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「わし」という一人称

きっかけはこちら。

▼螢池言語硏究所のHome Page/資料/古典日本語の活用 (.pdf ファイル)
http://hotarugaikegengokenkyuuzyo.web.fc2.com/katujoo.pdf#page=1

こちらに次のような表現が紹介されている。

儂に何か用か?

この「儂」というのは一人称で「わし」と読む。
更に続けてこうある。

しかし、次のような日本語母語話者はまず居ない
a. 1941年頃に生まれ、
b. 東京に育ち、
c. 大よそ誰と話す時にも、
d. 要素 (3a) を頻用する。

「要素 (3a) 」というのは先ほどの「儂に何か用か?」を指す。

え?

うちの亡くなった父親は、
1943年生まれで、
大よそ誰と話す時にも、
「儂に何か用か?」と言うた、
ような気がするが?

ん?

あ。

東京に暮らしたことがない。

あれ?

東京の人は、年配の人でも「儂」という一人称は使わないのか?

えーっと。

寅さんは自分のことを何と言っていたか。
「おれ」か。

そうか。
おっちゃんの一人称が「わし」というのは全国共通ではなかったか(笑)。


日本語の一人称はほんとに呆れるくらいたくさんあって、ぼく、おれ、わし、私、あたし、あちき、あたい、わい、我輩、拙者、等々。年代のみならず、時代によってもけっこう違う。過去、一番インパクトの大きかったのは、坪内逍遥訳「ロミオとヂュリエット」の「ヂュリエット」の一人称である。
彼女の一人称が「予」。
そう書いて「わし」と読むのであった。

ロミオどの、おのが有でもない名を棄てゝ、其代りに、の身をも、心をも取って下され。

坪内逍遥訳『ロミオとヂュリエット』

この「予」にあろうことか「わし」と振ってあるのである。

「わし」には、中年のおっちゃんのイメージしかないんだよぅ(ToT)。

しかし、なんで「予」と書いて「わし」なんだ。

漱石も秋水も一人称を「予は」と書いていたと思うが、そして私はこれを「よは」と読んだが、まさか「わし」と読んだのか?


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