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【エッセイ】毒をもって毒を制す
最近、すこぶる(?)目の調子が悪い。
実はここ2週間くらい、いわゆる”飛蚊症”の症状が右目に出ていつも煙状のもや、小さな黒い点がいくつも見えていてもう、それはそれはストレスで💦
原因は色々あるようだけど、ひとまず様子見。
明るい所だともう、虫なのかなんなのか区別がつかない。
あ”ーーーーーーっ!
気は散るし虫に見えるし、何とかならんか!
これ😭
近視の人はなりやすい傾向があるらしく、そこに目を酷使したり不規則な生活が続いたりとかもあるんでしょうね。
とりあえず経過観察🙄
気になるのは同時に左の視力も落ちているという事。疲れ目だけなら良いんですけどね。
眼鏡をかければ見えますが明らかに目が疲れている…
そんな時、ふとテレビを見ると”毒妻”なるキーワードが😳(内心私の事かと思った😂)
いや正確に言うと”毒妻”ってワードを見た時に”毒毒”に見えたんです!🤣
"毒毒"って何やねん!
新しいパンダの名前か?
(んなわけないw)漢字2文字って
パンダの名前のイメージしかない🧐
多分”毒毒”に見えたのは目の状態が良くないからだったんでしょうね💦
あ、ちなみにレ―ザー治療って方法もあるらしいですが、再発の可能性も高く、何と言っても”保険適応外”
2.30万かかるらしいです。しかも通院が必要でさらにお金がかかります。
詰んだ。。。
もう、慣れるしなかいか🥶
…って、前フリを思い切りフルスイングし過ぎですよ!あゆさん!🔥
毒。言葉の成り立ち
伝統的な説明は、「毒」という漢字は、「屮」と図のような漢字から成り立つ、というものです。図の漢字はさらに、「士」と「毋」に分解されます。「士」は「立派な男性」という意味、「毋」はよく見ると「母」とは違って、「~ではない」という意味で、図の漢字は「立派ではない」「みだら」という意味になるそうです。それが「草」を表す「屮」と合わさって、「よくない草」「毒草」という意味になったのが「毒」という漢字だというのです。
また、「毒」は「生」と「母」から成り立つ、という説もあります。この場合の「生」は「生え始めた草」のことで、「母」は「子どもを産む」ことを表します。子どもを産む際に服用した強精剤の草のことを表したのが、「毒」だというのです。
ほかにも、「毒」は「髪飾りをつけた女性」の姿を現したものだ、という説もあります。この場合、「母」は女性の姿で、その上の部分が髪飾りということになります。たしかに、篆文(てんぶん)の「毒」という字は図のような格好をしていますから、これを見ていると、そんな雰囲気がないでもありません。その髪飾りが派手で毒々しいところから「毒」の意味が生まれた、というのが、この説の主張するところです。
字の成り立ちの説明はこんな感じですがちなみにこの”毒”って言葉の対義語は”薬”です。
この”毒”も”薬”も一見、相反しているようで、実のところ表裏一体だと思うんですよね、私。
毒をもって毒を制す
昔、バイオハザードだったかな?
なんか毒に侵された時に解毒に使うアイテムがありました。それが”ハーブ”。
いかにも体に悪そうな”赤”やら”青”やら一番穏やかな効き目の緑やら。
いうてもハーブも薬草ですからね。摂り過ぎて身体に異常をきたせば身体にとってはハーブとて、ある意味毒になるんですよ、薬でも。
あの赤やら青やらの組み合わせで効き目の違うハーブが色々出来て・・・・
それこそ毒をもって毒を制す…的な…
、、、ってバイオハザードの話がしたいわけちゃうけども!爆🔥
要するに何が言いたいかと言うと、毒を解毒する為には他の毒、何ならより強力な毒が必要って事なんですよね。それが薬。
言葉を言い換えれば
”悪をもって悪を制す”と同じ。
”毒”も”悪”もどこか同じ意味合いをもって忌み嫌われる言葉ですよね。
では、悪とはいったい何なのか?
