![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168870930/rectangle_large_type_2_fff1b81af28e599a2baa3b813f7aaad6.jpg?width=1200)
引越しの日
4日に引越しなのだが、その日はジャックは夜に帰ってくるため、3日がジャックとのさよならの日になった。朝10時頃、ジャックが出かけてしまう前にイザベルと二人のツーショットと三人での写真を撮った。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168870263/picture_pc_bf7d89c300c4c11e93d6588391ffa057.png?width=1200)
こうして見ると身長差がすごいことになっているな…
ジャックは私が初めて家に来た日と同じように手を合わせて、私の背負う日本文化を尊重しながら「また、元気でね。歌も続けるんだよ」と言ってくれた。
ジャックを見送った後は、引越しの準備。「ぜんぶ綺麗な状態で引越しできた方がいいでしょう」とイザベルが洗濯を提案してくれたので洗濯しつつ、私も「立つ鳥跡を濁さず」の諺に倣って、使っていた部屋はもちろん、二階の廊下、バスルーム、トイレに、キッチンのガス代も掃除した。荷造りは、「重いものや一度に運べないものは置いていっていいから、無理のないようにしなさい」と言ってくれた二人のありがたいお言葉に従い、引越し後すぐ使うものとそうでないものを仕分けつつ、スーツケースに詰めていった。ある程度荷造りが終わった後もなんだか落ち着かず、これはリュックに入れるかスーツケースに入れるか…などと飛行機に乗るわけでもないのに、何をどこに入れるかいじくりまわしていた。
そうするうちにあっという間に1日が暮れていった。
最後の夜はイザベルとパソコンで映画を見た。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168870826/picture_pc_0502e6194b61b9815eca153647c65068.png?width=1200)
あるマジック一行の話。人を消すマジックショーで、ゲストとして壇上に上がった奥さんが逃げ出して、それから4年間、本当に行方知れずとなってしまって、その旦那さんはマジシャンが苦し紛れについた「奥様はこの木箱の中にいる。本当に信じて開かないと奥さんは現れず、二度と帰ってこないだろう」という嘘を信じ込み、さらにマジシャン一行と行動を共にすることになる。
四年後、ようやく箱を開けようと蓋に手をかけたときに、本当に奥さんが帰って来る。だが、マジシャンも「これが本当の奥さまですよ!」と言っても、旦那さんは狂ってしまっていて、彼女を拒絶して木箱と共に屋敷にこもってしまう。
すると奥さんはまた旦那さんを屋敷に置き去りにして、マジシャン一行と旅を共にするようになる…という話。
サブストーリーに描かれる、マジシャン一行の娘と脚の悪いボーイとの恋が甘酸っぱく、実ってほしかったが、彼女は儚くも急死してしまい、見ていて悲しい思いをした。この映画は一応「コメディ」ということになっているが、そのメインストーリーも含めて単純に笑えるものではない。少しひねりがあるというか、「ちょっと変なの」と思わせるような複雑さ、苦味がフランス映画にはあることが多い。前にジャックとイザベルと見た映画もそうだった。
そのマジシャンの娘の顔にどこか見覚えがあるなぁと思っていたら、以前に見た映画『シモーヌ』で若き日のシモーヌを演じていたレベッカ・マルデールさんという方だった。『シモーヌ』はフランスの政治家だったシモーヌ・ヴェイユの人生を過去・現在を織り交ぜながら描いた作品だ。新聞の映画評では時系列がわかりにくいなどと言っている評論家もいたが、決してわかりにくい作品ではなかった。むしろその構成によって、ナチスの収容所の描写も重くなりすぎず、人生の出来事の連関もわかったので私にとってはとても良かった。
話を戻して、4日。引越しの日。起床して、布団や枕のカバー、シーツを剝いで畳んでおく。これをするときはいつも、小学生だった時に家に泊まりに来た友達が、帰る日の朝、布団や枕カバーなどをきれいに畳んでいて、母が感動していたのを思い出す。
朝食のパンはいつもより少し多めだった。嬉しい。ヨーグルトもじっくりと味わう。ゆっくり食べていたら、10時になっていた。食べ終えて食器を片付けたら、ネコに挨拶に行く。この時間なら、通りにいるはず。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168870506/picture_pc_3e1c685dc3d9e4656502d107ce898cba.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168870502/picture_pc_b94dd238570dea91a39152a7740c58d0.jpg?width=1200)
また家の前まで着いてきたけど、今回は庭には入って来ず、道路でお別れした。
帰ってきて、乾いた洗濯物をスーツケースに押しこみ、準備完了。だかやはりソワソワして落ち着かない。キッチンをうろうろしていると、裁縫道具を準備したイザベルが1着のワンピースを手にスツールに腰掛けた。
「何するの?」
「このワンピースに袖をつけるのよ。そのために袖ぐりの糸を解くの。袖は緑色にするつもりよ。今はしないけれど、ボタンも緑色のものに変えなくちゃね。袖だけ緑だったら変だけど、ボタンと色が揃っていたら素敵でしょう?
