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『太平洋戦争への道』

読み終えた。
読み終えはしたのだが。
時代がダイナミックに複雑に動いてゆくので全体が捉えにくい。俯瞰しにくい。太平洋戦争を始めることになった理由など、もちろん一つではないのだろうが。

各章毎に、とにかく何かを書いてみようかと思う。

第一章 関東軍の暴走
1931満州事変─1932満州国建国

「満州」というと何を思い浮かべるだろうか。満州事変。私が記憶している満州というとその程度でしかない。だが、かつて日本は「満州国」という「国」を作ったことがある。大陸に一国を作り出したのである。国を作るなど、考えられようか。

満州国は五族協和、王道楽土を目指して建国されたものである。五族協和とは、日本民族・満州民族・漢民族・モンゴル民族・朝鮮民族が協調して暮らすというものであり、王道楽土にはアジア的理想国家(楽土)を、徳による統治(王道)で造るという意味が込められているという。これだけを読めば西欧の植民地支配から脱却し、アジアの暮らしを確立するということを目指しているようには見える。だが所詮、それは建前だ。実際は次のようなものであったようだ。

満州への進出は生存権の拡大であるとする財界・経済界が、軍を支えたわけです。自分たちの国は貧しい国で、こんな狭い国土で、とてもではないが生活するのもやっとであさる。私たちの国や民族にも、生存権を拡大する権利がある──ということで、満州に入っていくことを正当化したのです。

『太平洋戦争への道』

結局のところ「西欧だってやってるのだから俺だって」ということでしかない。それでは西欧が日本に取って代わっただけであり、解放などとは呼べない。

戦争は軍の独断暴走によるものであり、国民も被害者である

この国にはそういった意識が強いような気がする。だが、本当にそうだろうか。いや、きっとそれだけではない。財界・経済界が後押しし、新聞が煽り、国民が乗ったのだ。勢いがあり景気の良い言葉に気を良くし突っ走るのはいつの時にもあまり変わらない。社会や暮らしをよくするなど一朝一夕になるはずもないものを。ましてや、他国の領土に躍り出て好き勝手をしていいわけがない。満州国というのはその「していいわけがない」ことの一つだ。

「満州国」で検索していると興味深いものを見つけた。こちらの動画である。

満州国における動画である。製作者は不明。サイト運営は「国立映画アーカイブ」。「国立映画アーカイブ」という存在も初めて知った。下記のサイトでは国立映画アーカイブが保存するフィルムのうちの記録映画を無償で公開しているらしい。

上記の動画「MANCHUKUO The Dawn of a New Era in the Far East(満州国 極東の新時代のあけぼの)」も、そのうちの一つである。サイトでの動画無償公開は2023年に始まったばかりで登録されている動画は八十余本とあまり多くはない。これから随時追加してもらえるのであればありがたい限りである。その際、是非とも登録するかしないかを忖度しないでいただきたい。


第二章 国際協調の放棄
1931リットン報告書
    ─1933国際連盟脱退

リットン報告書。これも知らない人が多いかもしれない。満州事変が日本の侵略行為であるとして、中国国民政府の蔣介石が国際連盟に提訴した。国際連盟はリットン調査団を派遣し調査。その結果をまとめたものがリットン報告書である。

この報告書で日本が全て否定されたかというとそういうわけでもないらしい。ある程度の日本の権益を認めている。

  • 柳条湖事件における日本軍の活動は自衛とは認められない

  • 満洲国の独立も自発的とはいえない

とする一方で

  • 事変前の状態に戻ることは現実的でない

  • 日本の満洲国における特殊権益を認める

としている。
日本にとっては「名を捨て実を取る」内容であるにもかかわらず、日本は満州国が認められないことに反発した。そして、そのまま国際連盟脱退に行き着くのである。全権率いた松岡洋右が決議内容を不服として退場したという。松岡洋右などに全権を託すからこうなる。国民はそう憤った。と思ったのは間違いで世論は拍手喝采だったというのである。本書には次のようにある。

脱退を強く主張したのは、むしろ新聞です。新聞がものすごい勢いで脱退をぶち上げた。もう脱退せよ一辺倒で、全国百三十紙以上の新聞が、一致して脱退勧告をしている状態です。「内閣は何をしているのか。これだけ世論が脱退で盛り上がっているのだから、脱退こそが大日本帝国の正しい道である」というように。あれだけ煽られてしまったのでは、斎藤内閣はどうにもならないぐらいに参ってしまったと思います。

『太平洋戦争への道』

松岡洋右の行動は日本国民の世論に支えられたものであったわけだ。いや、新聞=世論なのだろうか。それさえもわからない。

満州国の存立を危うくするような解決案は断じて受け入れるべきではない

何故そんな考え方になるのか、国全体が何故そんな風潮になるのか、不思議でならない。満州国は魅力いっぱいであると誰かが吹聴したのか。仮にそうだとして、そんなに安々と乗っかるのか。他国に乗り込むというその行為に。しかも国民全体が。

