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Quand nous chanterons

「Megumi、今度のギターの弾き語りコンサートの後にはauberge espagnoleという形式でみんなで食事をするんだ。だから、飲み物でも食べ物でもなんでも良いから一品持って来てね。必要なのはそれだけだから。いいね?」

ジャックにそう言われたのがコンサートの五日前で、それから何にしようかと悩み、決めたのは当日の朝だった。はじめはピクルスにしようかと思っていたけれど、持って行く途中でピクルス液がこぼれたら大変だと思い、やめにした。洋風肉じゃがもいいが、お肉は温かい方が美味しいし、もしベジタリアンの人たちがいたら食べてもらえない。材料を確認すると、安いからと5kgまとめて買ったジャガイモが余っていたので、ジャガイモのマヨネーズ煮を作ることにした。これなら持ち運びも楽だし、冷めても美味しい。

何人くらい集まるのかわからないので、余ったら後で自分で食べればいいや、と鍋いっぱいに多めにつくっていると、朝から出かけていたジャックがちょうど帰ってきた。
「これを持っていくの?」
「そうだよ、でもどれくらい持っていったら良いかわからなくて」
ジャックは鍋の中を覗き込んで
「いっぱいつくったんだね。ありがとう、でもこの半分で十分かな。みんなそれぞれたくさん持ってくるだろうから余っちゃうと思う。」
とウインクしながら言った。

そのまま一緒にお昼ごはんを食べているとワインを飲み始めたので「コンサート前だけど大丈夫?」と驚いて尋ねる。ジャックは「今日は大丈夫。クラシックのコンサートだったら飲まないけどね。」と言ってニコニコしている。
この家に着いた日からコンサートをする予定があるのだと聞いていた。コンサートを行うのは年に2,3回だと言うので、前々から周到に準備しているのかと思いきや、朝はダンスに出かけて、今はワインを飲んでくつろいでいる。むしろ観客である私の方が何を作って持っていこうかと身構えている。思っていたよりもカジュアルな感じなのかも。

もらったお知らせの紙を見直すと、19時からとある。時間に間に合うように早めに出たが、予定時刻になってもバスが来ない。先にバス停で待っている人たちがいるから乗り遅れたわけではなさそうだ。
結局、バスは遅れて来たうえに、道の途中にあるスタジアムで何かの試合があったのか赤紫のユニフォーム姿の人が道に溢れ渋滞していた。
最寄りのバス停に降りた時で既に約束の19時。でもこちらでは何かの集まりの時には約束の時間に少し遅れるくらいがちょうどいいという話を学校で聞いたし、案内状にも「19時30分までは遅れてくる方を待ちます」とあるので、急がなくても大丈夫だろう。

案内状に示された住所の近くに来たが、場所がわからない。閑静な住宅街という感じであたりもひっそりとしていて、ライブ会場のようなところは見当たらない。
キョロキョロして後ろを振り返ると、金髪の黒縁メガネの女性とその旦那さんと見られる青いセーターを着たこちらもメガネの男性が立っている。女性の手には料理とおぼしきアルミホイルで蓋をしたお皿が。この人たちも、きっと今日のコンサートに来た人だと思い、話しかける。女性が優しく笑顔で「そうそう、ここよ」と青い扉を指し示すのとほぼ同時に扉が開いた。

紺色のシャツを着た細身の男性が出迎えてくれた。一応案内状の紙を見せて確認する。
「そうですとも!来てくれてどうもありがとう、とても嬉しいです。さあどうぞ、いらっしゃい!」と階段を上がって案内された部屋はとても洒脱な空間で、右手に置かれたグランドピアノがまず目に飛び込んできた。それに向かうようにソファや椅子が並べられてある。
左手にはキッチンがあり、持って来た料理をどこに置けば良いやらとあたりを見渡していると、さっきの青いセーターの旦那さんが奥の机を指し示して「あそこだよ」と教えてくれた。

部屋があまりにもオシャレだから、はじめは貸切のライブ会場なのかと思った。だか、そうではなく先ほどの紺色のシャツの男性、ジョエルさんの自宅らしい。そういえばライブ料金も設定されていない。お客さんはジャックの親戚や友人たちで、仲間うちでの手づくりコンサートなのだった。

私はジャックとイザベルの他に知り合いがいないので奥の端の席に静かに座っていようかと思っていたが、せっかくの機会に一人で閉じこもっているのはもったいないと思い、立ち上がって部屋の中をウロウロしはじめた。するとまた親切にも先ほどの青いセーターの旦那さん、アンリが声をかけてくれた。

どこから来たのかなど、初対面の挨拶でするような話を一通りし終えた後、「前の方に座りなよ、その方がジャックも喜ぶよ」と席を変えるように促されたので、素直に勧めに応じた。アンリが私の左隣に、そのまた隣にアンリの奥さん、赤い服のパワフルそうなおばさまが続いて座る。大きなソファだったが、四人も座るとさすがに肩と肩がくっつくくらいにいっぱいになった。
はじめ、ソファの向こう側の人達の話に耳をそばだてていたが、遠いうえに早口で聞き取れないでいた。すると、アンリがこちらを振り返って「彼ら、話すの速くてわかりづらいでしょう」と気づかってくれた。

