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末広がりな人生の方がいいんじゃない
土下座をしたことがある。小学生の頃と社会人になってから計3回。後悔だってしっかり持ってる。大人になってから計3つ。それでも私は今が一番幸せで、きっとこれからも「今が一番幸せ」を更新していくだろう。
後悔のない人生ってどんな人生なの
私の信じていない言葉の一つに「後悔はひとつもない!」がある。
365日を何回も繰り返していれば、どんな人間でも大なり小なり後悔が生まれるものではないだろうか。「取り返しのつかない失敗」と捉えるか「この先も続く人生への学び」と捉えるか。
後悔を持たない人がいるのではなく、どうやって咀嚼して自分の中に溶け込ませているかの違いじゃないだろうか。巻き戻せない時間や起きた出来事を、拒絶するか愛するかの違いだと私は思う。
幸せのものさしは特注に限る
10代の頃、自分の人生は不幸だと思っていた。言葉を変えるのなら「幸福だということを、受け入れていなかった」だろう。
常に"幸せのものさし"は他人と比べた所にあって、それに満たない自分は不幸だと喚いていた。
竹内まりやさんの”幸せのものさし”という曲にもこうある。
ないものねだりしながら みんな迷って生きてる 大人になってからも
足元に咲いた綺麗な花に気づくだけで 人は嬉しい気持ちになれるのに
本当にその通りで、当時の私は十二分に幸せだった。私は私なりにというやつだ。幸せな証拠に27歳の私はこうしてnoteの記事を書いている。今日まで生きてこれたのが何よりの証拠だ。
私の幸せの素は、子供の頃にすでに見つけていた。
日向がぽかぽかだと幸せで、雨でも綺麗な紫陽花を見つけたら幸せ。お母さんや友達が笑顔だと幸せで、猫と家の中を追いかけっこすると幸せ。お気に入りの絵本を読んでは幸せで、絵を描いて凄いねと褒められて幸せ。私のための誕生日ケーキが幸せで、クリスマスツリーを飾るのも幸せ。
いつだって自由に選べる
色々を経て大人になった今、私の幸せは子供の頃と同じに戻った。
自分や大切な人のためにご飯を作ると幸せで、散歩をしながら季節の変化に気付けるのも幸せ。猫と一緒に眠るのが幸せで、絵本を読んだり描いたりするのも幸せ。私は私なりで幸せを選べて、私が私でいられるこの日々が幸せ。
幸せになりたければ今すぐなれるし、幸せをどんどん大きくすることもできる。幸福になるかどうかは自分で選ぶことができる。
土下座も後悔も経験あり
小学校の頃に始まった「私の人生マジ不幸論」は、いつの間にか「何だかんだで私の人生幸福論」に変わっていた。小学生の頃に万引きをして泣きながら土下座をしたことがある。大人になって仕事の問題で迷惑をかけて土下座をしたことがある。そんなことしない人生を送ることが一番だとは思うけれど、その経験をしての今があるのだから、無駄ではなかったんだろう。
大人になって後悔が3つ。どれも一生忘れることはないだろうし、何年経っても涙が溢れてしまう。きっとこれからも。でも、それと同時に勇気を与えてくれる「あの後悔を無駄には絶対にしない」そう思わせてくれる。大切な後悔で、大切な宝物だ。
子供の頃の私に会えたなら
決して楽なことばかりではなかった。多分これからもそうだろう。
けれどこれだけは言える。「人生で無駄なことは一つもない」過去の経験のひとつひとつが、今の幸福に繋がってる。きっとその幸福はどんどん大きく広がっていくんだと思う。
もし子供の頃の自分に会えたなら、きっと私は手助けはしない。例え恨まれようと、同じ経験をさせたい。一言、願いを込めてこう言うだろう。
「末広がりな人生の方がいいんじゃない?」