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発達障害的、息子氏が小学高学年の頃。

~母として当事者として #発達障害 目線での徒然を書いています。発達障害らしさを感じ取って頂けたら嬉しいです。~

 昔書いていたブログを読み返しています。
 忘れてしまっていることもありますね。読んで思い出すこともあれば、ブログなので曖昧に書きすぎて全然何のことが思い出せないこともあります。

 小学4年生の時にいじめに遭ったことがきっかけで、発達障害の専門機関に飛び込みました。
 当初は、特性は「あまり見ない大きな凸凹」と言われつつも、「適応していないわけではないので、まだ障害とは言えない」的なことを言われていました。

 当時は、まだまだひと恋しい男でした。

 知的には高い方のタイプのひとでもあり、息子氏の話題が通じる同級生は居ないと言われました。大人でも分からないようなことを知っていて話したりしているけど、大人じゃないと話についていけないと。

 ですが、いわゆる「積極奇異型」の典型的なタイプでした。

 誰彼構わず声を掛けたり、ひととの距離がおそろしく近かったり、「友達」と本人が思っている関係を大切にしようとしていました。

 それゆえに、そそのかされて騙され、苦しい体験もしました。
 その辺の空気の読み方の苦手さは、知的な問題ではなく、自閉スペクトラム症的な問題なんでしょうね。

 同じ出来事について、息子氏から聞いた話と先生の見た話とが全然嚙み合わなくて

「発達障害についての本に書いてありましたが、こういうことなんですね」

みたいなことを言われたこともありました。

 いじめは小学4年生から卒業するまで繰り返されました。
 もしかしたら息子氏の受け取り方の問題?と思うこともなくはなかったです。そういうときは、絵に描いて状況を一緒に確認したりもしましたね。

 そのうち、息子氏自身が「マイナスよりもゼロがいい」と言って、ひとりで過ごすことを選択するようになっていきました。
 ある意味「友達」という距離感が、それまで近すぎて誰でもすぐに「友達」と言っていたところから、遠くなりました。適正な距離感よりも遠くなったかもしれません。
(まあ、私の距離感も適切なのかどうかアヤシイところですが…)

 周りの同級生たちに比べて、成長がゆっくり少しずつなのが発達障害。特に思春期ど真ん中は、こういう苦しさがつきまといました。

 一度いじめに遭うと、そういうイメージが周りの同級生の中で確固たるものになり、そこから回復することはとても難しいことでした。

 息子氏は、中学校を隣の学区にすることで、逃れることが出来ました。息子氏と共に悩みぬいて決めたことでしたが、良かったと思っています。

 以上、発達障害~母ごころ当事者ごころのあゆでした(*'ω'*)
 今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。感謝しています。良かったらフォローしていただけると嬉しいです♡
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