誤植との邂逅、そしてイタズラ書きと
邂逅とはまた大袈裟な。と自ら突っ込んでおく。
久しぶりに巡り合った誤植である。
誤植箇所をマークしようとして、だけどやめた。こういうものは不意に出会した方が印象に強い。「お!」という感嘆の後に思わず知らず「♪」の一つでも付けたくなるような心持ちになる。というのはもしかして私だけだろうか。
この誤植もすごいんだが、「堀柴山」という名前もすごい。この「堀柴山」を読もうとして、あるいは何者か知ろうとして、あちらこちらを訪ね歩いて(いや、歩いてないけど)、そしたらまたまたいろいろ思うところがあって、これはいずれ別に書こうと思う。
ちなみに、ここにチラと出てくる「真柄さん」とは、堺利彦の娘である。
誤植というと、同じような誤植を過去に一度だけ見たことがある。
こちらも『お!♪』組である。「無益な悔恨」でよかった。「愚かな悔恨」だったりでもしたら、文字通り「愚か」になってしまうところであった。
ところで、こちらの本は別の意味でも印象的なのてあって、読み進めていくとこんなものにお目にかかる。
これは「カフカ、カフカ」と、二度続けて書いてあるのか?
しかもカミュの本に?(笑)。
頁をめくった瞬間に驚きましたな。5秒くらいは硬直していたかと思う。繰り返すが図書館本である。間違って書いてしまったのか。もしかしたら自分の所有本に書いているつもりだった、のかもしれない。たとえ自分の本だとしても、この大胆な書き込みには驚嘆するが。ぼんやり考え事をしていて、電話しながらイタズラ書きをするかの如くに書き殴っていたら、不幸にも図書館本だった。きっと、そんなことなんだろう。そういうことってありそうじゃないか(ありそうか?)。
と、一度は納得しかけたんだが表紙に戻って再び驚愕する。
いや。
これは。
何気なく、ではないね。
ぼんやり、でもない。
明確な意志を持ってタイトルに訳語を付けたんだろう。
「Kafka Kafka」と同じ人なのか。同じインクっぽい。そもそも違う人が同じ本に大胆な書き込みというのも、それはそれですごいのだが。
とすると、「断頭台」と同じ人が「Kafka Kafka」と明確な意志を持って成されたんだろうか。どんな理由なんだ。
そういうようなことをぼんやり考え続けた。
今度はいつ面白い図書館に出会うのだろう。