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ドイツよりコロナ危機の制限解除について思うこと(その2)

先週ドイツのセミロックダウンによる制限が、徐々に解除されていると書いたのだけれど(*)、その後あっという間に、さらに「条件付きで」一気に制限が解除された。

(*前回、コロナによる制限に反対するデモが頻発していると書いたが、解除が進んでもあちこちでデモは収まらないどころか、過激化していて、収集がつかなくなっている面もあるようだ。 特に今大変なのは、極右、ウィルスの存在やワクチンの意義を否定するグループなどによる過激なデモ。でもどんな人も自分の意見を表明できることが民主主義であり、それを衛生基準や最低限の条例以上に制限することはなさそうだ)


今週からは、飲食業、ジム、遊園地、マッサージサロン、美容施設、小規模の屋外コンサートも可能になった。観光用アパートやキャンプ場等における観光目的での宿泊も今は許されている。
来週後半の祝日からは、うちの州ではホテルも再開が許可されているし、屋外プールや病院へのお見舞いも許されるようになるらしい。学校も小学校は全学年で再開、中等学校も週に何日かは通えるようになったそうだ。

まだバーやナイトクラブ、大きな劇場やイベントは禁止されているものの、開けられる店舗は大半を占める。そのためか、天気のいい日に街に出ると、街では久しぶりに大勢の人出を見られるようになってきた。ただ、人の間を1.5m以上開けることが求められているし、人混みというほどにはならないように思う。 久しぶりに活気が出てきた街の様子を見ると、素直にホッとするというか、明るい気持ちになる。

一方で、一住民として、こんなに一気に再開しても本当に大丈夫なのか不安も残る。実際、徐々に解除を進めていたドイツでコロナウィルスの感染者の再生指数Rが1を数日超えているという状況が、ここ最近は世界で報道されている。 (ただし、この急増に寄与している理由の一つのが、うちの週の屠殺場での集団感染…千人以上の従業員の4分の1が感染という大事件で、うちの週に限っては非常に局地的なので、それほど恐るものではないと理解している。また、患者の増加数は2ヶ月間減り続けていたが、一旦大幅に減ったところで、ゼロに近づいていくこともなく、ある程度の範囲を行ったり来たりしている。)

ただし、感染者がいなくなるまで営業を禁止し、政府も含めてみんな共倒れになるわけにもいかないし、一刻も早く再開をすすめていくしかないのだろう。 妥協案としてか、セミロックダウンの解除にあたっては、感染スピードを抑えつつ、経済活動を再開するため、各地の営業・運営のための「条件」が非常に厳しく設定されている。そのためか、許可されてもまだ再開できていないところが多そうだ。私の語学学校もうちの市の市民大学も、再開が許可されてから2週間以上なんの音沙汰もない。

州の定める衛生基準を読んでみたが、かなり細かく基準が定められている。販売を行う店舗であれば、中に入れる人数制限(面積に応じて人数が制限される)やマスク着用、消毒など、わかりやすいが、よりリスクが高そうなジムにおいては、更衣室やシャワーの使用は禁止され、消毒に関する規制もある。

飲食店はテーブルを1.5m開ける。入店した客はまず手を洗う。食器は事前に並べておくことはできない。別の客が使う前に机や椅子など、全て消毒する。。。従業員は口と鼻をカバーする。呼吸器系の既往症のある従業員の従事禁止、客も同じく。 これがマッサージや美容室になると、さらに体に触れるので、もっと細かくなり、ケープや使用した道具の消毒の仕方、使うマスクの種類までかなり詳細な規制がある。

どこも経営がかかっているので、どの企業もいち早く再開できるところから再開しているのだろうが、サービス業は基本的に数・量を出せないために売上が大幅に縮小するところも少なくないだろう。営業形態によっては、この規制を守る方がコストが大きくなってしまうため、事業を縮小せざるを得ないところも出てくるのかもしれない。うちの近くの格安理容店は、営業許可が出てから約2週間を経てもまだ再開しないようだ。再開が許可されても、多くの基準を守りながら事業を継続するかどうかには、かなりの経営判断が求められる。なんとも世知辛い。

ただ、基準が明確で細かいというのは、誰に対してもフェアなことだと思う。何をやっていいか、何をやってはいけないか明確にされることで、その中での自由が生まれるし、営業することを非難されることもない。