もう19:30近いがまだコンサートが始まる気配がないので、そのままアンリとおしゃべりを続ける。Barbara、好きなアーティスト、日本人で知っている人など。アンリは劇場で働いていて、その関係で映画をよく見るそうで、『千と千尋の神隠し』をはじめとしたジブリ作品や黒澤映画、『東京物語』や『雨月物語』が大好きだと話してくれた。私も『千と千尋の神隠し』を公開当時に映画館で見たけれど、その時はまだ幼くて、両親が豚になる冒頭のシーンで泣き出してしまい、父に連れられてシアターを出たという思い出話で応じる。

突然、アンリが「そーですか」「ありがとうございます」「どーぞどーぞ」と日本語で言いながらペコペコしたり、「ん"ん"ん"」と唸り始めた。その様子がおかしくて、何かと訝しむより先に笑いがこみあげてくる。どうやら北野映画の真似らしい。

「キタノ?」
「正解!」「ね、『そーですか』とか『どーぞどーぞ』ってどういう意味なの?」
わかってなかったんかい!と内心ツッコミながらも説明する。
「『そーですか』はOuiとかD’accordで、『どーぞどーぞ』はVas yっていう感じだよ」

それを聞くとアンリはフランス語と日本語を混ぜながら、「Oui, oui、そーですか」「どーぞどーぞ」とまた北野映画の真似を続ける。それがツボに入って、笑い声をこらえきれなくなったところで、ジャックがギターを持って準備し始めた。どうやら始まるらしい。慌てて笑い声を喉の奥にしまう。
もう19:30はとうに過ぎて、19:50近い。

はじめにジャックではなく家主のジョエルさんが挨拶をする。「皆さんをお迎えできて、こうして素晴らしい音楽と食事をともにできるのはとても嬉しいです。来てくれてありがとう。」とジョエルさんが言うと、あちらこちらから「こちらこそ!」「ありがとう!」と言う声がこたえた。
その後ジャックも挨拶したが、私はよく聞き取れなかった。みんなよく笑っていたから、たぶんジョークを飛ばしていたんだろう。

2、3曲歌ったところで、「今日は皆さんも一緒に歌ってもらいたいと思います。」とジャックが呼びかけた。ウォーミングアップのために摩擦熱で温めた手で顔をマッサージしたり、顔をブルブルと振るように促される。子どもたちに負けず劣らずアンリも顔を震わせているのを見てまた笑ってしまった。
続いて、まだ6歳くらいのジョゼフィーヌがアシスタントとして歌詞の書かれた紙を配ってくれる。一枚受け取って、アンリと一緒に見ることにした。

どれもよく知られている歌ばかりだったようで、みんなジャックのギターに合わせて口ずさんでいる。中には歌詞を全く見ずに全ての曲を誦じて歌っていたおばさまもいた。私はそのうちの一曲しか知らなかったが、アンリがちょこちょこ曲の背景などを簡単に説明してくれた。

拍手のうちにコンサートが終わると、パーティが始まった。みんなワインを片手に談笑している。
オレンジジュースを飲みながら、料理の置いてある机から少し離れたところにいたら「食べてる?」とジャックの義姉妹(名前は失念してしまった)が声をかけてくれた。「遠いので後でいただきます」と返すと、「無くなっちゃうわよ。ついて来て」と人をかき分けて食卓の最前列に連れて行ってくれた。
「ありがとうございます、実は食べるの大好きで、食べたいなと思っていたところなんです」「私もよ」とサラミをつまみながらお話しする。食卓を見ると私が来た時よりも品数が増えている。私がいる位置の反対側に置かれた私の作ったジャガイモも、順調に食べてもらえているようだ。遠くから眺めていたらアンリがジャガイモをひょいと取って食べてくれたのが見えた。よかった。

持ち寄りパーティ。auberge espagnoleと言うらしい。

近くには家主のジョエルさんもいて、彼から今日集まっているのはジャックも参加しているコーラスのメンバーが多いのだと聞く。僕もそうだし、彼もそう、その隣の彼女もそう、と指で差し示してくれるのにしたがってあたりを見回す。数えてみると、その場にいたのは25〜30人くらいだった。

大人たちの社交空間の背後では、子どもたちがソファに退屈そうに横たわったり、ピアノで遊んだりしている。私もみんなの話していることがよく聞き取れないし、ピアノが気になるので、むしろ子どもたちの心境に近かった。
子どもたちがピアノを弾いているのを眺めていると、ジョエルさんが「ぜひ弾いて!」と促してくれた。遊んでいる子ども達に悪いと思って、後でぜひ、と言ったが、ジョエルさんはさっさと子ども達に声をかけて椅子を空けてくれる。こうなったら遠慮するのはかえって失礼だ。お言葉に甘えて、弾かせていただこう。

