「おいしいものをたらふく食べる会」というのを定期的に開催したい。 ここではおいしいものが簡単には手に入らないから、たまにおいしいものに出会うと感動するし、気のおけない人たちと味わうと心もおなかも満たされて、しあわせになる。
あなたが産まれて3ヶ月と少し経ちました。 毎日のようにあなたは新しい姿を見せてくれるね。 ちょっとした変化を重ねながら、もうすぐ寝返りを覚え、はいはいを覚え、立ったと思ったら歩き出して、自分の人生を生きていくのでしょう。 産まれた瞬間から気の強さを感じさせる泣き方で、どうしたらあなたの気持ちを落ち着かせてあげられるのかを考えることが私の毎日のミッションです。 抱っこでねんねするより、お乳をたらふく飲んで寝落ちするのが一番幸せそうですね。 お腹が空いていなくてもおっぱいが欲
いつか美しい花が咲くように、 今の自分の心にタネを播く 一つ一つ丁寧に。 小さな花のタネでもいい 大きな花のタネでもいい 青色の花や黄色の花、 真っ赤な花や真っ白な花 自分が美しいと思う花のタネを あちらこちらに播いておく あとは太陽の光をふりそそぐように 明るい気持ちでいるだけ やさしい雨を降らせるように 愛に満ちた心でいるだけ そうしていつか花が咲くのを じっとあせらず待とう 私にとってタネは 誰かにやさしくすることだったり 韓国語の勉強をすることだったり
これからきっと育児などに追われて忘れてしまうだろうから、ここに出産の記録を残しておこうと思う。どんな印象的な出来事も時が経つと少しずつ忘れてしまうものだから。 出産から3ヶ月経っていて、すでに記憶から消えている部分もあるかもしれない(出産すると記憶力が低下するというのは本当らしい) わたしの今回の出産の概要は ・第一子 ・カナダで無痛分娩 ・たよれる家族は旦那のみ ・出産は州の大きい病院にて 終わってしまえば、心配しすぎることなかったな、という感じもしますが、全部が初め
夫とはトータルで4年と半年くらい同じ時を過ごしてる。 間に2年間の遠距離があったから、同じ場所で過ごすのは2年半くらい。 ようやく、ごめんねが言えるようになった。 本当は腑に落ちてないのに、ギスギスしたのが嫌で言う、ごめんねじゃなくて。 ちゃんとほんとに傷つけちゃってごめんね、の言葉。 全くの他人に対してすみません、とかごめんなさいは割と言える。 でも少し近い関係の人に、本当のごめんなさいを言うのは、プライドが邪魔することがある。 特に彼や夫という、対等に生きていこうと思
昨日の夜、夢を見た。 知らない町、南アメリカの雰囲気、あまり綺麗な町ではなかったけれど、その町の少し高いところにあるレストランにいた。 隣にはガタイのいい知らないおじさんがいて、私はその人がわたしのルームメイトだと知ってるんだけど、その日が会うのが初めてのような感じだった。 そして、目の前には私のおばあちゃんが座ってた。 おばあちゃんと、最近はまってるラジオの話をした。おばあちゃんとは趣味が合う。 おばあちゃんが私の聞いているラジオを聴いているのが驚きだった。 やっぱりお
ここ数日で、立て続けに、ご機嫌でいるということをお知らせされている。 本で言うと、喜多川泰さんの「運転者」を読んだ。 ご機嫌でいないと、幸運がやってきた時にも見逃しちゃうんだよって教えてもらった。 ラジオで言うと、私の大好きな満島ひかりちゃんが、「朝目覚めた時に、今日も生きちゃってる!って思うんですよ」って言ってて、その幸せをお裾分けしてもらった。 満島ひかりちゃんとYO-KINGさんのラジオでも、YO-KINGさんが「不安になったりクヨクヨしたりしないって決めちゃってるから
カナダで暮らし始めて8ヶ月がすぎて、先月少し働いたレストランを辞めて、今次の仕事が始まるまで家で簡単な在宅ワークなどをしている。 すこし人生の休憩だ。 前職のレストランで働いていた時は、忙しすぎて、まるで強風で豪雨の中を歩いていて、自分の所在もおぼろげになるような、そんな感じだった。毎日必死にただただ歩を進めるだけ。 隣にいる旦那さんのこともよく見えないくらいの強風と豪雨。 何を食べ、どうやって暮らしていたのだろうと、遠い目で見つめる。 今は少し休憩しているけれど、
