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想像力を働かせるということ

最近、生きていくこと
人と関わっていくこと

そこに疲れている方が多いように思います。

私もいくつか場面で、
目の前の現実として現れてくることがたくさんありました。

あぁ、
今日はここで
昨日はあそこで
と、息苦しさを抱えて心が折れ
自分を生きることに辛さを生じる。
そんな方をたくさん見てきたように思います。

最近聞くところによると
小学校や中学校
子供の世界でも顕著にその息苦しさの様子が出ていて
なかなか聞き難い現実もあるようです。

最近は、風の時代の風潮もあってか
自分を表現し
軽く自分らしく生きるがテーマになってきているようで
そこに行き着くよう、各々の方法を模索して生きやすくなって来ている方も増えています。
それはとても素晴らしいことですし、
私自身も、少なからずその風潮に救われてきたように思います。

ただ、その反面、取り残されている感覚の方が増えているのも肌で感じます。

それは、【あるがままの自分を受け入れてもらえる。その安心感】が無いのでは、と思います。

数年前
家族で話をしていたのですが

悲惨なニュースが飛び込んで来て
私がついつい発した言葉。
この表現が良いのかはわからないですが
敢えてこの言葉を選んだように思います。

【生きる図太さも必要だよね】

周りを気にする方は、本来本当はとても優しい方が多くて
現在は、それを《気にしすぎだよ》
とか、《もっと軽く考えたら》とか色々言われることもあるかと思いますが

本来、そういう方こそ
他人に思いを馳せられたり
よく気がつき
思いやりに溢れた優しい方が多いように思います。

そういう方に
【こう考えたら】とかの言葉は時に苦しく

そんなことはわかりきっていて
できないから悩んでいるのであって。

それよりも
その方たちが≪してくれたこと≫を見つけて
想像力を働かせ
感謝をして
【気づいてくれてありがとう】
【こんな思いがあったからこうしてくれたんだよね、思いを馳せてくれてありがとう】
と、そのお相手の気持ちを汲める人でありたいな、と思います。
その中でも、自分に合わないものは【笑顔でありがとう、今大丈夫😊】と言えば良いですし

そうした、理解しようとしてくれる安心感があると
もっと周りは自分を表現しやすくなり、
大きなあたたかい輪が広がるように思います。

自分の心や命自体を終わらすくらいであれば
ある程度の【生きる図太さ】【太さ】は必要では無いかと思います。

その時、お相手の【今の気持ち】を伝えられた相手は
それを喜んであげられると素敵ですね😊✨

相手がそれを伝えてくれるということは、
ある意味【この人なら受け止めてくれる】
という信頼が無いと言えないことかと思います。

自分を信頼してくれている証拠。
ありがたい。

また、時にはどうしようもなく
自分を否定してきたり
攻撃をしてくる相手であれば

今のその相手との波動=エネルギー値が違うということ。

自分を守る為
笑顔で距離を置いて良いのだと思います。
またお互いの波動が合い、必要であれば自然と合う時が来る。

少し想像力を働かせて
今の相手は【こうなのかもしれない】と
バックグラウンドを見て
さりげなく見守ってあげる。

必要があれば声かけてね
と扉は開いておいて
必要以上に【お節介はしない】

また、人間、完璧には到底なれなくて
私自身は、自他ともに認める天性の【スットコドッコイ】ですが

まわりに感謝をしながらも
いつも完璧であろうとする人よりも
失敗しても
それを協力して補う
【大丈夫だよ😊】と大らかに言える
そんな姿を見せられる大人でありたいと思います。

マナーやモラルはもちろん大切で
ダメなものはダメで
やってはいけないことはやってはいけない。
言ってはいけないこたは言ってはいけない。

今、大人から変わらないと【まずい・・・】と、なんだか感じます。

なんだか、そんなことを最近考えてしまいました。

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