書く、描くが好きな人。小松美羽さん
書く、描くが好きな人。
文字を書くのが好きな人。
文章を書くのが好きな人。
言葉を紡ぎ表現したい人。
絵を描くのが好きな人。
線を描くのが好きな人。
塗るのが好きな人。
色々な「かく」を好きな人たちがいます。
私もその中の一人なのですが。
その人たちに共通するのは、自分の中にある情報を、「かく」という行動で、可視化する事に心地良さや安心を感じるという事。
使命感を持って行動する人もいますよね。
その行動って一言で言っても、キーボードに打ち込んだり、直筆で文字にしたり、ソフトやアプリ、筆や画材を使って絵を作り上げたり色々あるのですが、つまりは全て、、、
一つの世界観を、目で見える形にアウトプットするという事です。
これが好きな人の頭の中には、常に割と多くの情報が行き交っていて、その速度は速いのだと思います。
瞬時に進化していく情報たちを、目で見える形に残そうとするので、整理された形で作り上げる人も居れば、一見乱雑に書留めただけのような人も居ます。
(こういう人たちの水星の配置が気になります。ちなみに私は月と冥王星と重なっています)
「かく」が生み出すのは、いつか何処かの誰かに伝わるという「伝達」です。
私的に......これは凄くロマンチック。笑
伝える気がなくても、残るから、何処かに伝わるのです。
実は、私は幼い頃から絵を描くことがやめられません。笑
苦しくても嫌でもやめられなかったときは死ぬんだなと思いました(生きてます)
それから文字を書いたり打ち込んだりするのもやめられないのです。
これは割りとメモ的にどばどば書かれていく(水星月冥王星合っぽい)ので、人様からすると非常に混乱した文章だったりもしますが。(基本的に書くのは好きでも文章を作り上げるのはドヘタです、、すみません。)
私は、最近ではある目的を持って「かく」という行動に向き合っています。
それは、未来の自分や娘に向けて「書き残す」という目的。
多分描く、書くがやめられない人というのは、こうして自分や誰かのために書き残さなければ!と思う気持が強いのではないかなと思います。
どこから湧き上がるのかはわからないのですが、私の場合は、私が通った道を後から歩く人がいた場合、大丈夫と書き残したい気持ちも持っています。
伝えなければならないようなことが沢山ある気がするのです。
自分や娘に対しても、今の自分の経験や感情を、未来に届けなければいけない気がしています。
多分これは蠍座の冥王星がポータルとなって私の水星にがっつりと太陽系外の情報を流しこんでくれているからでしょう。
月やドラゴンテイル、そしてジュノーたちの助けもあって、私はこの得た情報をこの世界に落としこまなくてはいけないような気持になるのです。
というかそういう使命感があるのです。
情報を受け取り、その瞬間に起こる化学反応のようなもの。
情報が良いか悪いかを判断するまえに起こる反応、そしてそこから情報を整理していくうちに繋がっていく回路。
この時に感じるイメージや、ここで繋がった回路の説明を、私はなんとなく残していく必要がある、、、、と思ってずっとやっています。
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昔、描くがやめられない「強烈な人」に出会ったことがあります。
彼女の場合はもうきっと宇宙や神と呼ばれる存在から伝えられるメッセージをこの世に記していくという役割(宇宙の理の伝承者)を持って生まれているはずです。
元々は占い師をしていたそうですから。
画家として世界中で活躍されている、不思議な女性です。
きっと彼女の存在を始めて知ったのはもう10年以上前かもしれないです。
どうしたって描くことがやめられない、すごい才能を持った女性。
名前は小松美羽さんという方。
彼女のことは共通の知人の男性に教えてもらって知りました。
まだ、今のように大活躍される前です。
一匹のウサギのヌードデッサンという形で、レントゲンのように透けた骨の絵を見たのが始めてだったかもしれません。
それとも六道輪廻だったかな?
