ポスト構造主義について
構造主義的な考えの特徴とは:
①近代世界では歴史の進歩を信じてきたが、構造主義では、歴史の表面的な変化は認めても、社会の深層に変わらない構造があると考える
②近代哲学は、人間の主体性を強調してきた。構造主義では、人間の言動は当人の知らない深層構造によって規定されていると考える
③近代哲学では、人間が世界にどう関わるべきかを考えてきた。構造主義では、世界それ自体が言語によって作り出された文化的な形成物であると考える
④近代までの伝統的な考えでは、「もの」はそれ自体として存在すると思われてきた。構造主義では、「もの」は言語という差異の体系によって生み出されたと考える。
構造の「外」には何があるのか?
「外」=人間が考えられないもの。
つまり構造と時間との関係がポイント。
世界は自然に存在するのではなく言語によって作られた文化的形成物(言語学〜文化人類学)である。
例)犬|ヤマイヌ|オオカミ それぞれを分けるもの
構造主義的な考え方 ④について再考してみよう。
■ジャック・デリダ『エクリチュールと差異』:
犬とオオカミをどれだけ言語で分類しても完全には安定しない
ものには空間的なズレ(差異)と時間的なズレ(遅延)=「差延」がある。
ものが安定して目の前にあるようにみなす態度=「現前の形而上学」
「脱構築」:意味を外側から壊すのではなく、意味の内側に入って意味そのものを構築し直す ( ´-`).。oO(つまり一人称研究に近い…?)
世界の意味を内側に入って書き換える。
A主義に対してB主義を唱えると、B主義の結束はかえって強くなる。
しかしB主義に入って疑問を唱えると、次回させることができるかもしれない。=脱構築
二項対立:男と女、人間と自然など これらに揺さぶりをかけられる?
■ジル・ドゥルーズ『差異と反復』:
動きながら運動を捉える。すべての変化を肯定する。
・整理された思考=ツリー
・ごちゃごちゃに流動する思考(生命力あふれる自在な思考)=リゾーム
→こちらが生命の本質?
ごっこ遊びをするこどもはサルにもロボットにもなれる
自然哲学
■ジャン=フランソワ・リオタール『ポストモダンの条件』:
今や大きな物語はなくゲリラ戦の時代、近代以後の時代(ポスト・モダン)に入っている。だから、個々の現場で別々に問題を解決するしかない。すべてを解決する方策はない。
■クリステヴァ『詩的言語の革命』:
テクスト理論:混沌とした多種多様な運動の中から意味が生成される。言葉は他の言葉との関係の中でのみ生まれる。
テクストは他のテクストとの関係の中にしかない。ひとつのテクストの中には他の無数のテクストが読み込まれていることを「間(かん)テキスト性」という。
無数のテクストが交錯して多種多様な方向性を持つ間テキスト性の運動の中から、自然に一つの方向性が生まれる、その瞬間を「意味生成」という。
テクストには作者の意図に加えて、作者の意図に反するもの(例えば読者や読まれる状況による影響など)がある。これらによって意味が生成される。
〜ミハイル・バフチン(ロシアのフォルマリズム):多数の声や意識が共存するタイプの小説=対話型(⇔独語型:作者単一の視点)
■ボードリヤール『象徴交換と死』:
シミュラークル:ものの記号化。
服→寒さから身を守るという実用
装飾品→実用性は殆ど無い。
例)現代人は高価な服を競い合い、無意味な遊び道具を持ち歩くことで他者との関係を築いている。つまり、ものではなく記号を通して他人と関わっている=「象徴交換」
■ルネ・ジラール『欲望の現象学』:
構造は混沌(暴力世界)から(の犠牲をもとに)生成されるものである。つまり「自分」のはじまりは、別の「秩序ある世界」の中にいる人たちの模倣をすることによって、欲望を取り入れることによって、人間としてのまとまりをつくり上げることである。これを秩序という。
その他、ポスト構造主義に関係ありそうなトピック:
●言語論的転回:
犬という存在があるから「犬」という名称があると考えるのがそれまでの考え方だが、「犬」という名称があるから犬の存在を認識できるという考え方になった。という変化のこと。
言語が認識に影響を与えているということ。
■パース「プラグマティズム(著書なし)」:
思想を人間が生きる実践との関係で考える
「長さ」という概念は「測る」という実践がなければ無意味である
人間は思考に「記号」を用いる
頭の中にあるのは現実の「もの」でなくイメージ=記号
1)鳥の絵は鳥と似ている:現物と似ている
2)赤は止まれである:単なる取り決め
3)犬→人に懐く動物:「人」「懐く」「動物」記号でできた記号、例えば言葉
※言語という記号の特徴は、単語一つでは成り立たず、ひとつの単語の中に多くの単語の意味が含まれている
・ソシュールのいう犬:「オオカミ」との差異としての「犬」
