東北で「住民」が発信するメディアをつくった話①
はじめまして。私は東日本大震災後に宮城県に移り住み、2016年に「TOHOKU360」という住民参加型のニュースサイトを立ち上げて運営しています。はじめは新聞記者として赴任したこの宮城県ですが、早いもので、移り住んでからもう8年近くが経とうとしています。
千葉県で生まれ育った私が、なぜ東北で市民メディアを立ち上げたのか。地域メディアや市民メディアに今どんな可能性を感じて活動を続けているのか。貴重な機会としていただいた3回の連載の中で、こちらに来てからの活動を振り返りながら、地域メディアの役割やこれからを考えてみたいと思っています。
女川を訪れた東京の学生、宮城で新聞記者になる
2011年3月の東日本大震災が起きたとき、私は千葉県の実家にいました。情報を知るためにテレビをつけると、映し出されたのは、宮城県名取市閖上のまちが津波にのみ込まれていく、信じがたい光景でした。とんでもないことになった、と呆然としました。
東京の大学院に通っていた私は日常生活を送りながら、「何かしたい、しなければ」との思いが強くなっていました。夏休みに教授に付いていき、岩手県大槌町へ。冬休みは宮城県女川町の学習ボランティアに応募し、一週間ほど滞在しながら町の中学生に勉強を教えるボランティア活動をしました。
津波で横倒しになった建物、道の両側に堆く積まれた瓦礫。女川にはまだそんな風景が広がっている時期でした。当時町で唯一開いていたプレハブの居酒屋に入って地元の方々とお酒を飲んだとき、「でも、負けてられねぇよな」と、漁師の男性がつぶやきました。その表情を形容できる言葉を私は今でも持ち合わせていませんが、女川での滞在は、人々の逞しさと優しさ、あの透き通った空気や美しい景色、そのすべてに強く心を打たれる経験でした。
当時私は国家公務員を目指していたのですが、これまで自分が論文や議論で偉そうに「国」を主語に語っていたことや、「国益」という言葉が、途端に空虚に感じられるようになりました。目の前の一人ひとりの生きる姿を描くこと、一人ひとりが抱えている問題を丁寧に掘り下げていくこと。そんなアプローチができる職業はないだろうか?そう考え直し、急遽マスコミの記者職の面接を受けることにしました。急な方向転換でしたが、幸いにも考えに共感してくれる全国紙があり、記者として就職することになりました。
初任地の希望は出せないのですが、私は仙台の「東北総局」へ配属されました。面接時に東北への思いを語っていたのを、汲んでくれたのかもしれません。
伝えたい、伝わらない
宮城県に赴任してからは慣れない記者職に戸惑いながらも、担当業務の合間を縫って被災した沿岸部へ足を運び、地域の方々からお話を伺いました。震災後、沿岸部は土地のかさ上げや宅地造成工事、防潮堤の建設にインフラの整備...と、日々姿を変えてきました。新しくそこに生まれる風景もある一方、その一瞬にしかない、消えゆく風景がたくさんありました。目の前の、その一瞬の空気をそのまま閉じ込めるように、この風景や人々の語りを書き残せないか。そんな思いで取材を続けていました。
「伝える」ことを職業にすることで、「伝わらない」悔しさを感じる機会も増えていきました。地域の外にいる人々に向けて、全く復興が進まない地域の現状を伝えようと記事を発信しても、震災から時間が経つにつれ、インターネット上では理解のない言葉も見られるようになっていました。
もっと「伝わる」方法はないのか?新聞という媒体を超えて、あらゆる表現方法を使って「伝えること」の可能性を試してみたい。自然とそんな気持ちが膨らんでいきました。私は2年勤めた新聞社を辞め、宮城県で生活しながら、Yahoo!ニュース向けに記事を書く仕事を始めました。ネットの匿名コメント欄は容赦ないものですが、例えば被災した地域の現状を伝える記事に「動画」を付けると、その反応が明らかに変化する手応えも感じました。
そんなある日、ニューヨーク・タイムズが発表した「VR動画」を報道に用いたアプリを目にしました。360度、空間をまるごと記録して発信できるVR動画を使えば、地域の現状がより伝わるのではないか。そう感じ、さっそくVR動画を使った報道を模索していきました。動画の撮影や編集も、サイト制作も全くの初心者でしたが、全国紙や地元紙出身の記者・編集者やカメラマン、アナウンサー経験者らの協力も得て、2016年2月、「日本初のVR動画ニュースサイト」と銘打った独自メディア「TOHOKU360」を立ち上げました。
「住民」がニュースをつくるしくみを
TOHOKU360では新しい表現手法を取り入れて報道することの他に、もう一つ挑戦したいことがありました。それは、プロだけでなく「住民」がニュースを伝えるしくみづくりです。
発想の元になったのは、学生時代の経験です。大学で国際政治学を専攻していた私は新聞の国際面を読むことが多かったのですが、新聞社では海外支局を設置できる箇所は当然限られているため、例えばチュニジアで起きたデモのことを、遠く離れたエジプトにいる特派員が現地メディアを翻訳して伝えるような例が多く見られました。「プロでなくとも、現場にいる人自身がニュースを伝えるしくみがあったら、伝聞ではない、生の情報をもっと知ることができるのではないか?」。ニュースオタクだった私は、そんな素朴な疑問をずっと抱いていました。
働き始めてから東北にやってきて、東北にはこの地域独自の視点や歴史観、多様な文化、風景、暮らし方が息づいていることを知りました。そんな豊かさを日々感じる一方で、関東にいたころはそんな情報が全く伝わってこなかったことにも気付きました。マスコミもネットメディアも東京に集まっていますし、地方支局の記者は今後もっと減っていくはず。ならば「現地にいる人」がニュースを書けば、もっと東北の面白さや独自の視点、東北から見える地域社会の課題について知ることができ、全国へ発信できるのではないか。そう考え始めるようになったのです。
では、現地にいる「住民」がニュースを書くしくみは、どのように作ればいいのだろう?私たちは真っ白なメモ帳に、仮説を描き始めました。次回はその話から始めたいと思います。(つづく)
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