改めて、言葉を大切にする。
私達が、普段何気なく使っている日本語。かつては、鉛筆などで手書きしていた文章は、ある時期からワープロなどのキーボードによる入力に変わり、さらにはスマホによる入力へと進化してきています。
この流れが進化なのかは、一考すべきテーマだと思いますが、今日は見送ります。
思い返してみてください、考えるときのことを。
基本的に、日本語で思考している方がほとんどでしょう。ネイティブなマルチリンガルの方は、どうやって深い思考をしているのか?とても興味があるのですが、まだそのことについて議論したことがないので、このこともいずれ。
なので、読書をすることのメリットの一つは、良質な思考にダイレクトに触れられることだと。
他にも、自分自身の限られた時間と身体だけでは感じられないことを擬体験できることもメリットの一つであるんです。
高校時代に、軽めの鬱傾向にあった私。あるときに、社会という文字を書こうと思ったときに、社という字が全然思い出せないことがありました。ついに頭がおかしくなったのか?そう思い、16歳の私は結構絶望に浸りました。
それが鬱だということをそのときは分からなかったんだけど、授業をサボって入り浸っていた図書館で、夏目漱石の「硝子戸の中」という随筆を偶然手に取り、読んでいると、同じようなことを漱石も体験していたことを知り、そこから劇的に回復したのを覚えています。
自分自身の問題を記しておくことで、後世に生きる一人の若者が救われるなんて漱石は思っていなかったと思う。でも、私は確実に救われたわけで、当時のように著名な人たちにしか許されていなかった著述し、それを公開することが、誰にでもできる時代になったということをプラスにするには?
コロナ禍の世界で、人々は様々な苦境に直面し、命を落とすかもしれないというストレスにさらされている。
ストレスには強いと自覚している私でさえ、ストレスを感じている。たとえば、心拍数だったり、睡眠の深さだったり。
まずはストレスを自覚することから始めて、口にする言葉をできるだけ優しいものに。
そうすれば、周りにいる家族や友人たちには優しい波動が伝わるはず。
大きなことをいきなりしようなんて考えるよりも、まずは身近でミニマムなことから行動を。もちろん、思考はグローバルにね!そうすることで、世界とつながりつつ、自身の生きている時間が豊かになるはず。
綺麗事が必要な時が今だと私は思っています。
しんどいときこそ、誰かの目に触れるものには、優しさを。
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