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ケイトのアパートにて

一昨日の夜の余韻が、昨日はまだ強く残っていた。そのふわふわした感じを言葉で固定したくなくて、余白の多い詩のような形式で書いたが、今は細かく書き残しておきたいという気になっている。


18日の授業が終わったとき、イギリスから来たケイトが、クラスメンバーの6人と、違うクラスにいる3人を彼女のアパートメントに招待してくれた。
彼女は1か月ボルドーに滞在する予定で、最初の一週間は仕事で、二週目はバカンスで、三週目と四週目は学校で勉強をするのだと言っていた。三週目と四週目は学校にいる間も仕事をしなければならないそうで、授業中も上司からのメールに返信している。忙しくてきっと疲れているであろうにも関わらず、時間をつくって招待してくれたのだ。

授業が終わって、すぐに彼女の家に向かうのかと思ったら、まず近くのレストランでお茶をすることに。お茶といってもみんなが飲んでいるのはアルコール飲料で、名前は忘れてしまったが、赤い色をしたビール(?)を飲んでいた。私はトロピケというノンアルコールのカクテルを注文した。オレンジジュースがベースになっている甘い飲み物で、飲み終えたときには、グラスにフルーツの果肉が乾いていこびりついた。

隣に座っているケイトから彼女の家族の話を聞く。彼女のいとこの結婚式の写真を見せてくれた。その人の旦那さんは世界中いろいろな飛びところを飛び回ったけれど、結局はケイトと同じ地元の男性と結婚したと言う。彼女のいとこは2人いて、日本人とのダブルなのだそうだ。もう一方のいとこは日本で料理で有名なティックトッカーらしい。

70才くらいと見られるご夫妻も一緒だった。彼らは今カリフォルニアに住んでおり、旦那さんはアメリカ大統領選挙の民主党候補者であるカマラ・ハリスのTシャツを着ていた。彼らは昔メキシコに住んでいたことがあり、アメリカの移民問題に関心があると言う。彼は、ドナルド・トランプが先日行われた討論会で「移民は犬を食べる」と嘘を撒き散らしたことに怒り、ヘイト的な言説が広がっていくことを嘆いていた。
奥さんは私に一昨年日本を旅行したときの写真を見せてくれた。東京の歌舞伎座や横浜の他に、クルーズで岩手県の浄土ヶ浜にも行ったらしい。私は特別日本人だというアイデンティティにこだわりを感じてこなかったが、故郷について好きだと言ってくれることが、やはり嬉しかった。彼らはその後、全員分のドリンク代を支払ってくれた。

彼らはメキシコにいたのでスペイン語も話すが、ドイツ語にも明るいらしく、ドイツから来たというグレタと地域によるドイツ語の発音の違いの話をしていた。グレタは19才と最も年少だがとても大人びていて、休憩中はいつも煙草を吸っている。お酒も好きらしく、赤い色のビールはグレタがおすすめしたものだった。

「ねえ、ピアノ見せてよ!」
と言われて、私は持ってきていたロールピアノを取り出した。ケイトの家に行ってから弾くつもりだったのだが、試し弾きの後の自然な流れで、BarbaraのLa Solitudeを歌った。みんなの眼差しは暖かく、左隣に座っている旦那さんが、スマートフォンで動画撮影しているのに視線を向ける余裕があるほど、緊張せずに歌うことができた。
歌い終えて、歌詞の意味の説明をしようとしたけど、全てをうまく説明することができなかった。孤独をElle =彼女と擬人化している曲で、バルバラは彼女(孤独)についてきて欲しくないけれど、彼女はどこへでもあとを着いてきて、家の前で待ち構えていてやはり逃がれられない、という大意だけを説明した。

レストランからケイトの家まで歩いている間は、こちらもドイツから来たと言うクローディアと話していた。彼女とは、なぜBarbara を好きになったのか、この滞在のうちにドイツも訪れてみたいという話をしていた。かつて森鴎外と言う作家がドイツに行ったという話に始まり、日本とドイツの文学の話をした。彼女は日本の文学では、村上春樹の他に川上弘美を知っていて、『センセイの鞄』と言う作品が好きだと話してくれた。川上弘美を知っていること自体も驚きだったのだが、もっと驚いたのは、私もその本をちょうどこちらに来る直前に読んでいたということだった。こんなことって、あるんだろうか。ほんとうに、これは偶然なのだが、とても偶然とは思えないような出来事だった。

途中でフランスのスーパー、carrefourに立ち寄り、みんなで飲むワインやジュースやチップスなどを買った。お店に入って、果物の前をウロウロしていたら、「Megumi〜!」という声とともに、後からハグをされる。振り返って見上げると、イタリアのミラノから来たと言うスザンナの大きな目が、メガネ越しに真っ直ぐにこちらを見ていた。
「さっきは歌を歌ってくれてありがとう!」と、改めて言ってくれる。レストランの席でもそう言ってくれたのに、こうして改めて一対一で言ってくれるということに、スザンナの愛を感じる。それをイタリア人らしいと言っていいのかわからないが、ほんとうに親切で、人懐っこい人だ。彼女はその後何度も「こうしてみんなと良い時間を過ごせてとても嬉しい」と繰り返し言っていた。

ケイトのアパートの屋上


Airbnbで借りたというケイトのアパートは、屋上にテラスがついていて、9人で過ごすのにちょうどいい広さだった。
私はメリーナ(彼女もドイツ人)の隣に座った。彼女は絵を描くのが好きで、ポストカードやアクセサリーを販売したりもしているという。Instagram を見せてもらったが、とても緻密な絵だった。彼女は週4回働いていて、その分給料は少ないけれど、絵を描く時間の方が大事だと言っていた。

その話をしていたら、こちらもまたドイツから来たという女性が遅れて到着した。彼女も加わって仕事と生活、Quality of lifeの話をした。彼女は生きがいと言う言葉を知っていて、それはとても大事で好きな言葉だと話してくれた。本で読んだところ、日本は理想郷のように描かれていたそうだ。

さらにケイトも加わり、地元での人々の交流に話が広がって行った。イギリスではロンドンの人は冷たいけれど、彼女の地元では人々が互いのことをみんな知っていて、パブがみんなのリビングになっているようなあたたかいコミュニティなんだそうだ。彼女はその文化をとても好きだと言っていた。だが、やはり物価が上がっているらしく、人々が集まるのはだんだん難しくなっているとも言っていた。

その後、各国の交通事情の話をしたり、ブレグジットやアメリカ大統領選などの政治の話をしたり、音楽の話をしたり、皆で歌を歌ったりしているうちに、あっという間に日が暮れていった。
帰り道に「忘れたくないような、良い夜だった」と、隣を歩くドイツから来た女性が言った。彼女の名前は最初に聞いて忘れてしまったけれど、気持ちや思い出を共有するには名前すらいらなかった。

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