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topics 9 士農工商、犬、猫、心理


山下洋輔 (1) さんの本に、「士農工商、犬、猫、バンドマン」という名言があった。昔だったら「川原乞食」という言葉だったのかもしれないけど、芸能を生業にする人は生活の保証もなく、世間からマトモな人間扱いをされていない。身につけた技芸のレベルがどんなに高くても、正当に評価されない。「そんなことは、承知の上」と流していかないと、とてもではないけどやっていられない。それになぞらえると、「士農工商、犬、猫、心理」なのだった。

病院は医師を頂点にした資格社会で、私が働いていた時代では「心理」はその最下層だった。「士農工商」の「士」は医者、「農」は看護師、「工」は薬剤師や検査技師、レントゲン技師、作業療法士など。「商」は事務職。心理は診療報酬が取れないので、「工」には入れない。病院経営に貢献できないので、「商」の事務職よりも下だ。何をやっているのか周りから理解されないので、犬や猫よりも存在感がない。ということで、「士農工商、犬、猫、心理」ということになる。そんな穀つぶしのくせに、医者と同じように白衣を来て、医局に出入りして難しそうな話を医師としていると、妬みの対象になることもある。

ちなみに医者はこと治療のことになると、心理の言うことを理解してくれることが多い。それは心理テストのレポートを読んで、「なるほどね」「こんなことも、分かるのか」と納得してくれるからだ。私が働いていた時代は、年寄りの医者は威張っている人が多かったし、「心理」なんて別にどうだって良いって感じだった。それでもいったん信頼してくれると、話を聴いてくれるようになる。つまり封建時代の芸達者がお殿様に気に入られて、庇護を受けるようなもので、世間の序列からは外れていく。

山下洋輔さんは、「バンマスがっぽり、あとはコジキ」とも書いていた。バンマスとはバンド・マスターで、ドリフターズで言えばいかりや長介だ。いかりやさんはメンバーから恨まれるようなガッポリぶりだったらしいけど、嫌だったら辞めれば良いだけの話だ。「代わりなんかいくらでもいる」と思われてしまったら、コジキに甘んじなくてはならない。「もっと稼ぎたかったら、独立できるくらいの力をつけろ」という親心だったのかもしれないけど、それはもう聞いてみることができない。

精神科の病院で働いていたとき、給料は驚くほど安かった。それをしみじみ感じたのは給与明細で所得税が「0円」のときだった。妻がパートに出ていたかどうかは忘れたけど、さすがのお上も年貢を取れないくらいの薄給だったのだ。それでも研修会や学会に出かけていたし、本やレコードは買っていたし、下手の横好きでバンドの真似ごとまでしていた。いくばくかの食費は入れていたけど、実家に居候しているようなものだった。いまにしてみれば、呆れるくらいに能天気だ。将来に不安をもたずに好きなことをやっていられるのが、若い者の特権なのかもしれない。

それで「心理」はどう生きるかとなったら、バンドマンと同じで「好きなことをやってるから」でないとやっていられない。地位や好待遇を求めるのであれば、公務員や大学の教員を目指すという道もある。でも目指したところでそうなれるとは限らないし、いざなってみたら「好き」な臨床から離れて、後悔してしまいそうだ。これが日本の臨床心理学の困ったところで、授業と雑務の間に研究をするみたいな生活になる。これが医学部だったら。教授になっても診療を担当する。公務員は病院や施設に配属されることもあるけど、まったく関係のない部署に行くこともあるだろう。

「好きなことをやっているから、収入が少ない」という暮らしを長いこと続けていると、消費行動にも影響が出てくる。吉野家の「うまい、はやい、やすい」ではないけど、「よい、ふるい、ながもち」だ。いま住んでいる家は、中古で買った。音楽を聴くのが好きなので、音の響き方を確かめてから決めた。手拍子をしてみたり、娘に歌わせてみたり、下見につきあってくれた人は変な客だと思っただろう。でも音がすごく良かったので、ちょっと高くても奮発した。それでも新築よりもうんと安いし、オーディオ仕様にリフォームしてもらう必要もない。

車はハイブリッドが好きになれないから、エンジン車のカローラ・フィールダー。もちろん中古で、長く使えるのが気に入った。「エコに協力しないの?」と言われるかもしれないけど、田舎道だとリッターで20Kmも走るので大きな車のハイブリッドよりもよほど燃費が良い。家具は安物の新品を買うくらいだったら、職人がこしらえた中古品の方がよほど良い。無垢の木でつくられた家具は、古くなるほど味わいが出てくる。食器棚には海外ブランドのコーヒーカップもあるけど、みんなメルカリだ。世間からはズレているかもしれないけど、自分の好きなようにお金を使っている。貧乏とは「もっと欲しい」ことなので、お金が少ないからと言って貧乏とは限らない。

(1) 山下洋輔:ドシャメシャのフリー・ジャズ演奏で知られる、ジャズ・ピアニスト。国立音楽大学の卒業で、「ブルーノート研究」の論文でも知られる。

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