構造主義について
構造主義 / 大城信哉執筆. -- ナツメ社, 2004. -- (図解雑学 : 絵と文章でわかりやすい!). より。
主な登場人物:
■サルトル『存在と無』:
実存主義:「歴史は常に進歩していく。私たちは歴史の中で自分の役目を考えなくてはならないのだ。」人間の自由と主体性が何より大事。歴史とは、弁証法*的に(人々が信じていたA王政に対して反発するBという考え方が生じて歴史が展開していく)進歩していく。
■レヴィ=ストロース『野生の思考(1962)』:
構造主義・文化人類学者:「その歴史とは西洋人の傲慢な考えである。その考えと無関係な生活を送っている人々もいる。」
*弁証法:
異なる意見や立場がぶつかりあうことで物事が展開するという見方。
意見Aと意見Bがあって、対話を続けていたら意見Cという新しい発見に到達し、しだいに物事が進展していく場合など。
例)ヘーゲル、マルクスの弁証法
私達は「枠組み」の中で物事を考えている:
日本人は日本語の習慣の中で物事を考える。
自分には見えない思考の枠組みが「構造」。
レヴィ=ストロースは未開人の社会を「冷たい社会(歴史的な変化を拒んできたという意味)」、文明人の社会を「熱い社会(歴史の中で変化し続けることを選んだという意味)」とよんだ。
構造とは、社会全体の考え方を決めている根底の仕組みである。つまり社会の中の私たちが物事を考えるときの「あるパターン」を構造という。
例)集団Aではフクロウを崇拝し、フクロウを襲うオオカミを嫌悪している。集団Bではネズミを崇拝し、ネズミを襲うフクロウを嫌悪している。このとき、集団Aと集団Bの考え方は同じパターンである。パターンが同じ、つまり同じ構造である。
構造とは、複数のものを見比べたときに共通して現れる「仕組みのパターン」である。先ほどの例で言うと、集団Aにとってのフクロウを集団Bにとってのネズミに置き換え、集団Aにとってのオオカミを集団Bにとってのフクロウに置き換えたときにはじめて同じパターンを見つけることができる。
この置き換え操作を「変換」という。
構造とは、変換という操作をしなければ現れてこないものである。
人間の世界の共通構造 例:交換(ものやサービスの交換=経済、女性の交換=結婚、言葉の交換=会話)
人間の行動は文化の底に潜む見えない構造で決まっている…。
構造主義と対立する思想:
その他のこと:
■サルトル 『存在と無』:人間はものと違って「ある」「ない」を決めることができる。「実存は本質に先立つ」ということは、何かであること=本質(本質存在)、何かがあること=実存(事実存在)。
つまり何かがあって、はじめて、何かである。
●もの(本質が先):
作る人が本質「これは書く道具である」をきめ、作られて実存する
●人間(実存が先):
実存が先にあり、本質「わたしは勇敢である」を決めるのは自分自身である
例)赤ん坊:まだなにものでもないが、実存する
→成長し「◯◯な人になろう」と思う
■マルクス・レーニン主義:旧ソビエト連邦のマルクス主義
「歴史がある法則に基づいて進んできたということは、科学的に説明できる」という主張。客観性を重視した=人間の主体性を軽視した。→西欧マルクス主義「人間の主体性を取り戻すべき」
■実存主義+マルクス主義
サルトル『弁証法的理性批判』(ヘーゲル+カント):歴史の意味は人間の理性によって決まる。マルクス主義の歴史観を土台にして、そのうえに自由な故人の主体性がある、という考え方。
さらにその他の考え方:
近代を構成する啓蒙主義とは「誰もが自分で合理的に考えないといけないので教育が重要」、つまり宗教からも自由になるべきである=ジョン・ロック(17世紀)、宗教改革(16世紀)
■カント『純粋理性批判』:人間とはなにか(人間学)
批判哲学:理性批判:「自分の考えが正しいかどうかをどう知ればいいのか。人間を離れた世界のことはわからないよね。」
人間が経験できる範囲の世界のこと=「現象」:これを学問の対象としよう。これは理性的な認識の範囲である。
正しく生きるためにはウソも必要かもしれない(=道徳的判断)。理性的にわからないことだが、生きる必要から一旦分かったことにしよう(=要請)。
∴ 理性的認識と生きる実践が別になってしまった。人間中心主義。
■フィヒテ、シェリング、ヘーゲル:ドイツ観念論:理性と実践の橋渡しする
カントの理性:ありのままの世界(現実)を静かに見つめる。つまり人間を中心にした見方。
↕
ドイツ観念論:理性とありのままの世界(現実)を一つに結びつけるためにこの世界を作り変える (同時代にはフランス革命があった)
ヘーゲル『法の哲学』:「歴史を動かす原動力は人間全体の理性である。ありのままの世界(現実)を理性によって作ろう。」
構造主義と似た思想:
さらに……構造主義と似た考え方がすでに19世紀にはあった
■ショーペンハウエル『意思と表彰としての世界』:やみくもに生きるだけという苦からの解脱を唱える仏教的思想
カントにとっての意思:道徳的に生きようとする人間の崇高さ
ショーペンハウエルにとっての意思:やみくもに生きようとする生命の衝動=生存への欲求(動物と同じ)
■フォイエルバッハ『キリスト教の本質』:
ヘーゲルの思想は神を人類の理性に置き換え神学を哲学化したものである
■マルクス再登場:人間性とは歴史の中で構築されてきたものである
■ニーチェ『ツァラトゥストラ』:
「生命への意思とは、やみくもに生きようとするだけのものではなく、生きるために理性を使うもの。」
「神は死んだ」:虚しい理念に頼った時代はもう終わりつつある
■フロイト『精神分析入門』:
一人の人間を集団のように見る。無意識がある。
■ダーウィン『種の起源』:
進化論:生物が形を変えながら生きていく。人間と動物の間の垣根はない。
生き物は進化をつづけていく。現在の人間も過渡的なものにすぎない。
構造主義と同様に自然について考えたものまとめ:
・マルクス:社会の現実について考えた
・ニーチェ:生命の力に注目した
・フロイト:意識の底に潜む無意識を見出した
・ダーウィン:生物の進化を重視する
( ´-`).。oO(つまり制御不可能性ってこと…?)
構造主義とドイツ観念論の比較:
構造主義:人間という理念よりも人間についての事実(自然)が重視される
ドイツ観念論:人間が事実どうあるかではなく、どうあるべきかが重視される
構造主義的な考えの特徴とは:
①近代世界では歴史の進歩を信じてきたが、構造主義では、歴史の表面的な変化は認めても、社会の深層に変わらない構造があると考える
②近代哲学は、人間の主体性を強調してきた。構造主義では、人間の言動は当人の知らない深層構造によって規定されていると考える
③近代哲学では、人間が世界にどう関わるべきかを考えてきた。構造主義では、世界それ自体が言語によって作り出された文化的な形成物であると考える
④近代までの伝統的な考えでは、「もの」はそれ自体として存在すると思われてきた。構造主義では、「もの」は言語という差異の体系によって生み出されたと考える。
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