最近、欲しかったのは質問力
ここメルボルンにおける、コロナ自粛も1カ月を過ぎた頃でしょうか?
私は、近年稀にみる安堵の中に、自分がいる事に気が付きました。
移住当初は、当時の円安も手伝って、物価の高さに驚き、1ドル100円換算をして、政府からの保障を受けられない移民の子供の保育料は、1日当たり180ドル!
衝撃でした。保育園1日で1万8千円!!
私がこの国で就労許可を得ても、その保育料に見合った収入を作る事なんて出来ない!そんな追い詰められた気持ちになった事を覚えています。
一方、オーストラリアは、世界の中で、最低賃金も高い国なので、周りを見れば大きな立派なお家に、日本では興味がなくて目に入らなかった車も、車社会のこの国では、高級外車が沢山目につき、「自分の今世は、この程度の人生なのかな?」
娘が幼稚園に入れることになっても「日本語で育ててきた私の娘は、ネイティヴの子たちに想いを伝えられず、自分を発揮できていないのではないか?」
などなど、一事が万事、比較をしては、自分の可能性を低く見積もって、限界を勝手に作っていきました。
そんな中、コロナの自粛で、街から人が消え、みんな平等に機会が奪われてみたら、どうでしょう?遠い武漢での出来事に胸を痛めながらも、私は、不謹慎ながらも、どこか、ほっとしていたのです。
日本の皆や、オーストラリアの皆にも引けを取らないくらい、娘に幸せな1日を与えなければいけない!という比較からくる謎のプレッシャーからも解放され、のんびりと過ごすことが出来ていました。
そんな中、オンラインで#シータヒーリングのお試しセッションを知り合いの方がやってくれました。以前、別のお友達にインドでしてもらったときに急に涙が深いところから溢れて来て驚いたのですが、今回も前兆もなく、質問に答え始めた瞬間から、涙があふれてくるのです。
そう、私が欲しかったのは「質問力」
世界的に大変な状況の中、自分は、穏やかに過ごせていると思っていました。自分の中でも、見過ごしていたモヤモヤ、しまいこんでいた堂々巡りを、引き出す質問力。人や自分の脳を言語化をし、気づきを促す、巷ではそれを#コーチングと呼ぶ事も知らずに、関心を持っていませんでした。
今までヨーガをお伝えする中で、その質問力があれば、もっと生徒さんと寄り添えて繋がれる気がする、そう思っていました。#シータヒーリングのミニセッションのおかげでしょうか?私はその後、自分が行動するために、延長線上の未来を変える為に「知らないことが多いことに気が付いたから、学んで行動したい」と自己投資をするのです。