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美松書房
「日本の古本屋」で「幸徳秋水 死刑の前」を検索していて見つけたのがこれであった。
![](https://assets.st-note.com/img/1738941432-YwziRtSeCVku91x6qlPsDvnd.png?width=1200)
「既にご注文を承っております」とあるが、注文したのは他ならぬ私である。
目を引いたのは次の二つ。
(1)幸徳秋水「死刑の前」で一冊となっていること
(2)刊行年
幸徳秋水の「死刑の前」は分量が少ない。
全集に収録されているものはわずか19頁である。同じ頃に秋水は弁護士に宛てて陳弁書を書いているが、こちらの方が21頁と若干多いほどだ。その19頁の「死刑の前」を一冊として立てたのか。
ということが疑問の一つ。
そしてもう一つが、その刊行年である。
世界評論社がその雑誌「世界評論」に未発表として初めて公開したのが、昭和25年(1950年)の5月である。美松書房の「死刑の前」が、まさかそれよりも早かったということはないだろうと思われるが、そうだとすると昭和25年の6月〜12月の半年余りに絞られる。世界評論が初めて発表してからわずか半年の間に刊行したということになる。どうやって入手したのか。
そもそも、その「美松書房」であるが、よくわからない。試しにCopilotに聞いてみた。
1950年頃に存在した株式会社美松書房についての情報ですね。美松書房は、1950年から月刊雑誌「書物」を出版していました。この雑誌は、主に文学や思想に関する内容を掲載していたようです。
として、NDLを引いている。
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1950年に存在した美松書房は、月刊雑誌「書物」を出版していました。この雑誌は主に文学や思想に関する内容を掲載していたようです。
ん?
「書物」は月刊誌だったのか。
1950年の美松書房についての具体的な設立日や解散日の情報は見つかりませんでした。ただし、雑誌「書物」が1950年に創刊され、1950年から1950年9月までの間に5号が発行されたことがわかっています。
5号だけ?
というか、「1950年9月まで」?
それは「書物」の話であって、「死刑の前」ではないんだけど。
1950年の美松書房の代表者についての具体的な情報は見つかりませんでした。しかし、雑誌「書物」の出版元として美松書房が記載されていることから、その時の代表者が雑誌の編集や出版を担当していた可能性があります。
Copilotから分かったのはこれだけである。
ネットを検索していてみつかったのはこれである。
![](https://assets.st-note.com/img/1738978214-etONXKvIhsUMSynaJ2wG7kgd.png?width=1200)
この「布川文庫」なるものも気になるんだがそれは置くとして(ざっと検索した限りでは20万冊に及ぶ個人蔵書だとかなんとか)、美松書房の「書物」は1号が昭和25年5月発刊だったようである。
昭和25年5月
そりゃ、世界評論が「死刑の前」を初めて世に送り出した月じゃないか。そこから、ほとんど月日をはさまずに美松書房が幸徳秋水「死刑の前」を発刊したのか。
そもそも、神崎氏が佐和慶太郎氏を訪ねたのが1947年(昭和22年)。昭和25年というのは、そこから3年後である。その3年後の昭和25年に、立て続けに次の三書が刊行された。
(1)世界評論 5月号 世界評論社
(2)神崎清「大逆事件記録」 実業之日本社
(3)幸徳秋水「死刑の前」 美松書房
(1)(2)は、佐和慶太郎氏所蔵の原稿から写したものである。(3)は、どこから写したのだろう。(1)の世界評論から? それとも佐和慶太郎氏所蔵から?
この布川文庫のリストだが、「和雑誌タイトル順」とある。「和雑誌」でないものもあるのか。もしかして、そこには美松書房の幸徳秋水「死刑の前」もあるのだろうか。
というか。
これは月刊誌だったのか。
![](https://assets.st-note.com/img/1738981332-ptw4NhiFfgXQyHVa8G1Bdcxu.png?width=1200)
幸徳秋水「死刑の前」は、ここから取り出したのかな。世界評論5月号を読んで、世界評論社にかけあって、書物3号に載せた。そこから「死刑の前」を取り出して一冊にした。そういうことかなぁ。
漱石未発表書簡って、なんやろぅ。