ぼーっとタイム⏳
人と違う人でありたいという邪念
優れていたい特別でありたいという欲求がある。
しかしそれは、私にとっては邪念であり、醜いものと感じる。
しかし、それは消える事はなくて、
人と比べる故に自分をダメだと思い苦しめる要因であり、
それがモチベーションであり、何か物事をやろうとする動機である事もある。
無くなったら、自分ではなくなるのかな?
それがない人が特別である様に見える。
そうなりたい、そのくらい飛び抜けていたいという気持ちがあるから私はそこにはいけない。
普通でいいよ、が私にとっては安心ではなくて、自分がなくなる不安である。
しかし、人と比べる事が自分が不安定になる要因でもある。
苦しさを取る代わりに生きる事を選択する。
生きる為には酸素が必要で、酸素が人を死へと導く。
人と関わりたい欲求がある。
誰もいないと不安になる、寂しくなる。
人と関わりたくない欲求もある。
今ここには誰もいて欲しくない、入ってきて欲しくない。
無の中で生きていけない。
音がない、景色がない、感覚がないと辛い。
有の中では、疲れる。
雑踏が煩い、感情の雑踏も煩い。
無、の中に生まれる、有の波が考えを進ませてくれたり、苛立ちを与えたり、自分を確認したりする。
音がないと、右耳の耳鳴りが煩いのと同じかもしれない。
同じ志の仲間は安心する、けど、敵が必要だなと思う事もある。あえて自分から敵を作り出しているとも感じる。
鈴木大拙館は、ぼーっと考えるのに最適です。
ぼーっと考えてるだけ、病んでない(笑)
(金沢、ひとり旅中。)