
【エッセイ】ゴールデンカムイ第7師団の聖地”北鎮記念館”を訪ね、戦争について考えたこと
ども✋
例年にない最強・最長寒波がやっと退いてくれましたね💦立春を過ぎたというのに、、早く春が来て欲しいものです🥹
さて、今回は国民的大人気アニメ【ゴールデンカムイ】の聖地、北海道旭川市、陸上自衛隊旭川駐屯地内にある【北鎮会館】を訪れ、感じたことを書きたいと思います。
ちと内容が長く濃いので興味のあるところからどうぞ🤲
ゴールデンカムイって
どんなお話?
まずザックリ【ゴールデンカムイ】の話を説明すると 、アイヌから奪われたとされる金塊の在り処を示す刺青人皮争奪戦の話で現在アニメでは第4期までが放送され、第5期を待つばかり🤩(※漫画では完結済み)
ちなみ第4期のテーマ曲が一番カッチョイイ👍
実在した第七師団

物語の中に登場する、鶴見中尉率いる第七師団は登場人物の多くが所属していました。
これは実際の歴史に基づいて設定された旧日本陸軍の部隊で、北海道を拠点とする陸軍最強精鋭部隊。
物語の中では第七師団鶴見中尉率と共に個性豊かなキャラクターが描かれています。
当時、北海道の警備と開拓の役割を担っていた屯田兵から結成された部隊が「北鎮部隊」と呼ばれ、その背景には屯田兵への畏敬の念を込められているそうです。
(※北鎮とは、北方の脅威から護る(まもる)という意味です)
この北鎮部隊は過酷な訓練を積み、寒冷地の極寒の環境下での戦闘能力にも優れた部隊として知られていました。
『ゴールデンカムイ』の中でも、第七師団は日露戦争では勝利に大きく貢献しました。
戦争後、鶴見中尉は軍事クーデターによる独立国家樹立を目論んでいていて、その軍資金の為に部下を率いて金塊を狙っています。
この話の背景には日露戦争、満州国の設立、昭和初期に海軍が起こしたとされる5・15事件や陸軍将校が起こした2・26事件も話のヒントになっているのかなと勝手に思ってます(※個人的な見解です😅)
また、実在した登場人物がキャラクターとして登場するのものこの作品の魅力のひとつ✨
ちなみに『杉元佐一』が推しです笑
さて、戦争は人々の運命をどのように変え、彼らの人生にいかなる影響を与えどうなってゆくのか――。早く続きが見たいよ〜
ちなみ現在、戦争下には無い日本。
隣国の脅威は否めませんが、それでも国民は何だかんだ平和に暮らせています。
当たり前のようで当たり前じゃない毎日。
ここではまず、ざっと日本においての戦争の歴史についておさらい。
日本における戦争のおさらい
(超ざっくり)
戦争とはなにか?
“戦争とは国家間でお互いに自国の意志を相手国に強制する為に武力を用いて争うこと”
日本における戦争の歴史は国内外での紛争や領土拡張、国際関係の中などあらゆる戦いがありました。
戦国時代に遡れば、武士による権力争いや国内の統一。幕末期には内戦も勃発。
明治維新後は日本の近代化と共に軍事力も強化されてゆきました。
その後は日清戦争(1894年-1895年)次いで日露戦争(1904年〜1905年)へ。
日本はアジア地域での影響力を拡大させていきました。
日露戦争
日露戦争(1904年~1905年)では、日本とロシアが朝鮮半島や満州(中国北東部)の支配権を巡って戦い、初めてヨーロッパの大国(ロシア)に勝利。
日本海海戦での勝利はその後、日本の国際社会での地位を高めることとなりました。
この日露戦争において日本の勝利に大きく貢献したのが当時の日本陸軍の部隊のひとつ、北海道を拠点としていた師団『北鎮(ほくちん)部隊第七師団』で、本来北海道を守るという役割でしたが、日露戦争では満州に派遣され戦いました。
第七師団は、日露戦争で最も激しい戦いとなった旅順攻囲戦(ロシアの要塞を攻める戦い)に参加し、この戦いでも重要な役割を果たし、ゴールデンカムイの中でも激しい戦闘が描かれています。
分かりやすく言えば、日露戦争では北海道の兵士たちが満州で大活躍した戦争ということになります。
太平洋戦争開戦そして終戦へ
その後、太平洋戦争(第二次世界大戦)では1930年代から1945年まで、日本は中国への侵略(満州事変、日中戦争)がきっかけとなり太平洋戦争へ突き進み、アメリカが長崎・広島へ原爆を投下、ソ連の侵攻、本土空襲の被害など戦局は悪化し、昭和天皇の決断により日本は終戦を迎えることとなりました。
この辺りの話を描いた映画に太平洋戦争開戦のきっかけになった『連合艦隊山本五十六』や終戦間際の『宮城事件(きゅうじょうじけん)』を描いた『日本のいちばん長い日』がありどちらも実話を基に作られています。
聯合艦隊司令長官
山本五十六