ボルドーではじめて触るピアノは、KAWAI製のものだった。

KAWAIのグランドピアノ

話している人たちを邪魔しないように、小さな音でピアノソロを2曲弾いた後、BarbaraのLa solitudeを弾き語りで演奏した。
ピアノソロを弾いていた時は少なかったギャラリーが、東洋人がフランス語で歌うのを珍しがってか、 La solitudeを歌っていると増えてきた。それで緊張したために、3番の歌詞が所々欠けて穴ボコになりながらもなんとか歌い終える。気づくと周りを囲まれている。

「もう一曲!」というお声をいただき、「Le temps des cerises」を弾き始めると、イントロで「Ah〜」というため息のような歓声が聞こえた。

「Quand nous chanterons le temps des cerises
Et gai rossignol et merle moqueur
Seront tous en fête
(私たちがさくらんぼの季節を歌うとき
陽気なナイチンゲールとつぐみは
みな浮かれ騒いでいることだろう)」

完全にその歌詞の通りと言うわけではないけれど、あたたかい雰囲気の中でみんなで声を合わせて歌った。その後は「La complainte de la butte」や「Follow me」(映画『イノセンス』のエンディング曲。アランフェス交響曲に英語の歌詞がついたもので、そのメロディは世界的に知られている)を歌った。さすがコーラスの仲間たちとあって、ヴォカリーズでハモりながら伴奏してくれた。

「何か踊るのに良い曲を弾いてくれませんか?この娘、踊るのがとても好きなの」とジョゼフィーヌの母親に尋ねられる。だが、緊張と疲労で真っ白になった頭では何も思いつかない。しばらく固まっていたが、踊り=ワルツということがかろうじて頭に浮かんできた。そのまま口任せに「ワルツでもいいですか?」と聞くと、「もちろん!」とジョゼフィーヌが嬉しそうにターンした。何の曲を弾くか決まっていないが、3拍子が途切れないようにすればいい、コード進行がおかしくなければいいと、とりあえず弾き始めた。すると、先ほどソファーの向こう端に座っていた赤い服のおばさまが隣に座って即興でメロディーを弾いてくれて、コーラス隊もヴォカリーズで加わってくれた。ジョゼフィーヌは楽しそうにクルクルと踊り続けている。即興演奏と即興ダンス。と言っても私はコードは変えず、リズムを変えるだけで精一杯だったけれど。

ジョゼフィーヌが踊り疲れてきたのが見えたので演奏を終えると、拍手の中、アンリがこちらに「Bravo!」と言ってくれた。私も「Merci beaucoup!」と返し、次いで「Bravo!Joséphine!」と小さな踊り手に拍手を送った。ジョゼフィーヌは少し照れながらも笑顔で拍手と歓声に応えていた。

音楽と踊りの時間が終わり、夜も遅く、帰宅者もちらほらいるというのに、私は緊張が解けたせいかお腹が減ってしまって、余っていたサラミをまたつまんでいた。すると、イザベルに「よかったわね、Megumi」と声をかけられた。
「ええ、本当に素晴らしいひと時でした。でも、少しお腹が減ってしまって」「あら、じゃあ良いものがあるの。持ってくるわね」
そう言ってイザベルが持ってきてくれたのはフランス菓子のスペシアリテ、マカロンだった。
本場フランスで食べたはじめてのマカロンは、とても優しい甘さと柔らかさで、この浮かれた気分にぴったりだった。

そろそろお開きとなり、みんなとさよならのハグをする。即興でメロディーをつけてくれた赤い服のおばさまは、私と同じくらいに身長が低かった。「2人は姉妹かな」などの周囲からの冗談に「そうですよ、私たちは姉妹なの」と冗談で返しながら、一緒に写真をとってもらった。
親切にしていただいたアンリとその奥さんともハグをして、三人一緒に写真を撮らせてもらう。するとまた、突然アンリが北野映画の真似をして「そーですか」「ありがとうございます」「どーぞどーぞ」と言いながらペコペコしたり、唸り始めた。それがまたもやツボに入ってしまい、笑うあまり立っていられなくなった。起き上がる時にはさっと手を差しだしてくれるような紳士なのに、とってもお茶目なアンリを、私は帰る頃には大好きになっていた。帰宅後、一緒に撮った写真を見てみると、一枚、アンリが変顔しているのが写っていた。本当に愉快な人だ。
最後に家主のジョエルさんとお別れの挨拶をする。「素晴らしい夜会でした。今日のことは忘れられないでしょう。私の宝物です。本当にありがとうございました」と伝えると、「ええ、ええ、こちらこそ、とてもとても嬉しいです」と心なしか感極まった様子で応えてくれた。

帰ってからはジャガイモを入れて行ったタッパーを洗って、早々に眠った。
ちなみに、嬉しいことに持って行ったジャガイモも完食してもらえていた。

はじめてのピアノ、はじめてのマカロン、何から何まで幸福な一夜だった。

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