師岡千代子『夫・幸徳秋水の思ひ出』
国立国会図書館デジタルコレクションで「幸徳秋水」を漁っていたらふと見つけた。師岡千代子氏が夫・幸徳秋水のことを書いておられたということは知ってはいたが、あまり気には止めていなかった。だが、デジタルコレクションで目に止まったとき、どんな文章なのだろうと思って開いてみた。そうして読みだしたら、なんとはなしに止まらなくなってしまった。
*
秋水は並外れた出不精で、稀に見るほどの入浴嫌いであったらしい。おそらくは放っておけばひたすら書を読み物を書いているような人だったのかもしれない。体躯は小柄で体が弱く幼少の頃から家の中で手遊びをしたり本を読んで過ごすような少年だった。利発で神童と言われる。
既に十歳の頃に政治問題に関心を示し、また自ら新聞も作った。その新聞には三面記事のみならず社説まであったという。そのころから既に自由党を信条とする秋水は改進党の集会に行っては子ども仲間を集めて示威運動もした。秋水以外の子どもたちは何をしていたのかさえ把握していなかったらしい。
著者は、秋水をこう評している。
「秋水は、その生涯を通じて思想に反して行動することが出来なかつた」
これが一番秋水を言い表しているような気がする。「思想に反して行動することが出来なかった」というのは、一見至極当たり前のようにも思え、皆がみなそう行動してもおかしくはないようにも思えるが、実際にはおそらく極めて難しい。個人の自由が尊重されつつある現代においてもそれは違わない。生きるため食べるため生活するために、時に人は意にしない言葉を口にし、納得し難い行動を強いられる。もちろん、それにより受ける精神的な圧力は少ないわけはなく、時には苦痛を伴いつつも糊口をしのぐ。ましてや、思想的弾圧が吹き荒れる明治の時代においてをや、である。
たが。
秋水は、おそらくどれだけ弾圧されてもその思想を変えなかった。その苦痛はどれほどのものだろう。そう思うのだが、秋水に悲壮感は見られない。飄々と時代に流れるかの如く行動する。
金銭的にも全く無関心であった秋水は、三申からもらった株券も売り飛ばして書物を買う。やはり三申から家を建ててやると言われても、金に困れば家も売ってしまうだろうからいらないと言った。そこに至って、三申は秋水へ蓄財を勧めるのは諦めた。そしてこう言った。『僕の目の黒い中は不自由はさせないから、金の入り用の時は取りに来給へ』。晩年の秋水は三申がいなければ食べても行けなかったようである。
死を前にして「これも運命」とそう言ったが、死を避けるために思想を曲げることなど、秋水の選択肢にはなかっただろう。
*
本書には、大逆事件に関する記述がない。わずかばかり秋水の母の死について触れているのみである。1946年、戦後すぐの頃の出版である。検閲に引っかかったということでもあるまいに、と思うのだが。
著者にはもう一冊書いたものがあって、それを『風々雨々』という。本書の一年後に出ている。目次を見ると次のようになっていた。
秋水の先祖・父母・兄弟・親戚のことゞも/p1
秋水の幼年時代/p24
齋藤綠雨氏の思ひ出/p53
小泉三申氏の追憶/p72
中江兆民先生/p88
田中正造翁ことゞも/p120
堺利彥氏の面影(附・大逆事件の思ひ出)/p139
『小泉三申氏の追憶』までは本書に同じである。よく似た本が一年しか違えずに出版されている。本書『夫・幸徳秋水の思ひ出』を読んで別の出版社が『風々雨々』を勧めたのか。
いずれにしても。
「(附・大逆事件の思ひ出)」を読むには『風々雨々』を読まねばならぬか。
以下のリンク先は国立国会図書館デジタルコレクションである。ログインなしで読める。読みにくいけど。PDFでダウンロードした方が読みやすいかも。
師岡千代子 著『夫・幸徳秋水の思ひ出』,東洋堂,昭和21. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1057766
参考までにデジタルコレクションには『風々雨々』もある。但し、こちらは「送信サービスで閲覧可能」であり、利用登録がなければ読むことはできない。利用登録と言ってもオンラインで全て可能である。私は、簡易登録を済ませていたので、マイナンバーカードの写真を放り込んで本登録を申し込んだ。手続きには五日ほど要するらしい。
師岡千代子 著『風々雨々 : 幸徳秋水と周囲の人々』,隆文堂,1947. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2978862
タイトル画像は国立国会図書館デジタルコレクションから拝借した。左上に「納本」と大きく書かれているのが、なんだかおかしい。納本制度は昭和23年(1948年)に始まったようである。本書出版時にはまだ納本制度はなかったわけであるが、出版2年後に納本制度ができたとき、その時点で出版されている全書籍がかき集められたということなのだろうか。