山本五十六は連合艦隊司令官として、真珠湾奇襲攻撃を指揮し、太平洋戦争の火ぶたを切った軍人として知られ最後は自決という幕引きでした。
死後は軍の最上級を表す”元帥”の称号を与えられ、当時、皇族や華族でなもない平民で国葬になったのは山本五十六だけだったそうです。
日本でいちばん長い日

この映画は昭和20年8月14日の終戦前日、会議でポツダム宣言の受諾が決まると、一部の陸軍省将校と近衛師団参謀が、終戦に反対し日本の徹底抗戦を訴えクーデターを起こした話。
天皇が終戦の詔勅(しょうちょく)を読み上げた「玉音放送」の録音盤を将校達が奪おうとします。しかし、録音盤を見つけられないまま、このクーデターは東部軍管区によって鎮圧され、翌日の正午玉音放送が行われ、終戦は国民に広く伝えられました。
オッペンハイマー

ちなみに長崎や広島に投下されることとなった原子力爆弾を作った物理学者の生涯を描いた映画作品が『オッペンハイマー』
これらの映画レビューまた後日書くかも?笑
敗戦後日本は平和憲法(特に第9条)を制定し、戦争を放棄しました。
なのでこれ以降日本は軍事力ではなく経済力や外交を通じて国際社会と関わっています。
戦争の歴史は日本社会や文化、国際関係にも大きく影響を与えましたが、戦後の日本は「戦争をしない国」としての姿勢を現在も強調しています。
※憲法第9条: 日本は「戦争の放棄」を掲げた平和憲法。戦後軍事的な行動を抑え、国際社会での平和貢献活動(PKOや災害支援)を通じて「平和国家」としてのイメージを築いてきました。
戦争観
今この時代に生き、日々の暮らしの中で「戦争」を考える機会がどれだけあるでしょうか。
TVメディアが日々衰退していくなか、ニュースでさえ知りたい情報だけを選んで知る時代。
かつて戦争を経験した方は高齢化が進み記憶の継承が難しくなり、戦争は過去のもとして風化していくことが大きな課題となっています。
現在日本の学校教育でも第二次世界大戦を含む近代史を中学や高校で教えられています。
日中戦争や太平洋戦争、原爆投下は敗戦などを取り上げ、平和教育の一環としての役割として教えられていますが「どの視点で書かれているのか」で大きく捉え方が変わってきます。
例えば私が中学生の頃「悪魔の飽食」という本を読んだことがありました。
この本は有名な小説家「森村誠一」の著作です。
内容は第二次世界大戦中の大日本帝国陸軍で「悪魔の731部隊」と言われた「日本による捕虜の人体実験」を告発した内容で、ロシア人や中国人捕虜を対象に非人道的な実験を行ったとされる日本軍の行いを「告発の書」として書かれたものです。
その頃の私は戦争の歴史なんて真面目に勉強したことも考えたことも無かったし、深く知りたいと思ったことすらなかったので、日本は侵略戦争の末に負けた「敗戦国」というイメージしかありませんでした、恥ずかしながらですが。。
当時の私のように戦争というものをよく知らずこのような本を手にしたら、果たして日本に対してどのような感情を持つのかは想像がつくと思います。
正直この著書の真偽は分かりません。
実際、使用された写真の中に偽物が混じっていてたこともあり、著者の森村誠一は誤りを認め謝罪したという経緯もあります。
いずれにしろ戦争について、何が真実で嘘なのかは分からない面は少なからずあります。
この著書を読んでからしばらく「日本」という国をどこか真っ直ぐ見れなくなっていた私。
だからこそ、その歴史を知ることは本当に大切なことなのだとつくづく思うのです。
なので、アニメがあっても、何であっても良いと思うんです、きっかけにさえなってくれれば。
戦争のもたらす悲劇
その後、戦争というものに漠然とですが興味を持った私は、様々な本や映画などをよく見ました。
もちろんそれは情報のひとつとしてですが。
中でも印象深かったのが「キリング・フィールド」
この作品は1984年に公開された歴史的ドラマ映画で、1970年代のカンボジア内戦を背景に、ポル・ポト政権下での悲劇を描いた実話に基づいた作品。
内戦では共産主義組織クメール・ルージュ(ポル・ポト政権)が権力を掌握、新政権の下では虐殺や強制労働が行われ、国民200万人以上が犠牲となったとされています。
クメール・ルージュによる大量虐殺(キリング・フィールド)を通じて、戦争がもたらす悲劇と人間の残虐性を広く世界に伝えるとともに、戦争と人間の尊厳について考えさせられる作品として、現在も語り継がれ、今も心に深く残る作品のひとつです。
ちなみにこの作品で助演男優賞を受賞したカンボジア人の助手ディス・プラン役のハイン・S・ニョール自身がクメール・ルージュ政権の生存者であり、その存在が映画のリアリティをより深めたと言えます。
ポルポト政権下、兵士たちの多くは、若年層や農村の貧困層から強制的に徴兵されていました。
彼らは命令に従わなければ処刑されるという極限の恐怖の中で、加害行為に手を染めざるを得なかったジレンマがあります。
戦争では、国家や権力によって人々が戦わざるを得ない状況に置かれます。
それはどの国においても同じこと。
それは戦時下の日本でも同じことではなかったのかと、この映画をきっかけに少し歪みかけてた認識と「戦争」や「日本」に対しての見方が少し変わったきっかけにとなりました。
北鎮会館を訪ねて

