【エッセイ】ライターズブロック~その先にあるもの~
久しぶりに書きます。
久しぶりにnoteを開きました。
いつも見てくださっている皆さま、本当にありがとうございます。
この夏は軒並み記録を塗り替えるほどの暑さになりましたね
(てか、まるで他人事のようですが、、😅)
…というか、季節は10月。
しかし本州はまだ30℃越えの日も😱
私はどう過ごしてたかと言えば。。
休みの日以外は超インドアな在宅ワーカーなので室内はエアコンでいつも快適温度♬
暑さ知らず~♪~(´ε` )
おかげで たまに外に出ると体温調節できず身体がバグってました😂
さて今回久しぶりにnoteを書いている私なのですが。
お気付きの方もいると思いますが、ひと時よりnote、そして何より仕事のひとつでもあるブログを書くことから離れておりました。
というより、書くことが出来なくなったんです。
俗に言う
~ライターズブロック~
と言うやつで、実は2度目なんですが💦
現在お仕事してる3つのうち、2つは書くことがお仕事。
noteはその延長線上にあるプライベート的なものという位置づけになります。
仕事のうちのひとつは「書けない」が通用しません。
どうしたって書かなければならないし、それが仕事です。
仕事における”書く内容”は様々ありますが、そこは求められるものも違うので満足とはいわないものの何とか出来てはいました。
例えば、「説明文」や「会話のようなやりとり」は何ら変わりなく出来ていたのでそれがまだ救いでもありました。
また趣味の写真をインスタに投稿していますが、その写真を撮った時に感じたこと等はなぜか不思議とすらすらと書けていたので、そこは書くことをやめずにいました。
しかしそれ以外がどうにも難しい。
説明するのはとっても難しいけど、とにかく書けない。
そんな日がもう2ヶ月程続いていました。
キーボードを前にすると、以前あれだけ溢れそうになってた言葉が出てこない、手が動かない。
頭の中にあったはずのたくさんの言葉が急に真っ白になって出てこない。
果たしてその原因はどこにあるのか。
まぁ悩んで解決出来るならそりゃは“迷い“だと普段からそう思っているので、解決出来ないからこそ、それが悩みってもん。
「これは今、いくら考えたって答えは出せんぞ」
そう自分に言い聞かせました。
こうして私はnoteやブログを書くことからしばらく離れることにしました。
離れるということ
“離れる
その言葉からはあまりいいイメージを持ちませんよね。
ともすれば、「逃げる」「離れ去る」なんて意味にも思える。
人間関係におきかえてみると「離れる」とは「別れ」ともとれますよね。
もしかしたら、ブログやnoteからこのまま離れてしまうかもしれない。
そんな不安もありつつ、その他の仕事は続けていました。
そしてできる範囲ですが「ブログ」「note」とは距離を置き離れました。
ブログに関しては
「今はネタ集めにシフトしよう!」
割と前向きに考えるように心がけていました。
疎かにしてたこと
書くことから少し離れて、まず今まで疎かになっていたことを大切にしようと思いました。
まぁ全部は生活環境的に無理なんだけど、とりあえずできる範囲で意識的に😅
まずは「睡眠」とる☝️
仕事がらまとめて寝ることは難しいけど、それでもできるだけまとめて寝るように心がけました。
寝不足はパフォーマンス下がりますし😅
次に手が回ってなかった「家のこと」
細かな部分まで行き届いて居なかった掃除や不要なものの断捨離なんかもそのひとつ。
ひとつひとつ「いる?いらない?」と選ぶ作業は時間を要します。
だからつい手付かずになってしまってた💦
そこで、どうしても必要なもとそれ以外のものに分け、1年以上使わなかったり見なかったものは順に捨てる!ただ今断捨離継続中です笑
そして家族と一緒に過ごす「時間」もそう。
ご飯たべたり、出かけたり。
何をするでもなくても一緒に過ごす。
子供の成長は早いですしね。
いつまで続くかわからない「時間」を大切に
しようと改めて思いました。
そして何より時間を費やしたこと。
一番疎かになっていたこと、それは
「自分と向き合うこと」
なんです。
向き合うこと
「自分と向き合うってなんのことやねん👋」
そう思う人もいると思います。
てか、これがなかなか難しいことなんです。
例えば他人に対して自分を良くみせたり、偽ったり、繕ったりはできますよね、まぁ相手にバレるバレないは別にして😅
しっかり相手と向き合っているように見えたとして、本当に腹割って向き合っているのかはお互いわからない。
もう信じるか信じないかはあなた次第の都市伝説の世界です。
自分以外と向き合う時は、信頼関係あってなんぼなんだけど それとて、相手のことは全部は分かり得ないし限界がある。
でも、他の誰でもなく、自分と向きうってことは、たとえ自分で自分を偽ったり、気持ちに嘘ついたりしていたとしても、そんな自分のことも自分が一番よくわかってるんですよね。
嘘はつけない。
よくメンターの方とかの発信って見たことありません?