よくわからないことはまだまだ続く。


第三章 言論・思想の統制
1932五・一五事件─1936二・二六事件

五・一五事件、二・二六事件ともなれば名前くらいは聞いたことがある。

五・一五事件は、海軍青年将校が内閣総理大臣犬養毅を暗殺した事件。二・二六事件は陸軍青年将校ら1,483名が蜂起し永田町や霞ヶ関などを占拠した事件である。

クーデターなどというものは令和の今の時代には理解が難しいところもあるかもしれないが、一方で、若者が過激な行動に出るのは繰り返されてきたことでもある。だから理解できるのかと言えばもちろんそういうわけではなく、彼らが何故そういう行動に向かったのかも検討すべきことではあるが、五・一五事件の場合にはもう一つの側面も見落とせない。世論が首謀者を賛美したというのである。本文から引用してみる。

全国から百万通と言われる嘆願書が集まります。そして、彼らは国士であり、その行動は義挙だということになり、テロリズムが肯定されていく。五・一五事件の裁判が行われた昭和八年、一九三三年という一年間に、テロリズムそのものを悪とするのではなく、動機が正しければ何をやってもいいという空気ができ上がってくるわけです。

『太平洋戦争への道』

人を殺すという行為が是とされることがある。戦争と死刑は法的に認められた殺人である。これを語るときしばしば「正義」なる語が用いられる。これら(戦争と死刑)がなくならない限り正義の名の下の殺人はなくならない。死もやむを得ないという意識がどこかに残る。そしてそれは意外にも群衆心理に結び付きやすい。「名も金も名誉も、そして命をも捨てて、国を救うためこうするより他なかった」と彼らが訴えれば涙を誘われ同情を促され、そして最後には彼らの行為をやむなしと考える。それだけで世論がうねりのごとく動いたのだとすれば、そして彼らを英雄視したのだとすれば、それはあまりにも不勉強であまりにも愚かである。


第四章 中国侵攻の拡大
1937盧溝橋事件
   ─1938国家総動員法制定

蘆溝橋事件。詳しくないが日中戦争のきっかけになった事件なのだそうだ。その後の日中戦争は泥沼と称される。支配下におきたいという一点だけで、言葉は悪いが対費用効果も考えず中国大陸の奥へ奥へと軍隊を送り込んだ。実に80万もの兵士である。日中戦争に反対し、開戦後も停戦を考えた人たちもいたようだ。だが叶わなかった。大義も名分も失い、残ったのが支配欲だけでは長く続くものではない。大陸は広く大きい。簡単に終わるだろうと安易に考えていた戦いは80万を送り込んでも目処は立たず、戦果は上がらず戦費だけを消費してゆく。国家総動員法ができるまで、わずか一年である。

国家総動員法。これが発令されれば物資も人も自由にはならない。「ほしがりません、勝つまでは」である。国家総動員法が出るまでは、国民の生活も特に差し迫ったものではなかったようだ。戦争は遠い異国での戦闘であり、目の前を砲弾が飛ぶわけでもなく、浅草は人で賑わい、映画も大盛況である。日中戦争が何故こうなったのか。本書ではこう言っている。

盧溝橋事件からの日本と中国との関係は、日本の奢り、高ぶりに因を求めることができると考えていい。

『太平洋戦争への道』

奢りはこの時に始まったものではない。維新で開国して以降、おそらくはずっとそうだったのではないか。アジアを同じ立場として見ていたろうか。侮り見下し睥睨してきたのではなかったか。

太平洋戦争は奢りの終着点だったのかもしれない。


第五章 三国同盟の締結
1939第二次世界大戦勃発
    ─1940日独伊三国同盟

本書では、日本の先の戦争を太平洋戦争と称している。従って『第二次世界大戦勃発』というとそれは真珠湾攻撃のことではなく、ドイツのポーランド侵攻を意味する。ドイツのポーランド侵攻の一年後に三国同盟が結ばれることになる。

ドイツが日本との同盟を望むことはわからないではない。ロシア(当時はソ連)を牽制するためである。さらにはアメリカも。ドイツと日本でソ連を挟み撃ちできる。日本は太平洋を挟んでアメリカと対峙している。

では、日本は何故ドイツと同盟したのか。本書ではこのように書かれているのである。

日の出の勢いのヒトラー、憧れのドイツと同盟を結べば何かいいことがある、その程度の認識だったのではないでしょうか。

『太平洋戦争への道』

我が目を疑うような文面である。いったいこれは事実なんだろうか。俄には信じ難い。信じたくない。同時に「なるほどそうであったか」と思わないでもないということがまた辛い。ドイツ、ヒトラーをどのように見ていたのだろう。勢いがいつまでも続くと思ったのか。

太平洋戦争開戦後のこの国の進む道は推して知るべし、である。


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