年が明け、私の家族に会ってもらうため、旦那をカナダから日本に連れてきた。 結婚はしたけどまだ彼は私の家族に会ったことはなく、今回が初めましてだった。 3週間ほど日本で過ごしたけれど、彼と2人で過ごす日本は初めてで、隣で当たり前の景色に感動する人を連れてあちこち歩くのは楽しい体験だった。 私の両親も彼のことをかなり気に入ってくれて、それは本当に良かったけれど、私の両親もあちこち見せてあげたい欲が湧いてきたようで、彼は私と私の両親に引っ張りだこで、あちこち連れ回される羽目にな
2023年が始まって一週間と少し経った。 元旦に2023年は毎日noteを書いてみようと宣言した。 しかし、きついのでやめることにした。 きつい、と言うのはだいぶいろんな説明を省いているのだが、主に以下の通りだ。 ・内容が思いつかない 毎日ここに書きたいことなどあるはずもない。少なくとも平凡なわたしには毎日人のためになるような教えみたいなことも書けないし、ただの日々の記録として使ってもいいけれど、それはわたしの書きたいことではない。 ・何か書かなければいけないと思う精
私が3年前、知り合いもいない、言葉も知らない、見知らぬ土地へやってきたのは、大きなチャレンジだった。不安と、自分がどこまでやれるか見てみたいという気持ちだった。 1年後に帰る頃には、自分は意外と大したことないということに気付かされ、日本で積み上げてきた自信やスキルは全くと言っていいほど打ち砕かれ、通用しなかった。 だから、3年ぶりにまたこの土地に戻ってくるとは想像していなかったけれど、人生というのは何がどう関わり合って導かれていくのやら。 私はまたこの土地で、3年前の思
おしゃれなレストランで、3年来の友達と食事をした。 カクテルは可愛くて美味しいし、お料理も一つ一つ手間がかかっていて、見た目も美しい、口に入れた瞬間、うまってなる旨味の凝縮されたものばかり。 雰囲気も最高で、お正月明けで財布の紐が固くなりがちなこの時期にもかかわらず、店内は常に満席だった。 私たちは半年ぶりにあった。溜め込んだ話を、どちらからともなく吐き出す。その友達はいつでも元気だ。わたしと話すときは、元気に愚痴も話すし、元気にわたしの話も聞いてくれる。たくさん笑うし、
人は大人になるにつれて、基本的にはより自由になっていくものだと思う。 子供の頃は、家族の枠組み、学校の枠組みの中で、決まりがたくさんあり、それに従わなければならない。もちろん自由奔放な家庭や、学校を不登校になるという選択をする子もいるから一概に同じ枠組みの中にいるとは限らないけれど、それにしても子供でいるうちは法律上できないこともあるし、やっぱり保護者が必要な間は選択の自由が少ない。 アクセスできる情報にも限りがある。 大人になるにつれて、自分で選択することの責任や、経済的
きみはよく歌う子だった。 言葉を話すよりずっと前に歌を歌っていたような気がする。 歌が友達だった。 人間の友達がいなくてもちっとも気にしていないようだった。 悲しい時には歌がなぐさめ、 嬉しい時には歌が喜びを何倍にも大きくした。 きみの歌声はいつも楽しそうに聞こえたから、ぼくは 「なにか楽しいことがあったの」 と聞いたことがある。 きみは不思議そうな顔をして 「楽しい時ばかり楽しそうに歌うわけじゃないよ」 と言った。 きみは歌を仕事にしたいと思っていたこともあっ
2023年が明けて3日目だ。 今年は毎日noteを更新しようと決めた。 毎日、記事を作るというのは大変なことのように思えたけれど、 決めてしまうと意外と楽しい。 全然何を書くか決まっていなくても、画面を目の前にタイピングを始めると、意外とここに書きたいことがあったりする。でも、3日目だから当たり前かもしれない。毎日ということは、昨日とほぼ同じようなタイムスケジュールを送った日にも、違ったnoteを書くと言うことで、飲みすぎてベロベロに酔っ払った日にも何か搾り出して文章を書
誰かに図星のことを言われてカッとなることがたまにある。 自分でわかってて、恥ずかしかったり直したいと思ってるのに、それを人に指摘されると 「そんなことわかってるよ!」 と逆ギレみたいになっちゃうやつだ。 最近気づいたんだけど 自分では恥ずかしかったり直したいことだと認識していなかったけど 何かのきっかけでカッとなってはじめて 直したいと思ってるのに直せない自分への苛立ちだったと知ることがあるーーーー 私はアパートに住んでいる。 同じアパートに住む夫の友人がたまに遊びにく