活躍が良かったため、同様の戦略にでたようであった。交代した時間帯は同点であったが、交代後、2点を入れられ、チームは負けた。

自分で言うのもなんだが、私が出ていた時、完全に相手チームを抑えていた。だからこそ、勝てると感じていたからこそ、悔しかった。そして、何より悔しく、許せなかったのは、1回戦で実力を発揮できなかった自分に対してだった。1回戦の試合で、私が不甲斐ないプレーをしていなければ、2回戦で変えられることはなかったからだ。私は、サッカーをしていて、初めて泣いた。

狂った歯車

決勝リーグの2回戦敗退後、私のプレーは乱れていた。何をしようにも、上手くいかず、調子が上がらなかった。自分でも、どうしたら良いのかわからなかった。前回の悔しさから、気持ちはあるのだが、気持ちとは裏腹に、プレーが全く上手くいかなかった。
そして、不調のまま、すぐに次の大会(夏の大会)の予選を迎えることとなった。
私は、この夏の大会で、皆より早く、引退することが決まっていた。本来は、最後の大会となる冬の大会まで残ることもできたのだが、大学への進学を理由に、なぜか私は、夏の大会での引退を選んでいた。
夏の大会が始まり、不調にも関わらず、監督は私をスタメンで起用してくれた。しかし、私の不調は治ることはなかった。試合中、自分でもわかるくらい、プレーが上手くいかない。何をしても、上手くいかない。そして、本来であれば、負けるような相手ではないチームに負け、私たちのチームは、予選で敗退したのだ。
監督は、そんな不調の私を予選中、一度も変えることをしなかった。
私が最後の大会だったからなのか?それとも、何か他の意図があったのか?真実はわかなかった。
しかし、監督は、どんなに私のプレーがひどくても、変えなかった。
監督の中に、私を変えるという選択肢はないという意志の強さを感じた。
そんな監督の行為からは、私への強いメッセージを感じた。そして、そんな監督から大事な何かを学んだ気がする。

高校サッカーを通じて、監督から、勝つことよりも大事なものがあることを学んだ。

次回に続く・・・

<余談>

「情熱」

情熱を持って、取り組める何かがあることは、最高の幸せだと思う。

私にとって、サッカーがそうであった。
小学校の時は、皆とボールを蹴り、練習や試合をすることが、楽しかった。
中学に入ると、自分たちの学年だけでは人数も足りない、寄せ集めのチームではあったが、勝つことへの執念や上手くなりたい、勝ちたいという気持ちを持つようになった。
そして、高校では、本気で、全国制覇を狙いたいと考え、サッカーに情熱を注いだ。
そんなサッカーばかりの毎日が楽しく、日々が輝いていた。しかし、高校で挫折し、スランプとなった私は、そのままサッカーを辞めることとなり、情熱の火が消えた。

何かに真剣になれること。情熱を持って取り組めることは、人生を鮮やかに、そして、毎日の日々を楽しくしてくれる。

私にとって、サッカー以外で情熱を注ぐに至れたものは、現在の妻との恋愛、大学の勉強、仕事、そして、人生そのものだ。

情熱を注げるものと巡り会えた私は、幸せ者だと思う。

次回の「余談」に続く・・・

第一章のあらすじ

大物芸能人から言われた”一言”(7)を参照ください。

第二章のあらすじ

大物芸能人から言われた”一言”(18)を参照ください。

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