さて、今回戦争について書くきっかけとなった北鎮記念館。
場所は北海道旭川市にある陸上自衛隊敷地内にある施設で、屯田兵や旧陸軍第七師団に関する資料を展示しています。
北海道の防衛や開拓の歴史を物語る資料は、旭川市指定文化財にも指定されていて、特に日露戦争に関する旧陸軍第七師団の記録などを多く見ることができます。

明治29年から昭和20年までの50年間にわたって旭川に設置されていた旧陸軍第七師団の歩み、北海道の開拓と防衛の歴史を物語る上で貴重な資料はなんと約2,500点に及びます。
かなりの見応えありです。しかもこんな貴重な資料が無料で見学出来るんです!

展示物のほとんどは寄贈されたもので、それだけになんとも言えないリアリティと歴史を遡ってこの時代に生きた人の心情に触れ、胸が痛くなります。




展示されてるものの中に【千人針】というチョッキがありました。
以下に説明を抜粋します。
このチョッキは、手作りで真綿を中に入れ、表には赤い千個の縫い玉が結んであります。当時、真綿は玉や剣が通りづらいと言われていました。内側には、ポケットがあり郷里の神社の御守りを入れていました。家族の思いが万感こもるものであります。
(※布に赤い糸で結び目を結んであるのは、糸を切らずに縫い留めたもので、戦争に行く兵士が弾丸に当たらないよう、そして無事に帰ってきて欲しいとの願いを込めて、千人が一針ずつ刺して完成させたので「千人針」と呼ばれました)
家族はどんな思いでこのチョッキを縫ったのかと思うと張り裂ける思いが込み上げてきます。

これは海軍の飛行練習生を募集するもので終戦の前の年のもになります。
微笑む青年と空高く飛ぶ戦闘機が描かれています。
ここに添えられていたのは『軍国歌謡曲』でしょうか。
軍國の母を讃えよ
勇ましく 鋭く 羽ばたく若驚は
母の聲をきいた
「わが子よ後れるな大空の決戦に」
この聲に 若鷺は勇み立つ
母の面影を胸に
決然と飛び立つて征く
母への思いと国家への忠誠を表しているような詞。
戦時下の日本における軍国主義的な思想の中で、この言葉は深い意味合いがあるような気がします。




母親が国家や戦争に対して果たすべき理想的な役割は子どもたちに愛国心や戦意そして自己犠牲の精神を教える『母親像』な気がします。
『我が子よ後れるな大空の決戦に』
後れるなとは“ライバルに後れをとるな”という意味を持ちますが、母の本音と建前が垣間見えるような気がします。軍国主義的な価値観をよく表しているように感じます。

終戦の前の年。





遺言状や戦死者通知書を見ると、書いた方やそれを受け取った方の気持ちはどれほどのものだったか、それは戦争を知らない私たちの想像を絶するものだったとおもいます。
戦争は決して美化してはいけないし、されてはいけないことだと思います。
『悲惨さ』や『痛み』『苦しみ』を伝え、戦争を経て今があるということをいつもどこか心に留めておきたい。
是非コチラも🤲
最後に
家族全員大好きなアニメ【ゴールデンカムイ】をきっかけに訪れた『北鎮会館』
そこには思いがけず『戦争』というものもをより身近によりリアルに考えるきっかけになった大切な場所となりました。
今の北海道があるのは明治時代より始まった屯田兵制度による開拓そして、北海道を護った『北鎮部隊』
何がきっかけでもいい、興味を持つことから『知る』そして『考える』が始まります。
終戦から80年の今年、いま一度平和に感謝しつつ、拙いこの記事が歴史に目を向ける少しのきっかけになれば、、、そう思えてなりません。