「ダメな自分も受け入れて認めることが大切☝️」
これって勘違いする人結構いるんです。
受け入れ認めた後が実は大切なんですよ、本質は。
受け入れ認めるってことは自分のダメな所を肯定するってことじゃない。
そこを勘違いしてる人が本当に多い。
マイナス部分、ダメな自分にいいわけして肯定して、自分を正当化しちゃう。
それじゃ自分と向き合ってることにはらないし、何も変わらない。
ダメな部分を認めた上で
「本当はどうしたいのか?」
「自分はどうありたいのか」
「その為に今何が必要なのか」
それが自分と向き合うことなのかなって私は思うんです。
この2ヶ月、私自身そうして自分自身と向き合ってきました。
その先にあるもの
自分の人生は誰のものでもない。
だから他人にとやかく言われることじゃないし、とやかく言うことでもない。
人は人。
自分は自分。
ただ、SNSをやっていると少なからず色々な人と関わることがあります。
それぞれの人生のほんの一部分で関わることはまた縁なのかなとも思います。
その中で
「どうしたらあなたのように強くなれますか?」
と言われることがよくあるんです。
その時にいつも思うこと。
強いとか弱いとか、出来るとか出来ないとか、良いとか悪いとか、人はなぜ、なんでもかんでも二極化して考えて、どちらかに当てはめるようとするんだろなって。
私強くないですよ?だからといって弱いってわけでもない。
みんなあるんですよ、そのどっちの部分も。
いちいち言わないし見せない。
ただ✋
自分に対して言い訳だけしません。
例えば
「あんな親に育てられたから」
「ずっと誰かと比べられて来たから」
「嫌なことされたから」
「障害や特性があるから」
「性格だから」
これって全部
“Theいいわけ“
それがまだ子供なら「可哀想に」と同情する余地があるかもしれない。
でももういい大人。
少なくとも、私は強いからなどではなく、このような事にいつまでも囚われていたって、何ひとつ自分にプラスにならないないってこと、身をもって知っています。
そしていつまでも囚われていては、絶対に幸せにはなれないことも知っています。
何かの、誰かのせいにすることは簡単。
けど、それで解決することなどひとつもないし、それは人生の無駄な時間でしかない。
悩んだり、苦しんだり、悲しんだり、その先は絶望しかないのでしょうか?
違う。
そこから何を考え何かを学んで成長するのかは自分次第。
幸せになれる心はその苦悩の果てに持てるものなのかなとも思っています。
これも身をもって経験して来たこと。
家庭、仕事、健康、将来の不安。
それは尽きることはないし、迷い悩むこともある。
そこに何度でも向き合い続け、答えを出し続けることでしか、前に進めないことも自分はよく知っていて、それなのにまた、懲りずにこうして壁にぶち当たり、書けなくなったりもするんですけどね😅
だって人間だもの(笑)byみつを笑笑
まぁ、それも私。
でもここから早く抜け出したい、、、
この2ヶ月は苦しくなかったのかと言えば、やっぱ苦しかったんですけどね🥹
その人を象るもの
こうして言葉を綴っていていつも気を付けていることは
「これを読んで相手は私をどんな人間と思うんだろう」
ということ。
人の目を気にして生きてるわけじゃ決してないけれど、変な風に誤解はされたくない。
言葉のひとつひとつは、その人を象るものだから、そういつも肝に命じています。
誰かの発信したものを読んで
「あぁ、この人はこういう人なんだ…」
そう思ったことってありませんか?
例えば弱くても、ダメでも何度だって挑戦して頑張ろうとする人。
はたまた、いいわけばかりで頑張れないことにいいわけばかりで不満ばかり言う人。
私は頑張ろうとする人は応援出来るけど、そうじゃない人とは関われないし、関わりたくない。
あらゆる負のものはいらないし、見たくないし聞きたくない。
そんなことも全て排除してきました。
私の人生は私のもの。
だから
見るものも、聞くものも、付き合う人も選ぶのは私。
また、ネットに氾濫する情報の中、何が本当で何が嘘なのか。
ネットに溢れる一見、全うに見える嘘。
己の金儲けに繋がることしか考えない人は本当に多い。
では、私のしていることは、そう誰かに誤解されてはいないだろうか。
またブログは、ノウハウやセオリーばかりに囚われて、自分の思い感じる本質を書けなくなってはいないのか。
書けなくなったことを通して、私にとって何が問題で、何が原因で、そして私自身、本当はどうしたいのか?
目指す所はなんなのか。
とことん向き合い続けたその先に、ほんの少しだけ答えが光が見えた気がしています。
自分と向き合い、書くことと向き合い、自分はどうありたいのか、これからも自問自答しながら、少しだけ今、noteを書いてみました。
その先にある、確かなものをいつか必ずこの手にする為に。