自分の顔は、好きですか? 仏教と顔について考えてみた
1月も半分が過ぎて、今年の1/24が過ぎたことになります。
こう考えると、1年なんてあっという間ですね。
松の内最後の日なので、ギリギリお正月ネタです。
お寺の「顔つき」はご住職のお人柄から
私は仏教好きです。何が好きって、あの「お寺」という空間が好きです。
ふっと落ち着く。
昔から、古くて美しい物、着物や伝統工芸や骨董品、そういったものが好きなんです。
奈良市にある喜光寺さんの「いろは写経」に出会い、2年前から毎月縁日に通うようになりました。
喜光寺が好き。ご縁あって集まっておられる方が、またなんとも温かいのです。
お寺の雰囲気、カラーが、とてもオープンな明るいお寺です。
きっとご住職のお人柄なんでしょう。
そのお人柄に吸い寄せられるように、集まって来られる方のお顔は、皆、柔らかく、穏やかなお顔立ちです。
今年も、喜光寺のご住職で薬師寺の長老でいらっしゃる山田法胤ご住職から、お年賀をいただきました。
「吉祥 薬師寺長老 法胤」
緒方先生の作、お茶杓です。ご住職が筒に書いてくださっています。
大切に飾っておきます。
「唯識」顔や身体と関係あるの?
毎月、お寺に通って唯識論(ゆいしきろん)の法話を聴いております。
唯識については、私は説明できるほど賢くないので、興味のある方はお調べになっていただきたいのですが、
今、目の前に広がっている世界は、あなたが見たい世界が広がっているのだ
というようなことを感じました。
例えば、ご住職の例え話では
「スーパーに行ったとしよう。商品棚にならんでいる品物を見て、普通の人は
『お金を払って買う物が並んでいる』
というように見るが、あなたが泥棒なら
『盗めるものが並んでいる』
というように見る。
同じ物を見ても、全く別の解釈で見えるのですよ」
当たり前の話かもしれませんが、とても納得しました。
そう考えると、世の中全てが、唯識で説明つくのではないか?
ということは、
自分が自分の顔に対して、どういう認識で生きているかで、顔は変わるのではないか?
と考えるわけです。
自分の顔、好きですか?
あなたは、ご自分のお顔のこと、好きですか?
唯識論的に考えますと、自分の顔をみて「美しい」と思えば、それは「美しい」わけです。
美しくてうっとりしちゃうな~と、自分の顔を肯定的に見て、好きだな~と思えば、自然と表情も柔らかくなります。
でも、ほうれい線が気になってどうしても肯定的に見られない。
がっかりとはいかないまでも、ちょっと残念な気持ちになる。
そんなお声も聞こえてきそうです。
美しさのゴールとは
なぜ、美しくなりたいのか。
結局のところ、自分の気持ちが柔らかく生きやすく気持ちよく過ごせるために、美しくなりたいんだと思います。
見た目がどうであれ(少し乱暴な言い方ですが)、毎日気分良く過ごせたら良くないでしょうか。
ただ、その気持ちが、シワやたるみのせいで、なかなか上向きになれないなら、それはもったいないな、と思うのです。
ほんのちょっとのテクニックで、コツで、お顔がぱ~っと華やかになれるなら、そんな幸せなことはない。
キレイになるコツを掴むのが先か、自分は美しいと思うことが先か。
どちらが先でもいいのです。
ゴールは、きれいになってしみじみ幸せを感じることができる毎日にすること。
顔ヨガで表情豊かな美しい人へ
喜光寺さんにお集まりの方々は、みなさん柔らかな優しいお顔立ちの人ばかり。
笑顔のコツをお伝えすると、更に笑顔が魅力的になられました。
顔の筋肉の使い方がわかるようになると、より豊かな表情が自然に作られるようになります。
そういう明るい笑顔の下には、幸せが自然と溢れてきます。
あなたも顔ヨガで表情美人になりませんか。