幸徳秋水『死刑の前』 それは本当に秋水の筆によるものか(2)
幸徳秋水の自筆原稿というのは、既に幾つか見ている。なので、ちょっと挙げてみる。
(1)母への手紙
まずは秋水から母に宛てた手紙である。
糸屋寿雄 著『幸徳秋水研究』,青木書店,1967. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2978935 (参照 2024-12-08)
うーーーん。
なかなか読みにくい。
途中、塗りつぶしもあったりなんかして、はっきり言ってかなり汚い。だが、それはやむを得ない点もある。今と違いワープロではない。書き直しは容易ではない。そもそも、これだけ塗りつぶし書き直したというのは、それだけ文章に対して真摯であるとも言える。母への手紙であってさえも誤解のないように書き直し、あるいは削除した。そうとも言える。
単に、大雑把な人だったり、せっかちな人だったりかもしれないが。あ。母・多治子が秋水を指してせっかちと言っていたか。
いずれにしても、世間に公表する予定のない手紙であってもこの訂正文である。
妻・千代と離別して管野スガとの結婚承認を求めたとあるので、大逆事件直前くらいのものではないか。
(2)移転を知らせる葉書
知人に移転を知らせる葉書だそうだ。
神崎清 著『実録幸徳秋水』,読売新聞社,1971. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12193754 (参照 2024-12-08)
この葉書という短い文章の中にさえ、取消線付きである。
とあるのか。
「幸」は読めても「徳」はとても読めない。
(3)大逆事件陳弁書
大逆事件において書いた陳弁書である。
吉田孤羊 著『石川啄木と大逆事件』,明治書院,1967. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1348372 (参照 2024-12-08)
大逆事件で投獄中に書いたもので、『死刑の前』との時間差はほとんどない(一月ほど?)。連座させられた若者が多かったことから、彼らの境遇を救えないかとしたためた陳弁書である。弁護士に宛てて書いている。
これも例にもれず取消線塗りつぶしである。
デジタルコレクションの全集から引き写してみる。
(4)『死刑の前』
そして、問題の『死刑の前』である。
『世界評論』5(4),世界評論社,1950-05. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3556897 (参照 2024-12-08)
初めて世間に公表された際に、原稿の写真を載せたようだ。佐和氏より借りたとあるのだから、秋水自筆原稿そのものなのだろう。「誰かが筆写したもの」という可能性もなきしはあらずだが。写しであれば、それをわざわざ写真で載せるのも妙な気がする。
だが。
他の原稿を見てからこれを見ると、なんだかずいぶんきれいである。(2)の短い葉書でさえ取消線があるというに、これには一つもない。1頁しか見えてはいないから、たまたまきれいだったという可能性もあるが。
またこの『死刑の前』は原稿用紙のようたが、(3)は違うようだ。(3)も(4)も、同じ監獄で書いたものなんだが。紙は違うのか。
師岡千代子氏が筆、紙を差し入れたのではなかったか。
最後に堺利彦や小泉三申に手紙を書いているが、同じ紙だろうか。
母に宛てた手紙も原稿用紙のようだが、マス目は無視したような書き方だ。だが、この『死刑の前』は一マス一マスがきっちりしてみえる。
ただ、いずれにしてもこれだけの資料からは判断するのは、もちろん難しい。画像もあまり鮮明ではないし。
あと、調べるとしたら…………。
沼波政憲談・市場学而郎筆記「幸徳一派の刑死刹那」、『日本犯罪学会報』
これは、糸屋寿雄『幸徳秋水研究』の「神崎清は断定している」に付けられていた注記である。刑死刹那とあるが、執行に立ち会ったのだろうか。たが、だとして、どうして神崎清の断定と結びつくのか。
神崎清編『大逆事件記録』第1巻,世界文庫,1964
もう一つは、やはりこれか。「編」となっているので、神崎清の言葉がどれだけ聞くことができるのかはわからないが。
あとは…………。
もっとがっつり、秋水筆蹟を比較するか、文体や言葉を比較するか。
あ、そうか。
2021年に幸徳秋水展のようなものをやっていたんだっけ。