お祖父様が亡くなられた時に感じたことを絵にされた作品があります。
圧倒的な絵で、未熟だった私は何故かもう絵を描くのが嫌になったんですが。
(結局人の絵は人の絵なので、描くのをやめる理由には出来ませんでした笑)
そこからずっと彼女の活躍を私は応援しています。
ひと時は恋をしているくらいに好きでした。
数年前まで、知人の男性から色々と情報を教えていただけることもあって、本当に感じることが多い存在です。
最初のうちは、今生の苦しみや悲しみのような肉体的な生々しさのある、力強い絵を描かれていました。
最初にその女性の絵を見た時、私はそこから「優しさと孤独感」を感じずには居られなかったのです。
生死に関しての捉え方が、自分と似ていると感じましたし「この子も どでかい葛藤と疑問を抱えながら描かずには居られない、変人なんだ」とも思いました。(本当に失礼ですね、でも、敬意です)
ですが出雲大社に絵を奉納された頃から、全く次元の違う絵を描かれるようになったと思います。
今では神のお使いかなと、個人的には思っています。
実際彼女もそういった使命感を持ってらっしゃるそうですね。
後に知ったのですが、やっぱり彼女は水星が海王星と重なっていたのですよね。
海王星というのはスピリチュアルな星です。
水星は射手座の29度。
海王星は山羊座0度。
古代から続いている神々の叡智を授かり、私たちの理想の世界を作り上げるために発信していくのですよね。
ちなみに金星と木星も山羊座で接近していますから、今のような技法で絵を描かれるのは運命だったのでしょうね。
神社の狛犬さんたちを愛しているのも納得です。
私は彼女に憧れる一方で、テレビ映像や画像や、彼女にまつわる記事が知人から送られて来る度に「この人の繊細な感性を守る人は本当に居るのだろうか?」とどこか不安にもなっていたのも事実です。
描くその絵が、一般的や普通で居ることを許してくれない力を持っていましたし、その絵が表現する事を知る為には、「精神と時の部屋」に命を捧げる程の時間を割いても、魂がいくらあっても、足らないだろうなと感じたのです。
実際に彼女の魅力はその「超越」だと思いますし、世界で評価されるのも、人間を超えたその感覚なのだろうと思います。
私は彼女の存在を知っていくうちに、生きていて初めて自分の感覚に限界というものを感じました。
(というのも、私は絵や文章やその人が表現したり発信したりするものから、その人というものを感じるという癖があります。
多くの人と同じように、その人の心や思想や感覚を表現から知るのですが、その感じ方は自分の感覚として感じる感じ方です。
視覚聴覚、嗅覚。その絵から彼女という人のヴィジョンや内なる声、匂いを感じていましたが、彼女のそれは私にとって未知の領域になってしまったということです。)
いてもたってもいられずに、お会いしたくて、私は会いに行ったのですよね。
たった一人、どアウェイな美術界にすすすすすっとお邪魔したことがあるのです。
丁度都心の美術会館で、合同展示と、その知人の男性(と小松美羽さん)の講演があった日でした。
私は彼女に会う為に、静寂と、張り詰めた空気が漂う、大きな美術会館に、ひょっこりと入っていって、彼女の姿を探しました。
知人の男性が壇上でマイクを持って話していて、その最前列で彼女はそれを聞いていたのですが、私は同じように椅子に座って聞くのも何処か場違いな感覚で、ただただ彼女の絵の前に座って絵を眺めていました。
絵が強い意志を持ってこちらを見ているのがわかりました。
音も、匂いも何も感じなかったのです。
ただただ強い意志がそこにはあって「ああ、私のしらない世界のために描かれたのだ」と思いました。
だから、私の感覚は限界を感じたのかもしれません。
公演が終了し、知人の男性に挨拶をし、いざ、彼女に挨拶をしようと思ったその時。
彼女はまるで風のようにフワフワとドリンクサーバーに向かい、お茶を注ぎ、ごくごく飲み干し、ストールをなびかせながら、またフワフワとどこかへ飛んでいってしまいました。
知人の男性に強く呼び止められ、その時初めてこちらに気づき、「あああーーごめんなさいー!はいーー!」と高く細い声で笑いながら、また舞い戻って来てくれたのですが、その姿は小さな妖精のようでした。
背丈も体格も、ほぼ私と変わらず、私も骨っぽいけれど彼女も骨っぽい.....。
肉体のエネルギーは、、、強くないかもという感じで。
音は無く、匂いも無かったのですが、、、。
凄く温かさを感じました。
そして眩しかったです。
彼女は描くその絵とは全く違う性格を外に放出していましたし、何よりめちゃくちゃほのぼのとした子供のような人でした。
鋭さや、情熱を全て「かく」事に使って居るのか、ただただ拍子抜けする程ホワホワした人で、何ならちょっとドジっぽくて、可愛い妖精でしかなかったと思います。
誰があの絵を描いたのよ?????
そんな思いが頭を駆け巡り、あまりのイメージの違いに、「おお??おお???」という声が出てしまった程です。
「いつも作品見ています。凄い迫力で、力を頂いています。頑張ってください!」
そう伝えると、「いえ、こんなくそみたいな私の絵なんて、その、全然、すごくないんですよ、ありがとうございます、全然全然、あの、..」
と言われ、驚いて笑ってしまいました。
作品と比べると突然人間っぽさが全開な気がしましたから。
「描く」彼女は、「描く」事に力を注ぐためか、本体部分にはとても可愛らしく優しい部分しか残っていないのかもしれません。
そんな柔らかい人が一気に巨大な絵を描きなぐっていくのですから、百聞は一見にしかずの意味を強烈に叩きつけられたような気がしました。
彼女の場合は極端な例で、描き残す使命を持ち生きている為に、描く時はzoneに入っていますし、繋がっているでしょう。描いているものも確かに普通の感覚で生み出せる様なものでは無いはずです。
実際多くの修行を積んでいるそうで、伝承に命をかけているのだそう。
つまり幾度も葛藤を超えて、柔らかくしなやかに、自分で自分の感性を守っているのですよね。
私は彼女の魂と彼女の器が、合わさる時に作品が生み出されるのだろうと感じました。
彼女の強さや温かさは、確かに一般的ではなかったけれど、近寄り難いものでは無く、むしろどの命も吸い寄せられる力があるとも感じましたよ。
「かく」ことがやめられない人は、こうして人それぞれに使命を持ち、ひたすら本能や感覚に従ってかき残していくのでしょう。
小松さんのように人生を捧げている人もいるのです。
このような人々は皆、未来に向けた言語や図形を使います。
未来のこの世界のために、自分のために、何か残しておこうとするのです。
私もこうして書き残すことを続けていますが、実はいつか、情報の発信時刻の次元を超えて、会話が成立する時が来ると思っています。
明日の私と、昨日のあなた。
去年の私と、10年後のあなた。
そこでの会話がもしかすると、、きっと、あるでしょう。
この文章が時間を越えて誰かの元へ届くと願っています。
だからこそ、私は「かく」にロマンを感じますし、やめることができないのかもしれません。