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milestones 3 ゲシュタルト療法には腰が退けた

東京での実習先には、神楽坂の「サイバネーション療法研究所」もあった。三味線のお師匠さんが暮らしていそうな、古い民家。家主さんが東大分院心療内科の石川中(いしかわ・ひとし)先生に、「サイバネーション療法」を実践する場を提供していた。家主さんは住み込みの事務員のようなもので、よほど石川先生にほれ込んでいたのだろう。

サイバネーション療法とは、「気づきとセルフコントロールに重きを置いた」心理療法で、その中にはバイオフィードバックやゲシュタルト療法なども含まれていた。私は石川先生の助手をして、書痙(しょけい)のバイオフィードバックを習った。その患者さんは人前で文字を書くと、手が震えてガタガタの字になる。病気のような、病気でないような現象だけど、「これさえなければ」と悩み続けるのは病気なのかもしれない。

バイオフィードバックは皮膚温や心拍数、呼吸、血圧、脳波、皮膚電気反射(冷や汗がで電気抵抗が下がる)、筋電位など、生理現象のサインをクライエントにフィードバックして、セルフコントロールの獲得を目指す仕組みだ。大学の演習で皮膚温の装置を扱っていたので、こういうのにはなじみがあった。もっと複雑なポリグラフは生理現象を計測して被験者の動揺を見つけようとする装置で、俗に「ウソ発見器」と言われている。

筋電位のバイオフィードバック装置は大がかりで、計測器らしくツマミがいっぱいついていた。私はセンサーを、患者さんの腕に貼りつけた。患者さんは、慎重に文字を書く。余計な力が入って筋電位に変化が生じると、赤いランプが点灯して「ピッ」と電子音が鳴る。それを手がかりにきれいな字を書けるようになるはず……だった。でもそう簡単には、ことは運ばない。

生真面目な銀行員が、人目が気になって字が震えるようになった。それを治すために、電子音を気にしながら字を書く練習をするのだ。生真面目を生真面目で治そうとしても、生真面目なまんまではないのか? ここは神楽坂なんだから、銀行をサボって芸者さんと酌み交わした方がましではないか? いやそんなことができるくらいだったら、この人はこうなっていないだろう……などと、思いはぐるぐる回ってしまうのだった。

筋電位の測定など、いまだったらスマートフォンにセンサーをつなげばできるだろう。スマートウォッチで心拍数と血圧をモニターすれば、それもバイオフィードバックだ。いまは心拍変動でストレスを測っているようだけど、いずれバイオフィードバック用のスマートウォッチも、登場するかもしれない。

ゲシュタルト療法 (1) も、体験させていただいた。名前は忘れてしまったけれど、アメリカ人の女性がセラピストだった。畳に車座になって坐り、セラピストが出されたお題で自己表現をする。それはウォーミング・アップで、セラピストと一対一でワークをするのがメインだった。最後にシェアリングをして、セッションは終わる。セラピストはメンバーの感情を引き出すのに、ありとあらゆる手を使う。

「今日のセッションには、何を期待して来ましたか?」

なんていうのはほんの序の口で、殻にこもって自分を出せない人には、

「ねえ、〇〇。あなたは、ここにいるの? それとも、ここにはいないの?」

と詰め寄っていく。

エンプティ・チェア (2) に向かって話したり、新聞紙を丸めたバットで床をバンバン叩いているうちに、それまで抑えつけていた感情が噴き出してくる。わめく人も入れば、泣き出す人もいる。これはもう刺激的で、別世界に入り込んでしまったような感覚だった。グループのルールさえ守れば、何をしても、何を言っても許される。制限のない青天井というのは、安心できない。

もっと驚いたのは、メンバーたちだった。もちろん私よりも年上の方ばかりだったが、根性丸出しとでも言えば良いのか、開けっぴろげに感情を言葉にしていた。その頃の私は感情を表現するのが苦手で、集団では不安を感じる方だった。あの人たちは自分にはない、特殊能力を持っている。でも「ふだんの自分は世を忍ぶ仮の姿で、ゲシュタルトのセッションこそが自分の居場所」という価値観は倒錯している。倒錯に魅惑されて引っ張りこまれたら、危ない。それで腰が退けてしまった。

石川中先生は、あの後にほどなくして亡くなられた。東大で心療内科を設立されただけでも、大変なストレスだったと思う。内科や精神科の権威からは、白い眼で見られていたかもしれない。私には終始穏やかだったし、まるで息子のように接してくださった。当たり前のように温情を受け取っていたのが、ちょっと恥ずかしい。若かったんだと思う。

(1)フリッツ・パールズ(1893~1970)によって始められた心理療法。「いま・ここ」の気づきで、全体性を獲得しようとする。「図と地」のゲシュタルト心理学や実存主義の影響を受けている。

(2)空いている椅子を用いるテクニック。その人がそこに座っていると想像して、語りかける。

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