真の姿を取り戻したい

人は大人になるにつれて、基本的にはより自由になっていくものだと思う。
子供の頃は、家族の枠組み、学校の枠組みの中で、決まりがたくさんあり、それに従わなければならない。もちろん自由奔放な家庭や、学校を不登校になるという選択をする子もいるから一概に同じ枠組みの中にいるとは限らないけれど、それにしても子供でいるうちは法律上できないこともあるし、やっぱり保護者が必要な間は選択の自由が少ない。
アクセスできる情報にも限りがある。

大人になるにつれて、自分で選択することの責任や、経済的なリスクなども伴うけれど、選択できる幅は広がる。

わたしは大学を卒業して、学生という肩書きを失ってから、もう7年経つが、ようやくそう思えるようになってきた。
今まで選んできた多くの選択の中で、一番大きかったのは日本を離れて暮らしてみたことだ。

日本で生まれ育ったわたしは、日本の小学校から叩き込まれた常識から抜け出せないでいた。
継続することが美徳、石の上にも三年、数多くのスキル本、頭でっかちになり心では理解してない知識の数々、苦労することが人生だとか、そういった考え方とか雰囲気にがんじがらめになっていた。
そして致命的なのは、そんな常識に絡め取られているのに、自分は周りと比べるとわりと自由な発想をしている方だと思っていたことだ。


カナダに来て、人はもっともっと自由に、自分のやりたいことを追い求めてもいいのだし、選択肢の幅は自分が頭で考えていることの10倍、いや、100倍はあるかもしれないということに気づいた。
それに、自分は自分、相手は相手で意見が違ったり、好き嫌いが違うのは当たり前で、それを口にすることは悪では全くない。
そう言った違いを認めながら、相手を受け入れることが本当のいい関係というものだ。
そんな当たり前のことにも、日本にいるときは何か勘違いしていたように思う。相手と違う意見だと言わない方がいいかな、みたいなふうに。。

そして、
今いる環境が違うと感じているなら、新しいことを始めればいい。
そう、真っ直ぐ伝えてくれる人があまりにも多い。

何に興味があるの?と尋ねてくれる人がたくさんいる。

職を選ぶというのは、何に興味があるか考えるところからだったはずなのに、大人になるにつれて、何ができるかということばかりを考えてしまっていたように思う。


そうやって一つ一つ、全身を縛っていた鎖を解いていき、自分でも驚いたのだが、今わたしが探している職業が、子供の頃とても興味があったことに関する仕事なのだ。

そして生活の仕方さえも、子供の頃やたらとこだわっていたことをまた取り入れるようになってきた。


そうして気づいたのだが、それらは子供の頃、家庭のルールや学校のルールに合わないという理由で、押さえつけられ、「みんなが嫌がることなんだ」と思い込んでいたことだった。

でも、大人になって改めて考えると、全く間違ったことではないし、さらに、今はそれを選択できる自由があった。

夫との二人暮らしで、家庭のルールは私たちが作れるし、興味のあることを仕事に選ぶ選択もできる。


わたしはまるで、真の姿を取り戻した気分である。

一つ一つ鎖を解いていき、本当はこの人生で何をしたいのか、腑に落としたい。まったく生き生きと自分らしく生きていくためには、あとどのくらいの鎖を解けばいいのだろう。何がわたしを縛っているかは、そのときにならないとわからないことの方が多い。だからわたしは新しい人に会う。だからわたしは新しい場所へ足を運ぶ。自分が囚われているものに気づくために。。

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