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きみは歌う

きみはよく歌う子だった。

言葉を話すよりずっと前に歌を歌っていたような気がする。

歌が友達だった。

人間の友達がいなくてもちっとも気にしていないようだった。

悲しい時には歌がなぐさめ、
嬉しい時には歌が喜びを何倍にも大きくした。

きみの歌声はいつも楽しそうに聞こえたから、ぼくは
「なにか楽しいことがあったの」
と聞いたことがある。

きみは不思議そうな顔をして
「楽しい時ばかり楽しそうに歌うわけじゃないよ」
と言った。

きみは歌を仕事にしたいと思っていたこともあったようだ。
でも、きみは歌と近くにありすぎた。

歌はきみがお金を稼ぐためのものではなかった。
心臓や脳みそや、手足のように、きみの一部であり、
誰かに渡したりできるものではなかった。

歌とともにあることで、きみは、きみ足りえた。
きみの歌は誰か他の人のためのものではなく、きみ自身のためのものだった。

ある日、きみは挫折した。
深く深く落ち込んで、暗い井戸の底に
落ちてしまったみたいに見えた。

きみの歌が聞こえなくなった。

きみ自身も消えてしまったかのようだった。

見ていられなくって僕はきみにこう言った。

「きみは何があっても歌うようにのびのびと生きていかなくっちゃいけない」と

きみは驚いたような顔をして、それから、
太陽が昇り、世界が闇から目を覚ますように、
ゆっくりと、そしてしっかりと、顔をほころばせた。

きみの心に僕の言葉が沁み渡り、
きみの心が歌を取り戻していくようだった。

きみは歌と近くにありすぎて、それが自分にかけがえのない存在だと気づいていなかった。

きみはそれから歌を忘れることはなかった。

歌とともに生きている。

僕はきみのそばに今はいないけれど、

きみは今でも歌っていることだろう。
歌がきみの記憶で、歌がきみの今で、歌がきみの希望なのだ。

きみがどこにいても、僕はきみが今日も歌っていることを知っている。

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