50代元保育士”昭和の教育を懐かしむ”体罰、非行、なんでもありの時代から感じたこと※※閲覧注意※※
こんにちは!
今日は久しぶりに
ひとり語りでもしようと
思います。
先日、職場で大掃除を敢行した際
「そろばん」を発見👀
口々に
「わ~懐かしい~」
「今の子ってそろばん習うのなぁ~」
という職員たち。
そんな中
そろばんを手に取って一言…
「これでよく叩かれたなぁ~」
それを聞いて
他の職員が皆、唖然!!
「え?そろばんで叩かれたんですか?」
「なんでですか?」
私は理由を考えました。
「なんでだっけ…あ、ケンカしたからだったかな?」
はい、
子どもに体罰は
身体的苦痛を与えるだけで
なぜ怒られたのかなんて
理由はちっともわかってないのです!
体罰だらけの小学校時代
こう書くと、
どんな想像をしますか?
学校?
家庭?
まぁ、そのどっちもです😢
では
maruちゃんはどんな体罰を受けて育ってきたのか
見ていきましょう~(笑)
・そろばん
最初に少し
お話しましたが
まずはそろばんのお話から。
というか
そろばんって聞いて
知らない世代もいるかもしれないので
ご説明。
小学3~4年生で
算数の授業では必須でした。
そろばん塾は
クラスの半数くらいは通っていたし
級が上がっていくと
結構すごいことだったりして
メジャーな習い事でもあり
計算(暗算)が早くなるという
教育だったのかな、
と思います。
私は苦手でしたが💦
そんな
教育に使うはずの道具で
お尻を叩かれた思い出のある私(笑)
体罰の理由:多分、けんか。
・ホウキの柄
各教室には
お掃除道具入れがありました。
大体、
くたびれたグレーのロッカーです(笑)
教室の一番後ろにある
掃除に使う柄の長いホウキが
体罰の道具でした。
これは
おしりをたたかれた時の痛さが
未だに思い出されますよね。
細い竹でてきているのですが
男性教師が
バットのように振り抜くと
肉に食い込んで
本当に痛かったです。
体罰の理由:多分、けんか。または忘れ物。
・サンドイッチビンタ
ビンタって
普通は片手でほっぺを叩くじゃないですか?
ところが
どいうわけかこれは
両手で
顔をサンドするように叩くから
「サンドイッチビンタ」というらしいんです。
誰が考案したのか
わかりませんが😱←こんな感じです、まさに!
これは、
中1までやられた記憶があります。
「歯を食いしばれ!」
体罰の理由:多分、けんか。
・バケツ持ち
よく
のび太が立たされていたような
気がしますが…
本当にあるんですよ(笑)
廊下で
水の入ったバケツを両手に持たされて
授業が終わるまで
立たされているという
体罰です。
これは、
記憶にあるのは
中1くらいですが
この時は
途中でバックレました(笑)
体罰の理由:多分、忘れ物
・竹刀
これは
番外編かもしれませんが
習い事での話です。
小学校4年生から6年生まで
器械体操を習っていました。
跳び箱やマット運動、
鉄棒、トランポリンなど
体操選手養成の教室でした。
そこでの痛い思い出は
竹刀で叩かれていたことです。
跳び箱の手のつき方が
悪かったせいだと記憶していますが
跳び箱の横で
竹刀を構えているコーチが
本当に鬼かと思うほど怖かったです。
毎日、
手首が切れて血が出てましたよね…
その状態で帰っても
親は一切苦情は言いませんでした。
体操教室では
その後、練習の時に
ねん挫や脱臼もしょっちゅうでしたが
竹刀で受けた体罰が
記憶に残っています。
体罰を受けて育つと
大体、
体罰を受ける時は
教室の前に立たされて
見せしめ状態なんですよね~
そして
いつもやられるのは
だいたい決まっている子だったりもします。
そんな子達で
一緒に中学に上がると
いわゆる非行に走ったりもして
悪循環だよなぁ~と
思いますね。
もっとも
「じゃあ、悪いことをしなければいいのでは?」
とのご意見も
あるかと思いますが(笑)
今は
そういう話じゃないので~🙏
・両親から受けた傷
小学校時代の
こうした体罰経験と
両親からも
そこそこ体罰を受けて育った私。
(殴る、蹴る、締め出される)
スポーツをやっていたので
なんとか
曲がらずに
小学校生活までは終えました…が。
・まぁ、そうなるよね
中学生になると
一気に非行に走りました🏃🏼🏃🏼🏃🏼
暴走族とつるみ
学校へ行かない日々。
髪を染め、かばんはぺしゃんこ←昭和ですね~(笑)
その他、詳しいことは割愛しますが💦
結局こうなる、の典型でしたよね!
・体罰は何の解決にもならない
学校へ行っていないことは
早々に親にもバレました。
ちょうど
「積み木くずし」という映画が
流行っていたころです。
親や学校に反抗するのが
カッコイイくらいのノリで
生きていた13歳。
暴走族のリーダーには
いろんな所に連れて行ってもらったし
そのおかげで
「卒リン」対象リストにまで
載ってしまって
怖い思いもしました。
そんな荒れた生活が
一気に終焉を迎えます。
母の涙かな。
あの強い母が
私に謝って泣いたからかな。
昭和教育をふりかえって
古き良きを
懐かしむ昨今。
教育に関しては
地域差もあるかもしれませんが
なかなかすごいことになっていたと
振り返って思います💦
(他人事かよ~(笑))
もちろん、
教師が強かったということは
熱血漢の
いわゆる「いい先生」も
いたはずです。
私も
体罰の記憶の片隅には
ベテラン教師のことばが
かすかに残っています。
・ことばの大切さ
最近では
ことばで伝えることの大切さが
ようやく
クローズアップされていますよね。
体罰に走っていた
昭和の教育者たちも
うまくことばで伝えることができなかったから
こうなったのかな、と思います。
「言ってもわからないから」
が、常套句だと思いますが
わからない言い方をしていたか
諦めていたからなんですよね、きっと。
伝えることは
根気のいることですしね。
でも
あの時…
「教育者」として
何かことばで
伝えることを
頑張ってほしかったな~
まとめ
まぁ
いつの時代も教育に関しては
常にいろいろな問題が出てきます。
今は
昭和のわかりやすい体罰よりも
複雑な問題がありますからね…
そんなこんなで
人との関わり、コミュニケーションを諦めた先には
教育も
AI先生の出番になっていくのでしょうかねぇ~🤖
私はすでに
教育者ではありませんから
いい加減なことは
言えませんが💦
私は人から人へ
気持ちを伝える方法として
ことばを大切に生きていきたいなぁと
あらためて感じたことを
書き留めておきました。
話が
あっちこっち飛躍しましたが
今日も
長文におつきあいいただき
ありがとうございました🤗