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凸凹の回、感動の回(※特別無料公開)
年に1回のアトリエホーム企画「凸凹の回」が終了したので、どんな内容だったのか、そして今回はどんな経済体験になったのかお伝えしようと思う。
1ヶ月間の展示で来場者数は約300人。辺鄙な場所に位置しているため毎回人は多くはない。今年はほおのき秋楽祭が少なかったため例年より客数は減ったけれども、初めてのお客さんが多かったし、物々交換の内容が濃かった。
今回の作品購入方法は
「子供がつけた値段」
「ぶつぶつ交換します」
「あなたが値段を決めてください」
の3種。
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芸術と経済は生み出し方が全く異なるからこそ、融合すると私は考えている。芸術が意識のエネルギー化なら、経済はエネルギーの流動化だ。経済がなければ芸術は発展しなかったとも言えるし、未だに相反するイメージがあるのは経済というものにそれ以上の意味を持ち執着している人が多すぎるせいだと思う。
とはいえ、芸術と経済は質も次元も違うものであることは間違いない。芸術は無くてもいい。けれど、あった方がいい。芸術は絶対的なものではなく、それこそが芸術の本質を深めている。本当のところは美術は経済と繋がってもいいし、繋がらなくてもいい。便宜上繋がった方が作家が救われるというだけの話で、私はこれからの世界は苦労が美徳になるなどという重さは不要だと思っている。子供や若者にはぜひ喜びとともに、自分と向き合って創造することに取り組んでほしい。創造する過程でどうしたって苦しむのだから、余計な苦労などしなくていいと思う。まあ、苦しむことが好きな人は苦しめばいいと思うが。そういう類の自己愛もある。
子供の作品販売に対して、違和感を持つ人は少なくないだろう。それもやはり経済に、それ以上の価値を加えているからだ。経済力は思考力、体力、理解力など力の一種に過ぎない。子供らは得たお金で自分の判断で画材や互いの作品を買ったり、寄付したりしているので、私としては何の違和感もない。子供の豊かさを親だけに任せるのは無理がある。子供の責任を親だけに委ねると、全ての歪みに繋がる。私は独身者なので家庭を持つ人よりは心身のゆとりがあり、それをシェアするのは優しさとかの感情論ではなく、単に円滑なのだ。
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ある日、少人数の子供らがいる時に3人のお客さんが来た。1人は着物を着てニット帽を被った30代の女性。1人はアーティスティックなTシャツを着た30代の女性、あとの1人はきっと母親だろう、優しい眼差しの60代くらいの女性だった。みんなマスクをしている。寒い日だったので子供らがお茶を出した。彼女たちはとても丁寧にゆっくりと時間をかけて見てくれていて、私も思わず声をかけた。「あなたのお母さんからあなたの活動を聞いたことがあって。一度来てみたいと思っていたんです。」と母親らしき女性が話してくれた。
着物を着た女性が、子供らの絵を見ながら自分のことを話し始めた。ずっと家にいて、久しぶりに家を出てみた。このアトリエに行ってみたくて。かつて私は絵を描いていて、でも苦しくて、いつしかそれもできなくなった。そんな時に、こんな場所があったなら。きっと描くことを手放さずに済んだのに。彼女は澄んだ目で話してくれた。
もう1人の30代の女性も、私と2人になった時にゆっくりと自分の話をしてくれた。家を出られない時が長くて。私も絵を描いていた。描くことがとても好きだった。今も見るのは好きです。子供たちの絵を見て、私もまた描いてみようと思いました。
私は珍しく、気持ちがぎゅっとなった。
彼女たちはとても静かに、場を壊さないように、なるべく自分達をその場に合わせながら、ゆっくりじっくり全部の絵を丁寧に見ていた。
こんなに若く、繊細な慈しみの感覚を持っている彼女たちが、なぜそんなに苦しまなければならなかったのか。なぜ、家を出ることさえ怖くなってしまったのか。きっとそれは、彼女たち自身のせいではない。今や社会は強者だけが生き残れるものと成り果ててしまった。彼女たちのような野花のごとくささやかな存在は、その化け物のような社会に踏み潰されてしまう。そして声を上げることもできずに、傷ついて倒れてしまうのだ。
