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店員さんから「パールの商品をお探しですか?」と\ずばりご名答/な声をかけられて気づいたこと

4畳ほどの小さなアクセサリーショップ。

今日は連休だからか一気に15人ほどのお客さんが隙間なくぎゅうぎゅうになりながら商品を選んでいた。

わたしもいくつかの商品を手に取り、鏡の前であわせ、また戻しを繰り返しながら店内を1周した頃、店員さんから

「パールの商品をお探しですか?」

と声をかけられて驚いてしまった。わたしが手に取った商品をずっと観察していたのだろう。

こんなにお客さんがたくさんいる状況で1人1人をしっかり見て対応しようとする姿勢がお見事過ぎて感嘆した一方、見られてた意識が全く無かったため、同時に商売への執念というか貪欲さからくる怖さも感じてしまい、

「あ!大丈夫です!」

と条件反射で店員さんが今からおすすめしてくれるであろうパール商品への道を閉ざしてしまった。

そんなささいな出来事から『接客』においてのコミュニケーションの難しさを考えさせられた。



わたしは【店員さんから話しかけられる】=【無償の親切や興味感心ではなく、商品を買わせたいから話しかけている】と思っていて=【セールスされると買いたくなくなる】という天の邪鬼構造が生まれる傾向にある。

誰にどんな話し方をされようとこの図式が成立してしまうので、『店員さん』というカテゴリーやフィルターがわたしをそうさせているのだと思う。

天の邪鬼になる理由としては、おそらく、『わたしの何をわかって、その商品がお似合いだのなんだの言えるのか』と疑っているからだと思う。

自分よりも圧倒的に商品のことがわかってる専門の人の力を借りることで1人の視点では気づけなかった魅力に気づける利点はあるかもしれないけど、果たしてその利点が会ったばかりのわたしに都合がいいものかどうかまでは店員さんはわかりようがないはずなのだ。

(一期一会で信頼関係を築かなきゃいけない接客業をやられてる方々、本当に尊敬する。これかなり難易度が高いスキルだと思う。)

それと同時にわたしはいい人ぶりたい傾向があるので、話を続けてしまったが最後、この店員さんもがんばってるんだろうなと思うといたたまれなくなり、接客されればされるほど、私はその店員さんが求めるお利口さんな返答、例えば大袈裟な相づちや嘘をついてまで同調をし、まるで自分ではない誰かを演じてしまう。

そんな自分がとても嫌いだとリアルタイムで感じながら。

そこまでいくと最後、断れなくなり買ってしまう。それが本当に欲しかったのかどうかさえわからなくなるし、判断力が鈍りまくっている自覚がある。

そんな感じで購入したものは全てにおいて後々じわりと後悔している。

自分のお人好しなところに絶望する。大袈裟だと思われるかもしれないが、大真面目に自分にがっかりしてしまう。

というわけでわたしは『店員さんが苦手』ということではなく、『責任を他者に委ねてしまい自分で判断し決断できなかったことに対して自分の能力の低さにがっかりすることが地味にしんどい』のだと思う。

些細な商品を買うことですら決断する時はいろいろな条件をしっかり検討してから決めたいし、時間がかかるのを前提にゆっくり選ぶのが私には合っているなと。店頭で即断即決が本当に向いてない。改めて実感した出来事だった。

言い換えると石橋をたたきまくったあげく、壊れてしまい結局渡れなくなるタイプという見方もできる。

安全が保証されていない世界へ飛び込めるような、そんな思いきりの良さみたいな全く自分とは逆のものに憧れが物凄くあるので、うまい塩梅でやっていきたい。



わたしも今、みなさまにENDIAに来ていただきたくて\来てね~来てね~/と呼び掛けさせていただいてるものの、全くよくわからない人のレッスンへ参加するのはわたしみたいな性格の方は避けると思う。

遠藤って信用できそうだな~と思って飛び込んでいただけるようにあれやこれやがんばらないとなぁと考えさせられた。

わたしから生徒さんへの一方方向ではなく、お互いが声を聞きあって、歩み寄り、偽ったりいい人ぶったりする必要なく、安心して素直に話ができ、関係をゆっくり時間をかけて構築していくことができる教室にしていきたい。

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