ずいぶん昔ですがアーティストの米津玄師さんがツイッターでこんなことをつぶやかれてました。
悪という漢字の成り立ちは「心が足りない(亜)と書いて悪」らしいが、生きてる限りそういう意味で心が足りうることなんて絶対にない。自分は悪い人でいい。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) August 20, 2013
悪の対義語は善。
善には”良い””正しい””優れている””上手い”などの意味があります。
悪の対義語ってそもそも”正義”と思ってたけど違うんですね😅
もし今自分が、毒に侵されるような環境にいたとします。
放っておけばその毒はどんどん身体を巡りあなたを蝕んでいくでしょう。
もし今、自分が悪に引きずり込まれそうな環境にいたとします。放っておけばあなたの心は悪に飲み込まれてしまうかもしれません。
でも、毒になんか侵されたくない!
悪い心に飲み込まれたくはない!
もし今そう思うなら
あなたはまだ毒に蝕まれてもいないし
心はまだ悪に染まってなどいないという事。
では
現状を打破するには何が最善だと思いますか?
✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼
大人になってずいぶん経ちますが(そりゃずいぶんとw)今振り返ると若い時ほど
”こうありたい”と思う自分と
”なれない”自分との
ギャップに苦しんでいたような気がします。
もちろん”理想”を持つことは生きていく上で自分が歩んでく為の道しるべになることもある。
でも、その不確かな”理想”に近づけないことが、自分を苦しめることもある。
自分のものさしで”善悪”を決めていたり、これは”毒”だと決めつけたり。
自分の中の”悪”や”毒”の部分って灯台下暗しで案外見えて居なかったりするんですよね。
まるでそんな部分自分には無いかのように思えてしまう。
若い頃私は 自分の正しいと思う部分は是が非でも正しいと押し通すようなところがありました。
当時、イベント広告会社を立ち上げた方がいました。その会社の社長は何度も仕事でご一緒していたのですが、そのご縁でまだ年齢も若く経験も少なかったのにも関わらず、私の能力を高く評価して入社させて頂いた事がありました。
社長とは仕事に関しては上手くやれていたのですが、一方主に、社内の人間関係や仕事に対しての向き合い方ではしょっちゅう意見の相違があり尽くぶつかっていました。
「あの人のしていること間違ってますよね?」
「誰だってみんな私の言ってることが正しいって言いますよ?」
「私間違ったこと言ってますか?」
そんなことをしょっちゅう言っていたと思います。今思うと超絶嫌な人間だったと思います💦
ある時、同じような事で社長に対して感情的になって訴えたことがありました。
「どうして正しい方がこんな思いしなきゃいけないんですか!!!」
毒をもって毒を制す!!😤
もう相手に対してこの方法しか解決の方法はない。そう思った事がありました。
当然その解決の方法が最善と、当時の自分は思えなかったんですけどね。
聖人君子などいない
そして。
忘れもしない、その時社長に言われたこと。
「お前は聖人君子にでもなったつもりか!!!」
「正しいと言われること、それが誰にとっても正しいわけじゃないんだぞ!!!」
正直、その時は何を言われてるのか分からなかった。
「ちょっと何言ってるかわかんないんすけど?」
性格悪いサンドの富澤のような口調(例えがw)だったと思います笑
例えるなら、相手の”悪”に対し自分は正攻法の”善”で物事を考えぶつけたって無理ってことなんですよ。
相まみえ 分かり合えるなんて無理。
自分がもっと強い”毒をもってこそ毒を制す”ことが出来るんだと思うんです。
"毒"という例えをするから抵抗を感じるけど、要はその物に対してもっと強い何かという意味です。悪もまたしかり。
時には返り血を浴びることもあるでしょう。
深く傷を負う事になるかもしれない。
それでも”毒”をもって戦わずして、答えなど出てくるのしょうか?
本当、例えが”毒”や”悪”なんて言葉を使うので、まるで悪人にでもなれと聞こえるかもしれませんが、ある意味悪い人でもいいと思うんですよね変な言い方だけど。
米津玄師さんが言うように人間、心が足りうる事なんてない。だから悪い人でいい。
大きな括りで言えば本当は”悪”も”毒”もこれと言った決まった概念はないんですよね。
自分自身の心の中にしかない。
悪に対して正しくありたい…
そう生きられるなら幸せなことなのかも
しれない。
でもそれで、自分を殺してでしか
生きてはいけないのなら
私は悪でいい。
悪い人でいい。
たった一度の人生を
自分の中の不確かな”善”に縛られ苦しみ
悩むのなら
私は悪い人でいい。
だって
善と悪
裏と表
光と影
毒と薬
相反しているようで
そのどれもが実は対だと思うから。
それが”人”本来の姿。
人は決して、綺麗事で語れるように
生きては行けないと思うから。