私は彼女たちに語りかけた。いい絵を描こうとか完成しなきゃとか思わずに、できるだけ自分にとって違和感のない素材と方法で、ただ色紙を手で破って貼るだけでも、丸を描くだけでも、表現してみてと。そう言うことしか、私にはできなかった。
彼女たちは世界に自分を表すことを、諦めてしまったに違いない。諦めないでほしい。あなたは確かに存在するのだから、誰に認められずとも自分のために、この世界に自分を開示してほしい。自分のためだけに。そんなことを言葉で言えるはずもないので祈るような気持ちで、なるべく言葉少なめに話した。彼女たちはきっと他者の言葉の多さにも意味にも、繊細に消耗してしまうだろう。
私は共感能力が著しく低いため、せめて対峙した人には調和することを心がけている。それは、声のスピードど音量と、言葉の量だ。多い人には多く、少ない人には少なく。まあ、これはごく当たり前のことではあるが、力づけようとしてつい言葉を重ねたくなる。自分の話で場を塗り替えてしまったり。実はよくあることなのだ。無意識にやっている人は多いし、私もやってしまう時もあるのだけれども。
彼女たちはTENNEKOのTシャツも買って行ってくれた。いつか、それを来て心地よく外を歩いてほしい。外に出ることを、望むなら。子供らの作品がこうして他者の希望になりうる。それを子供らに話したら、彼らは黙って何かを咀嚼していた。何を感じたかは、彼らだけのものだ。そういう若者たちと子供らの交流が、間接的でも生まれることはとても素晴らしいことだと思う。
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私は傷ついた人や倒れてしまった人に出会うことが少なくない。子供でも若者でも大人でも。私もかつてそういう時期もあったのだけれども、今はそうではないので、その人たちに気持ちで寄り添うことはできない。しようとも思っていない。彼らは一様に皆とても謙虚で優しく、自信を失っている。他者と関わることや会話が苦手だと皆言うが、私はそういう人でコミュニケーションしにくいと思う人に、出会ったことはない。
逆に、自分は社会性があるとか対話力とか語彙力があると思っている人の方が対話しにくい時がある。それは、コミュニケーションを得意だと思っている反面、交流そのものを軽んじている場合があるからだ。そういう人は人の話をきちんと聞けない。もちろん全てではなく、単なるひとつの傾向に過ぎない。
アトリエの19歳の男の子もコミュニケーションが苦手だと言うが、彼と話していて難しいと感じたことはない。「伝える」ことや「自分の本当の気持ち」や「物事の意味」とか、そういうことを丁寧に咀嚼するのに時間を要するだけだ。それは本当は思慮深いと呼ばれるべきもので、社会性が低いと一概に切り捨てていいものではないと思う。
彼はとても誠実に自分の本心と対話しているし、その行方を待っていればいいだけのことである。通常は人の本心を引き出すのはとても面倒だし、言葉が多い人は自身のボキャブラリーの扱いの巧さに囚われている人もたまにいる。そういう人の本心に触れるのはとても労力がいる。まあ、面倒なのでそんなことは殆どしないけれども。その点、その彼は待っていればいいだけなので、楽な方だ。
願わくば、彼や彼女らが自分に自信を持つ機会に出会えるといい。そうしたらいつか、自分の欠点や欠如にこそ希望を見出しやすいことがわかるだろう。自信を持つって、大したことではない。本当はそこに他者は関係ない。存在を必要とされたことがない人は、存在してないからだ。そういうことに気づくためには、自分が自分を知って愛撫する必要がある。その最適な方法が創造だと私は思う。
さて、 ぶつぶつ交換で他のケース。
今回のぶつぶつ交換で、とても苦しんだ少女がいた。
それは、予想外に彼女の1枚の絵に希望者が殺到したことだ。この絵に6人が交渉を申し出た。
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<女性2人がたまたま同時にぶつぶつ交換>
・黒い石の指輪
・レトロなガラスのチョーカー、ガラスのリンゴのオブジェ
Rちゃん「あゆきさん、どうしたらいいかわからない」
私「ときめくものが、あるかどうかだよ。それはもう一瞬でわかるはず」
Rちゃん「うーん、、、正直ないけど、でも申し訳ないよ」
私「そっか。でも仕方ないよね、違うんだから」
Rちゃん「本人の目の前でダメって言えない」
私「NOほど誠実に伝えた方がいいんじゃないかな」
Rちゃん「どう伝えればいいの?」
私「気持ちは嬉しいんでしょ?まずはそれを伝えた方がいいんじゃない」
Rちゃん「・・・そうだね、わかった。でもあゆきさん、側にいて」