また、感染拡大抑制と各地・住民への警鐘も兼ねてか、人口10万人に対して、50人以上の感染が7日間に渡って確認された場合、その地域には再度制限がかけられることになっている。
実際、250人以上の集団感染が最近確認された屠殺場のある地域については、この制限を超えたためにまだ低リスクの活動の制限しか許可されていない。

非常に詳細で遵守が簡単ではないが、この明確さと合理さは、さすが普段から詳細なルールを作って運営している国ならではなのだろう。ただ、これらの規制の遵守の監督については、抜き打ち検査くらいはあるのだろうが、完璧に管理するのはなかなか難しいかもしれない。各事業者や個人の責任感や良心、モチベーションに左右されそうだ。


翻って日本の状況について考えると、自粛要請で、明確なルールがないのにも関わらず、様々な店舗が営業を縮小し、経済活動を縮小させられている状況だ。世に流れる自粛モードで、様々な営業や活動が停止しているというのは、日本の様々な状況や特質が重なり合って出来ていることで、それが実現すること自体が、世界では奇跡的なことなのかもしれない。ただし「自粛」としてやっていいことの線引きが不透明なために、今後の再開がより難しくなるのだろうなと思う。

自粛モードの中で、生き残りをかけて様々な工夫をしている企業・組織や個人に対し、自粛を十分していないという批判が出るという日本のニュースを時々目にする。でも「自粛要請」だから、実際やっていけないことというのはほとんどないのだろう。やってはいけないということが別に定められているわけではないのに、それが俗人的に非難され、抑制させられるというのは、正統性もないし、フェアではない。


再開に向けて、様々なアイディアを持っている日本の自治体も少なくないだろうし、緊急事態制限の解除に伴い、今後各業種の営業のための衛生ガイドラインやチェックリストのようなものはきっとあちこちで上がってくるのだと思う。

ただ、お互いに監視し合っているような自粛モードは、どこでどう緩和され、妥協されていくのか。不明瞭なものであるがゆえに、今後の展開が想像しにくい。実際危機も短期間では回復しないが、空気に任せておくには、時間がかかりすぎそうな気がする。


こういう明確な法的基準をベースに社会を動かす体制と、モヤっとしたルールをベースに、個々人の努力に任せ、やや俗人的に管理し、動く体制。 こういう差は今に始まったことではなく、他にも比較すればその差が見えてくるような制度はいくらでもあるわけで、これまでの蓄積の延長でしかない。場合によってはやや俗人的な方がうまくいくこともあるだろうが、今回の危機に関しては、より混乱が多いのではないだろうか。

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個人的には、制限が徐々に解除されても、それほど外で活動的に動きたいとはまだ思えないし、止まってしまったものがまだ再開しないので、このスローな生活は変わっていない。 ただ、規制の解除とともに、リスクがそれほど高くなさそうな自転車の旅に出ることを計画し始めたり、前から行きたいと思っていた飲食店に予約を入れたり、楽しみが増えてきた。閉鎖を余儀なくされていた店舗を応援したいという気持ちもある。


今日ロックダウンの前に通い始めた絵画教室が再開されたので2ヶ月ぶりに行って見た。お互いに向き合うことは出来ないし、互いの距離を開けなくてはいけない。そのために入場出来る人数を制限し、離れた場所で、全員壁に向かって描く。壁に向かって描いている時以外は基本全員マスクをつけたままで、共用の絵の具を触る前には必ずアルコールで消毒する。

以前は、みんな好きなタイミングでふらっとやって来て、ワインやビールを注ぎ合いながら(!)、和気藹々とおしゃべりをしつつ絵を描くようなところだった。 今は向かい合っておしゃべりをしながら絵を描くことも出来ないし、お酒を注ぎ合うことも出来ない。全員マスクをつけながら室内で活動すると言うのも不思議だし、色々不便なところはあるけれど、でも全部停止されるよりずっと良い。

前々から、今後ウィルスと共存する必要があるというのは繰り返し言われていたけれど、しばらくはそれぞれ様々な面で妥協をしながら、ややスローに生活を送っていくしかないのだと、壁に向かって、早速思わされた。

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