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topics 2 サイコドラマは面白かった


精神病院に就職する前、「実習」と称してあちこちの病院や施設に顔を出していた。いまから考えれば、東京での生活費や交通費、セミナーへの参加費などは自腹だったから、ブラックな話だった。いまで通用しないだろうけど、職安で「カメラマンになりたい」などと言って失業保険をもらえたのはラッキーだった。「カメラマン」はまんざら嘘でもなかったし、就職も確定していなかったので、違法ではないだろう。日本の経済もバブル前夜で上向きだったから、職安の人ものんびり構えていた。

その実習の一環として、1983年のザーカ・モレノさんのサイコドラマのセミナーに行ってこいと言われたのだった。サイコドラマ(心理劇)は、ヤコブ・モレノ(1) とザーカ・モレノ(2) の夫妻が体系化した集団心理療法だ。十名前後のグループで、セラピストは監督と呼ばれる。手順としては、まずみんなで身体を動かしてウォーミングアップをする。次に主役の経験や連想をもとに、メンバーが脇役になって即興劇を作っていく。最後はシェアリングで、メンバーがそれぞれ感じたことを語る。

ザーカさんが来日したのは、1981年と1983年の二回きりだ。日本では、みんなでひとつの場面を作るような「心理劇」が実践されていた。主役が葛藤に直面化する、本来のサイコドラマを学びたい人にとっては、願ってもない機会だった。私はそんな幸運に恵まれたとも、ザーカさんが参加者の憧れの的だったも知らなかった。

「来年の1月から、精神病院で働くことになりそうです」

「あら、そう。それは素晴らしいわ」

なんて英語もろくすっぽできないのに話せたのは、ザーカさんの雰囲気がふんわりしていたからだろう。どこの馬の骨とも分からない若造とも、フランクに話してくださった。

セミナーで彼女が語ったことは、もうほとんど憶えていない。ただサイコドラマの治療効果に絶対的な信頼を置いていることは、言葉の端々から感じ取ることができた。統合失調症だったお姉さんも、サイコドラマで治したということだった。それは凄いことだ。信念を持ってやり抜くこと、だれとでも対等な関係を作ること、この二つを67歳のザーカさんから感じたのだった。私は今年で65歳になるが、彼女の生き方には憧れる。ちなみにザーカさんは90歳を迎えてからも本を出して、99歳の天寿を全うされた。

精神病院に就職してからも、院長の指示でサイコドラマの研修を毎月のように受けに行っていた。面白いと感じていたし、自分自身のためにも良いと思っていた。でも一年くらいして、主役と監督まで体験したら一区切りにさせてもらった。東京まで出張旅費を出してもらうのが心苦しかったというか、院長に「借り」を作りたくなかった。慢性化した患者さんでいっぱいの病院で、サイコドラマを展開できるとも思えなかった。何と言っても「働く病院」で、院内作業から農作業へそして外勤へと、患者さんを働かせるのにすこぶる熱心だった。それに私自身が、集団療法の前に個人療法を身につけたかったこともある。

何となくだけど、サイコドラマで主役をすると個人療法の20~30回くらい効果のはあると思う。しがらみから開放されて、のびやかな心になっていくようなる気がする。もちろん脇役をしても、気づきを得る機会にもなる。やはり言葉のやり取りだけではなく、身体の動きや感覚を伴った体験は人に多くのものをもたらすのだと思う。それにが互いに関心をもって親切にする、コミュニティの中で行われることにも意味がある。そして日本人は老若男女、すべからく芝居好きだ。

それでも普及しないのは、どうしてだろう。いまは日本中のあちこちで、カウンセリングや心理療法を受けることができる。でもサイコドラマをしてみたいと思っても、一般の人はアクセスできない。ひとつにはサイコドラマだけでなく、集団心理療法に関心を持つ人が少ないということもある。日本では集団に入ると、恥ずかしさを感じる人が多いせいかもしれない。

サイコドラマ特有の問題としては、言葉の「サイコ」や「心理劇」がおどろおどろしいと言うか、呪術的な響きを感じる人もいるかもしれない。そうかと言って「演劇療法」と言ってしまうと、これはまたこれで別の流れとしてあるので、難しいところだ。

これからのサイコドラマは医療よりも、教育や司法、福祉の分野で広がっていくのではないだろうか。あるいはこれからセラピストになろうという人たちへの訓練として、大学院などで実践されると良いと思う。いまの若い人たちは頭でっかちになってしまって、マニュアル通りに、あるいは指導者の言う通りにやろうとする。マニュアルも指導者もあって良いけど、「~の通り」は困る。サイコドラマで培われるのは自発性と創造性で、それはセラピストとしてやっていくのには必要だと思う。

(1)  Jacob Levy Moreno(1889~1974)。オーストリアからアメリカに渡った精神科医で、集団の関係性を計測するソシオメトリーを発案したことでも知られる。

(2)  Zerka Toeman Moreno(1917~2016)。オランダからアメリカに渡り、ヤコブ・モレノと結婚。ともにサイコドラマを構築し、ヤコブの死後もその普及に務めた。

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