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斉藤光政『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』
先だって、コメントで教えていただいた本である。
「東日流外三郡誌」
そもそも、これを読むことができなかった。
つがるそとさんぐんし
そう読むらしい。
偽書とされている。
著者は東北にある新聞社の記者である。ある日、とある訴訟に関する取材の仕事がまわってきた。
「君は歴史関係の取材が得意だろう?」
そう言って白羽の矢が立ったようだ。それが「東日流外三郡誌」に関する損害賠償請求訴訟である。そして同時に「東日流外三郡誌」の真偽論争の幕開けでもあった。
読み応えもあって、同時に惹きつけられもし、実に面白い。「東日流外三郡誌」が偽書と言われるのは何故か。
①外三郡誌が成立したのは江戸時代とされているにもかかわらず明治以降に作られた新語が出てくる。
②原本から書き写されたのは明治時代とされるが、字体には戦前から戦中にかけて教育を受けた者の特徴が見られる。
③外三郡誌と筆跡が同じである一連の和田家文書には、戦後に生産された版画用の和紙が使われている。したがって、文書は戦後に作られたものにほかならない。
ちなみに、東日流外三郡誌の場合は、発見者の筆跡とも一致しているらしい。ついでに言うと誤字の表れ方も発見者と類似するという。なんというか、癖というのはなかなか抜けないものだ。いや、癖という言葉では足りない。
誤字は書く人自身の生活や抱えている歴史、思想の表れなのです
歴史や思想
単なる書き間違いにとどまらないわけか。なるほど、そう言えるかもしれない。思いもしなかった視点である。
東日流外三郡誌に至っては次のようにも評される。
文章も文法も滅茶苦茶で、拙劣、醜悪の限りをつくしている。偽書としては五流の偽書、つまり最低の偽書である。その絵も同然である。ニセの骨董品屋も引き取らないような偽書を本物と思いこむのは丸太棒を呑み込むように難しい。
拙劣、醜悪の限りをつくす
東日流外三郡誌は今やネットでも公開されている。だが、ここではリンクは貼らない。私も「その絵」なるものを見てみた。
「ここからは巻物でご覧ください」
そう言われた先にあったものは…………。
よくわからなかった。
「幼稚園児の絵か?」と思わないでもないが、もとより私に絵心などあるはずもないのでやはりよくわからない。
それを信じる人がいるのは何故か。
これはもう、陰謀論がはびこる理屈と同じようだ。UFOを信じる人は信じるし、火星に人工物があると信じる人は信じるし、幽霊がいると信じる人は信じる。それと同じであるらしい。そういう場合、どれだけ言葉を尽くしても、どれだけ科学的根拠を積み重ねても、どれだけ偽書の証拠を示しても同じであるそうだ。彼らの「信念」(?)を覆すことは容易ではない。
個々人が何を信じるかは自由ではある。自由ではあるが、これが時にオーム真理教のようなものの下敷きにもなりかねないとなると簡単にも済ませられないのかもしれない。高じればカルト宗教にも発展しかねないという。
それはともかく。
紙質、筆跡、字体などは自筆原稿がないと判断できない。だが、誤字、新語などは自筆原稿がなくてもわかる。送り仮名や旧字の使い方にも癖があるかもしれない。面白い。