できなかった自分を受け入れる
隣の芝は青く見える、というけれど、
美しく茂って仕方ない最近。
私は自分のホームをケニアだと思っている。
限られた期間だったけど、ぶつかることもありながら、日々「生きている」ことを実感する生活だった。
日本とのギャップやホームシックに苦しみながら、国際協力とはなんぞや、私がやっていることって結局負のサイクルに加担しているのではないかと悩んだ毎日。
ここがあって、日本で一度働いて、またアフリカに戻った。
いまは、2度目のアフリカで改めて国際協力への違和感から逃げ、日本でぬくぬくと安定してしまった。
もちろん、日本で働く決断は自分でしているし、
あの時アフリカに残ったとしても私は力になれなかったと思うけど、
現地で長年に渡って奮闘する人たちの発信を見るたび
「ああ、私も続けておけば良かった」と思ってしまう。
それと同時に、
日本で働くことそのものが逃げではないし、
この期間もいつかアフリカに戻るための鍛錬+充電の期間なんだ
と、なぜか言い訳している自分がいる。
私が大学生のころは、新卒で国際協力の道に進むことは難しく
多くの先輩が一般企業を経て、40歳前に転職するパターンが目立っていた。
いまは職業が多様化し、旅行もしやすく、学生からアフリカに行くことも珍しくなくなってきているように感じる。
しかも、みんな上手く情報を見極め、考え、行動していて、その生き方には尊敬しかない。
そういう人達が、自分の会社を立ち上げたり、現地に就職したりして
末永く関わる覚悟を早々に決めている様子を見ると、「私が力になれることはないな」「やっぱりそういう覚悟が必要だよな」と思ってしまう。
実際、ある程度の犠牲と覚悟は必要なのだ。
私にはできなかった、を認めて
そろそろ自分なりの道を決めていかないといけないと思う。
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