ベルトも同じ緑色の生地でつくりたいわ。
このワンピースは私のお気に入りなの。もう40年くらい前のものだけれど今もちゃんと着られるのよ。」
「それ、わかるわ。私も古着が大好きで70年代や80年代のものが家にたくさんあるの。どれも素材が良くて、ウールやコットンなど天然素材の使われている割合が多くて生地もしっかりしているし、色づかいも形も好き。」
「そうね。フランスにこんな諺があるの、知ってる? Je n’ai pas les moyens d’acheter bon marché(直訳:私は安い買い物をする方法がない※)」
※フランス語では安い買い物のことを「bon marché」良い買い物と表現する。なんと、「安い」という形容詞はフランス語に無い。「pas cher」高くない、とか「moins cher」より高くない、という言い方をする。
「安い買い物は何度も繰り返さなくちゃならなくなるとか、そういうこと?」
「そうよ。安い買い物は何度も買い換えるようになるからかえって高くなるってこと。この服もそうだし、あなたのコートもそうだと思うけれど、素材が良くて高いものは長持ちするから買い替えずに済んで結局は経済的なのよね。今使っているこの食洗機も、買ったときには他のものよりも高くて躊躇したけれど、これを買ってよかったわ。約20年経った今も何も問題なく動くもの。」
「この家にはいつから住んでいるの?」
「11年前からよ。このキッチンも一年半かけて少しずつ作ったの。キッチンのタイルを貼ったり、壁を塗ったりしてね。この机なんか、作るのに丸三日かかったわ。でも時間はかかっても、どこかに依頼したり買ったりするより安く済むし、何より出来上がるたびに喜べるのは良いわね。最近の若い人たちは引越しするたびに家具を全て一度に買い揃えて、また引越しする時には捨ててしまうけれど、残念なことだわ。」
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/169001490/picture_pc_7b67861c2f40f93ce71443c6863071e2.jpg?width=1200)
椅子のデコレーションをしていたのは見かけていたけれど、いつも使っていた机、それだけでなく壁やタイルも自分たちで作ったものだったとは気づかなかった。
話しているうちにイザベルは袖糸を解き終え、気づくと13:30をまわっていた。昼食を食べ、冷蔵庫に置いていたものを紙袋にしまう。
「出る前にコーヒー飲む?」とイザベルが言ってくれたので、いただくことにした。それを飲み終えたら、もう14:30。出る時間だ。
スーツケースを転がして、扉を開けると、さっき挨拶をしたネコが、庭でちょこんと三つ指をそろえて座っていた。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/169002112/picture_pc_3f980b8fdbd5cce66b530c76cf7e2edf.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/169002121/picture_pc_bc76462272c6a3237bcb9bc81f04711e.jpg?width=1200)
なんて感動的…。来てくれてありがとうと撫でまわす。しかしもう行かなくてはいけないので惜しみつつもネコから手を離し、再び門までスーツケースを転がした。
「本当にありがとうございました。美味しい朝食も、そのために朝早起きしてくれていたことも、たくさん話しかけてくれたことも。とても快適で楽しい4カ月でした。」
「私も楽しかったわ。何か困ったことがあったら連絡ちょうだい。きっと助けてあげられると思うわ」
そう言ってイザベルは「ビゾしても良い?」と私に断りを入れたうえで、両頬に挨拶のキスをしてくれた。私も「ハグしてもいい?」とハグを返して「またね!」と家を出た。
歩き始めて、少し離れたところで一度振り返ったとき、イザベルはまだ門を閉じずに見守ってくれていた。それに手を振ると、イザベルも手を振りかえしてくれたのが見えた。