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こじらせ女の婚活記録①甲子園連れてっての巻

20年以上にわたる婚活の歴史を書くにあたり、「わたしのこの強すぎる結婚願望ってどっから来てるんだ?」と考えたところ、既に中学生の時には「はやく結婚したい!」と言ってた気がして。中学生まで遡ります。

プロ野球選手と結婚したい

中学生から高校生の頃の夢はプロ野球選手と結婚することでした。
なぜならプロ野球選手は、お金持ってるし、みんなに自慢できるし、高校野球は好きだったから。
まさに煩悩のかたまり。

しかし埼玉の電車も通ってないど田舎の街に生まれた私には、プロ野球選手の妻となるにはどうしたらいいかさっぱりわかりませんでした。
ぼんやりアナウンサーになればいいんだとは思っていたけど、自分はスペック的にアナウンサーにはなれないことはちゃんとわかっておりました。

そこで中学生なりに考えた。
プロ野球選手はモテるから、プロ野球選手になってからじゃ遅い。美しく、恋愛に慣れたしたたかな女性たちに日々囲まれるだろうし、倍率も高いし女を見る目が肥えてしまう。
「ならば高校生のうちに!彼が開花する前に!彼が有名になる前に付き合って結婚しちゃえばいいんだ!」

野球強豪校に行けばいいんだ

ぜんっぜん好みじゃなかったけど、同じ中学の野球部の中から好きな人を選ぼうとしてみたりしたこともありました。しかし当時嵐がデビューする直前で、もうそれはそれはジュニア黄金期で、毎日美しくかわいくサラサラツヤツヤな男性しか見ていなかった私。もちろんそんな男子が田舎の中学にいるわけもなく。
さらにはタッチとH2を愛読していたので
「うちの中学にはいないけど、どこかにはイケメンで優しいタッちゃんやヒロみたいな将来有望な野球部員がいるはず」
と信じて疑わず、野球強豪校への進学を志しました。
色々調べて、制服も可愛くてよく雑誌にも載っていた浦和学院にしようと決めました。
野球部のマネージャーになるんだ!
甲子園に行くんだ!
まだ見ぬ私のタッちゃん、甲子園連れてって!
私にはもう甲子園(に行く男子)しか見えない!

それから1ヶ月もせずにあっけなく夢は砕け散る。
進路希望調査で志望校を提出することになり、母に真剣に悩み選んだ志望校、浦和学院を伝える。
理由を聞かれ、素直に答えた。
母は大真面目に一蹴。
「これは真面目に書くものだよ。そんな理由で私立なんか行かせられるわけないじゃん」
そりゃそうだ。いやでも、大大大真面目だったんですよ娘も。
「まあ確かに、マネージャーと恋愛禁止とか聞くし無理かも…遠いし…」
と中学生なりに納得して、仕方なく近所の県立女子校に進学したのでした。
今思い返してみるとこれまでの人生で母に反対されたのってこれ一回だった気がします。

遠ざかる甲子園への道

進学した女子高を選んだのも、特に何かやりたかったわけではなく、公立にしては制服が可愛かったのと、同じ駅にセットの男子校がついていたからでした。
現実は厳しく、全くと言っていいほどその男子校との接点はなく、まさかの文化祭の日程まで嫌がらせのように被せられていたので出会いの場など皆無。電車だって6分しか乗らないので制服が可愛くても全く出会いなんてない!
遠ざかってゆく夢…甲子園への道は遥か彼方…

そんな2年生のある日、再び甲子園チャンスが巡ってきました。今度は近所の高校が県大会決勝まで勝ち残ったのです。
その高校の友達に懇願したところ、なんと野球部の2年生ピッチャーで次期エースの座は確約されているという男子を紹介してくれました。
まーーーーーーーーったくもって彼自身に興味関心はなかったけれど、なぜか付き合うことになりました。
案の定、見た目が好みじゃなさすぎて、一緒に歩けない、手すらつなげないという禁断症状が現れ、彼らの県大会敗退とともに2週間くらいで一方的に別れを告げました。
(確か昼休みとかにメールを送った。あちらからも別にそうかわかった〜!了解〜!くらいの返事が昼休み中に来た記憶)
苗字は覚えてるんだけど、下の名前が思い出せない…。きっとあちらもそれくらいのレベル。
こうして再び甲子園への道は閉ざされたのでございます。
いやでも、人生で一度は野球部のエースと付きあってみたかったのでいい経験になりました。悔いはありません。

タッちゃんなんてどこにもいない

その後も、甲子園出場した別の高校の野球部の男子を紹介してもらったり、夏休みには近所の球場に出かけ野球応援に精を出したり、行ける男子校の文化祭は全部行き、甲子園への道を模索。
しかしついに最後の夏を迎え気付いた。
私はどうやら野球部とは縁がないと。
ていうか、野球部員という生き物とあんまり相性良くないのかもと。
声でかい人苦手だし。体格いい人苦手だし。男同士でつるんで女の話してる人苦手だし(イメージ)。電車に大人数でガヤガヤ乗り込んでくる人苦手だし(イメージ)。どちらかというとおとなしくて体温低そうな人が好きだし。

タッちゃんなんて、どこにもいないのだ。
しかもタッちゃんだってなんやかんや学園一の美女と付き合うわけじゃん。出会えたとしたって私に出番なんてないのだ。
こうして傷ついて人は大人になる…

そうだ、早稲田にしよう

そんなこんなで、全く学業に興味を示さぬまま再び進路を考えるシーズンとなっていました。
原点に戻って考えてみた。
やりたいことは何かではなく、全く懲りずにわたしはどういう人と結婚したいのかを。

プロ野球選手と結婚したかったのって、お金とそのステータスではないか?
お金とステータスがあれば別にプロ野球選手じゃなくても良くない?
そうだ!モテそうな女子大に行って、早稲田の人と結婚しよう!(なぜ早稲田だったかは次回)
そんで寿退社しよう!
鎌倉に庭付き一戸建てを建て(てもらい)、専業主婦になる!
庭のバラに朝からシャワーする生活!
手作りパンを焼く生活!
フラワーアレンジメントを習う生活!
そうだ!それがいい!
わたしはまた、夢に向かって走り出した。
(朝ドラだったらぶん殴られるヒロイン)
早稲田編に続く…

【38歳のふりかえり】

当時はそれはそれは一生懸命だったのだけど、野球部およびジャニーズの追っかけしかしてなかった高校時代。親のお金でまったく一体何をしていたのだ。もっと他にやることがあったはず。
でも、あれはあれで青春だったんですよねえ。いい思い出なんですよねえ。あの青春の日々は文句を言わず自由にさせてくれ、信頼してくれた両親のおかげです。感謝しかありません。
ちなみに、甲子園に行くという夢は自力で叶えました。大学生の時、友達と高校の制服を着て浦和学院の応援に行きました。
日本人には全くモテなかったけど、道頓堀で制服が珍しいらしい海外の旅行客にめっちゃモテました。これまたいい思い出。
あと、いまだに野球は好きです。



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