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幸徳秋水『死刑の前』 三度 『世界評論』

というわけで。
その「わけ」というのはこちら。

今度はこれを探し求めることになった。

神崎清編『新編獄中日記―大逆事件記録』

国立国会図書館デジタルコレクションの検索ボックスに「新編獄中日記」を放り込む。すると。

ヒットはたったの2件。

国立国会図書館デジタルコレクション
「新編獄中日記」の検索結果

まず、上から。

国立国会図書館デジタルコレクション
蔵書目録[16](青森県労働文庫篇 昭和49年7月末現在)

蔵書目録?…………やな予感。

15コマ目。
あった。

国立国会図書館デジタルコレクション
蔵書目録[16](青森県労働文庫篇 昭和49年7月末現在)
15コマ

しかるに、この蔵書目録とは何ぞや。
それについては本書の序に記載されていた。
青森県在住の堀江彦蔵氏の蔵書寄贈本の目録であるらしい。その数4638冊。大正13年に労働党県連を設立以降、戦前戦後に渡って収集された社会思想、社会運動、労働運動に関する資料で稀覯本も少なくないという。『新編獄中日記』はその中の一冊らしい。

ところで、ここにある『証拠物写』とはなんだろう。ものすごく気になる。

もう一つ気になるものがあって、それがこちら。

国立国会図書館デジタルコレクション
蔵書目録[16](青森県労働文庫篇 昭和49年7月末現在)
15コマ

宮武外骨編。
宮武外骨が大逆事件について編纂したのか。
気になる。

あ、そうか。
宮武外骨は、もしかしたら読み放題かもしれない。
後で検索しよう。

いずれにしても、この資料から『新編獄中日記』を読むことはできないということはわかった。


では、もう一冊にあたってみよう。

出版年鑑…………。
出版リスト…………かな…………。

国立国会図書館デジタルコレクション
出版年鑑1968年版

えーっと、何コマ目だっけ?
979か。
979!?
いったい何頁あるん? これ。

とにかく、見よう。

あった、979コマ(当たり前か)。

国立国会図書館デジタルコレクション
出版年鑑1968年版 979コマ

げっ。
ここから探せ、と。

と思ったけど、あっさり見つかった。

出版年鑑1968年版

一番上のものがそうだけど、二番目のは何だろう。『大逆事件記録』とは別にノンフィクションを書いてらっしゃるのか。森長英三郎氏のものも見える。自刊とは自費出版のことか? 「*」のマークは何を意味するんだろう。ああ、凡例にあった。

復刻・復刊・再録ものには、*印を付して区別した。

『出版年鑑1968年版』より

いずれにしてもこちらも目録。
『新編獄中日記』は読めない。


ならば、「死刑の前」で検索してみる。

国立国会図書館デジタルコレクション
「死刑の前」検索結果

937!
多いなぁ…………。

あ!
でも、あった。

国立国会図書館デジタルコレクション
大逆事件記録 第1巻

『大逆事件記録』
こっちで探せばよかったのか(笑)。

だが。

「国立国会図書館内限定」…………orz

国立国会図書館まで行かんと読めんのか。
あるいは複写サービス。


なら、府立図書館。
今度は『大逆事件記録』で探す。

大阪府立図書館 「大逆事件記録」検索結果

なんや、あるやん。
誰や、ないっちゅうたん(誰も言うてへんし)。

とりあえず、軒並みマイブックリストに登録しておく。

でも、最後の「1950年版」は何やろな。
予約できひんねん。
なんでやろ。

とりあえずは、大阪府立図書館に行かんと神崎清編「大逆事件記録」は読めんわけや。


国立国会図書館の「死刑の前」検索結果をもう少し眺めてみた。
すると、これ。
なに? これ。

国立国会図書館デジタルコレクション
「死刑の前」検索結果

「未発表」?
え?
これが世間への初出なん?
ホンマに?
1950年…………終戦が1945年…………5年後…………。

「送信サービスで閲覧可能」

ふ、ふ、ふ。すぐに読めるやん😙
読まいでか。

なんか、すごいな。
何がと聞かれても困るが。
「死刑の前」はやはり「未発表」とある。
秋水刑死後、39年経ってからの未発表原稿の公開など、どう説明したんだろう。

本文前の解説を抜粋引用してみる。

〈前略〉手記は遺族に下げ渡すという典獄との諒解のもとに筆をとつたものだが、典獄は約を果さず、司法省あたりの金庫に終戦まで埃をかぶつて放置されたままであつた。その後偶然の機會から人民社社長佐和慶太郎氏の手に入り今日發表の機をえたものである。〈中略〉手記の書きかけを處理したいという秋水の希望も容れられなかった。『死刑の前』を發表するにあたり、快く貸し與えられた佐和氏ならびに上述の事情を調査してくださつた神崎清氏のご好意に深く謝する次第である。〈後略〉

「手記は遺族に下げ渡すという約束だった」

確か、師岡千代子氏も怪訝がっていた。
ああ、ここだ、『風々雨々』の95コマ。

序ながら、秋水の遺墨は、手紙や原稿以外には殆どないと云つて好いのであるが、宣告の日の近付いた時、私の乞いを入れて、私や舊知の人々に『惡筆を振つて置かう』と冗談めかしく云つて、筆墨その他の差し入れを私に命じた。そしてそれは監獄でも許可したが、(その許可通知は今なほ私の手元に殘つて居るが)秋水も書いて置いたと面會の日に私に告げたのであるが、秋水の死後その遺墨の宅下げを願い出た時には、何故かそんなものはないと云つて拒絶された。餘りの不思議に私は呆つけに取られて了つたが、堺氏は役人達が横領したのだと云つて、時々思ひ出したやうに憤慨しておられた。

師岡千代子『風々雨々』P176

『死刑の前』以外にも書簡のようなものも書かれていそうな口吻だけれども、見つかったのは『死刑の前』だけだったのだろうか。『新編獄中日記』とあるくらいだから、獄中で書かれた他のものも含まれているのかな。やっぱり、読んでみたい。

そして、何気なく「世界評論」の頁を繰って驚いた。

え?
自筆原稿?
この『世界評論』は、秋水の自筆原稿を元にしたのか。

自筆原稿(と覚しきもの)に、あいにく秋水の名は見えないが。

それでも筆跡は確認できたろう。
秋水はいろいろな人に書簡を送っている。

『偶然の機會』

それはなんだったのだろう。


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