私「わかった」
女性2人はとても残念がってくれた。1人は「失恋した気分」と言っていて、それくらい自分の作品を思ってくれたことに、少女は揺さぶられたことだろう。その揺さぶりが、彼女の感性を繊細で美しいものに育てる。
<陶芸家がぶつぶつ交換>
・自身の作品。小さなアーティスティックなカケラから大きなオブジェまで、選んでもらいたいとたくさん持ってきてくれた
Rちゃんは泣き出してしまった。自分の絵にこんなに想いを寄せてくれるのに、応えられないという罪悪感。その場から移動して少し話した後、落ち着くまで1人になりたいと言うので私は場を離れる。陶芸家の方は当然心配して「かえって申し訳なかったなあ」と言っていたので「彼女は必ず経験に昇華できるので、心配無用です。ここには誠意しかないと全員わかっているのだから」とお伝えする。
しばらくして彼女の元に戻る。
まだ涙が頬を流れている。目が真っ赤だ。
Rちゃん「つらい」
私「そうだろうね。でも、相手の気持ちを推し測るのは失礼とも言えるよ。きっと受け止めてくれるからさ。相手を信じてもいいと思う。」
Rちゃん「・・・」
私「直接伝えるのが無理?」
Rちゃん「・・・うん」
私「手紙なら書ける?」
Rちゃん「うん、書く」
私「私が渡す?自分で渡す?」
Rちゃん「自分で渡す」
そして、泣き腫らした顔で無言で手紙を渡した。陶芸家の方は察してくれて「今から仕事だから、夜勤中に読むね。出会えてよかった、手紙ありがとう。」と手を差し出した。彼女と温かい握手を交わした。その細やかな配慮が本当に素敵だ。目の前で読まれなかったことで、彼女は随分救われただろう。私だったらこんな配慮はできないなあと思いながら、この光景を見ていた。
最終的に、彼女は6人全てのぶつぶつ交換を断った。
私「この一件で、気がついたことがある?」
Rちゃん「うん」
私「聞いていい?」
Rちゃん「この絵は、非売品にする。手放しちゃいけない絵ってわかった。」
私「・・・素晴らしいね。何よりの結末だ。」
実はこの絵は彼女にとって苦しいプロセスを経た絵だった。彼女は子供から大人への階段を登り始めようとしているところで、ここ最近とても情緒がナイーブな状態が続いていた。そんな心身の揺らぎに、彼女自身が不安になっていたように見えた。絵は潜在意識が現れるもの。画面がなかなか定まらず、制作にとても苦労したし最終的に「あゆきさんがやっていることを切り貼りしただけだから、私の絵とは言えない」というコンプレックスもあった。
つまり、この絵は彼女そのもの。「光の影」というタイトルも彼女の情緒そのものだろう。
天才数学者の岡潔が言っていた。
「子供の教育に最も必要なのは情緒なのです。」
彼女はとても大切なことに気づいた。苦しくても、自分の手元に置いておこうと決めたのだ。彼女の全てに誠実であろうとする姿勢に、私は感心した。Rちゃんは確かに、自分の本心に触れたのだ。これからはきっと本心に気づくきやすくなるだろう。私はそのために、子供らに創造と向き合ってもらいたいと思っている。自分の深部に触れることを、大人になると容易く忘れてしまう。そうなってしまってから取り戻すのは、かなり大変なのだ。私もそういう過程があったのでよくわかる。
最後に凸凹の回の全貌をお見せしよう。
ちなみに、16歳以上の作品は次回にのメルマガにてご報告します。以下は全て小学生以下の作品群である。皆グッと創造性が高まったのが見てわかると思う。毎回本当に溜飲が下がる思いである。彼らのパワーに負けてられない。私も爆発してやろうではないか。とメラメラしてしまう。
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戦争と平和という言葉を使いたくなかったらしい。
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先週アトリエ日に展示の講評会をした。子供らの要望によるものである。「みんなの作品に言いたいことが山ほどある」とのこと。何とそれは1日で終わらず、翌週に持ち越された。そのことで皆既に自身の創作に自信があることがわかる。「あゆきさんのも色々言いたい」ということで、ヒヤヒヤしている。
最後に大分市立美術館の学芸員さんが新聞に書いてくれてた凸凹の回の展評をご紹介して閉めることにする。次のメルマガは12月1日新月🌑です!今年もあっという間に終わりですね。よい晩秋を。
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