#10 思い浮かぶ母の眼差しは
あなたがご自身の母親を思い浮かべるとき
その母親はどんな表情、眼差しをしていますか?
慈愛に満ちた優しい眼差し?
厳しくもあたたかい眼差し?
私の場合は「軽蔑の眼差し」です。
なんでそんなこともできないの?
普通こうやるでしょ
(普通を教わってないなあ)
なんで私があんたのせいでこんな辛い思いをしないといけないんだ!
痴漢に遭うなんてあんたのスカートが短いのが悪いんだ
あんたの眉毛はそのままで綺麗だと思ってたのに、なんでいじるんだ
(中2になって色気付いて眉毛のお手入れをしたとき)
見た目ばっかり気にしてたって中身が伴わないとなんの意味もないんだよ
(出かける前に服やメイクの準備をしてたとき)
なんで私がこんな恥をかかされないといけないんだ
(こっそり近所のクリーニング店に制服のスカート裾上げを頼んだのがバレたとき)
そんなに太って恥ずかしくないの?!どうにかしようとか思わないの?!
(中学生時代、試着したズボンが入らなかったとき)
などなど
怒られたシーンは覚えていても言葉はほとんど忘れてきているので
もっとたくさん浴びてきたと思います
そしてそのとき、いつも軽蔑の眼差しを受けてきたと感じています。
汚いものを見るような。
最近のわたくしはというと
17年来のペーパードライバーでしたが
生活に必要になったので
春ごろから頑張って練習して、毎日運転するようになったんです。
でもまだまだ下手で、こすったり、踏み間違えてフェンスにぶつけたり、駐車は大体ななめになってたり…
そんなとき、どうしても
「なんで自分はみんなが普通にやってることがうまくできないんだろう」
という思いが顔を出してきます。
そんな気持ちとともに、母の眼差しが脳裏に浮かぶのです。
ここで私のこどもの話をしましょう
上の子は『HSC』と言われるような、非常に繊細さを持つ子です。
赤ちゃんのときから敏感で、肌を離して寝ることが何年もできませんでした
未就園児時代は、お話会のような集団に入ることが全くできませんでした
幼稚園に入ってからも、大多数の子ができることができなかったり
いつまでも環境になじむことができなかったり
どうしてみんなと同じようにできないのかな、
とはじめは思いました。
でも、みんなと同じことが出来なかったとしても
誰よりも優しくて、思いやりがあって
家族が大好きな本当に素晴らしい子なんです。
もしこどもがその環境で自信を失ってしまったら
それ以上に悲しいことはなくて
幼稚園を変えたり環境を変える方向で何度も壁を乗り越えてきました。
子どもを自分に置き換えて考えてみます。
私は間違いなく人より不器用だと思う。
上手に生きられないと思う。
でも、頑張ってるじゃん!
失敗してるってことは挑戦してるんじゃん!
最初からうまくいくはずないし
よくやってるよ。
と、自分で自分を励まして、
自分のことも大切に育てたいと思うのでした。