・パースのいう犬:「人・なつく・動物」の意味が協力しあい「犬」に
つまり、記号の意味を言うには他の記号が必要。
◎言語学:記号についての関係:〜人間と記号の関係を問う〜
①単語同士の関係を決める文法のような記号同士の関係
②記号と現実の「もの」の関係
③記号と記号を使う人間との関係
■ハイデガー『存在と時間』:
「人間にとって「世界」がどのような意味を持っているか。世界の意味を考える。」〜師はエドムント・フッサール(現象学)
個々の具体的な人間を「現存在」と呼ぶ。
世界が世界として成立するのは、私たちが言語を使うからである。
西洋近代とは世界像の時代である。
かつて人間は世界の中に住んでいた。個々の「もの」の存在は人間の生活と結びついていた。
→ 近代では、人間は世界全体を主人として眺める立場に立った。
→ 世界像の時代:世界の中の「もの」は、人間に見られることで、何で「ある」かが決められてしまう。それぞれ一つの意味しか持たない「もの」で近代世界はうめつくされている。
例)あれは「岩」である。そして「岩」でしかない。
つまり、人間が世界の中に住むのではなく、世界から独立した主体として振る舞うことでまるで外から眺めるように世界に接する=西洋近代=世界像の時代
言語に着目することで、「もの」が一つの意味で「ある」だけの近代世界から逃れようとした。
■ウィトゲンシュタイン(初期)『論理哲学論考』:
現実・言語・思考を一致させるべき。科学に用いる言語の用法の厳密化。
■ウィトゲンシュタイン(後期):
言語活動とは生きる実践そのものである。言語は習慣によって使い方が決まっている。
例)日が沈む。→ 沈む=海の中に入るイメージ
日が沈むのと物が沈むのは全く無関係の現象なのにもかかわらずそういうイメージが浮かぶ。つまりこれが言語の社会性である。
人間の言語活動は言語ゲームである。言葉とは他人とやり取りするもの(社会的なもの)である。
自分の言葉の意味は自分では決められない。例)Aさん「ありがとう(感謝)」→ Bさん「皮肉かな?」
言語の家族的類似:「川」という意味はすべての川に共通する特徴を表すのではない。それぞれの川が曖昧に(性質が?)似ている→「川」となる。
さらにその他:構造主義を理解するための神学的思想
■キルケゴール『死に至る病』:
ヘーゲル:世界の在り方を他人事のように客観的に考察する
キルケゴール:客観的には理解し得ない「個」の立場を堅持し、そこから主体性について考えた。
人は、他の人間たちから離脱することでしか自分が人間であることを確認できない孤独な存在である。=人間と世界との断絶
カール・バルト:人間-世界と神との断絶
さらに番外編:
メモ)
ラカン:「私」が他者との関わりで成立する
アルチュセール:人は他者のよびかけにこたえることで主体になる
レヴィナス:人は他者からの呼びかけに応えることで責任ある人格になる
科学と構造主義:世界を客観的に観察する姿勢
■数学:ピュタゴラス、プラトン:
現実の奥には秩序がある。世界の秩序を見抜ける
人間は科学の主体であって、研究対象ではない:デカルト「我思う故に我あり」
構造主義とは科学の見方を人間に当てはめたもの。
構造主義の方法では、歴史の運動を把握できない。なぜなら構造主義とは科学と同じく変化しない構造を探る学問であるから。
→新しい科学は変化する複雑な現実を捉えることもしようとしている:複雑系
構造の外=現実:自分自身の自然、生命の力
■イリヤ・プリゴジン『散逸構造論』:
自然界はだんだん無秩序になるわけではなく、必ずしもそうではない。
自ら秩序を作るのは一般に生物の特徴だが、生物と無生物の境界は絶対ではない。
●系譜学:(⇔既成の歴史学)
「現在から都合良く見える過去の物語」という歴史学のあり方を批判。それぞれの時代が同時代の中でどう見えていたかを考えつつ、現在にとっては異文化である過去そのものの掘り起こしを図る(ニーチェ、フーコー)
●主体:
現実を言語という制度で表現するには、主語という枠が必要。
それと同様に、現実を人間的に把握するには主体という制度が必要。
更にその他のメモ)
可能世界・人工知能・物語理論 / マリー=ロール・ライアン著 ; 岩松正洋訳. -- 水声社, 2006. -- (叢書記号学的実践 ; 24). より
ごっこ遊び(make-believe)における擬装(ふり):pretense
ケンダル・ウォルトン
砂を詰めたバケツをケーキ、あなたが店員さん、私がお客さん、貝殻がお金、など
可能世界 possible worlds:ライプニッツ
可能世界のうち聖なる精神によって実現するべく選ばれた最良のものだけが実現、つまり現実
ジェイムズ・マコーリー:世界創造述語world-creating predicates
精神構造物7つ